『ハクソー・リッジ』(2017)史実に基づく激戦地での“ある”戦い方。
メル・ギブソンという名前をはじめて知ったのは小学生の頃にテレビで見た彼自身の出世作品である『マッドマックス』でしたので、かれこれ35年以上は前になります。
スター俳優として『リーサル・ウェポン』のシリーズでも活躍し、その後に監督業に進んでからは『パッション』『アホカリプト』などの問題作を連発し、常に新作が注目される監督としても活躍しています。作風はコーネル・ワイルドに似ているなあといつも感じながら見ています。
『アポカリプト』に至っては話の筋がそっくりですし、『マッドマックス2』もどことなくバイオレンス描写の根源が『最後の脱出』に似ているようでもありますし、メルにコーネル・ワイルドについてどう思っているかとか、受けた影響とかを聞いてみたいものです。
個人的には俳優としての本来の活躍にも期待しています。それにしてもタイトルが『ハクソー・リッジ』、すぐに意味は解りません。予告編などからノコギリの歯のような崖を想像しましたが、こういうタイトルの付け方で思い出したのは『ハンバーガー・ヒル』でした。‟HACKSAW”を辞典で調べると弓のこでしたので、間違ってはいないようです。
落下の危険性もあるので、たぶんCGの映像とそう高くはない絶壁での実写との貼り合わせなのでしょうが、劇場の大きなスクリーンで観ると迫力は違います。戦争映画や特撮映画は劇場で観てこそのスペクタクルが確かにありますので、劇場まで観に行きましょう。
今回の上映では60人程度の観客を集めていましたが、割りと若い女性客が多かったのが意外でした。たぶんレディーズ・デーなのか、もしかすると主演のアンドリュー・ガーフィールド目当てだったのだろうか。『アメイジング・スパイダーマン』にも出ていましたしね。
去年くらいから彼の主演作品を見ることが多くなっています。『沈黙 -サイレンス-』『ドリーム ホーム 99%を操る男たち』、そして今作品と三本見たことになります。 別に彼が出演しているかをどうかを調べた上で見ているわけではありませんし、たまたまですが、遭遇する確率が上がっているということはそれだけ彼が引っ張りダコで活躍している証になるでしょう。
ただ戦争映画で太平洋戦争を扱う作品を見るときはどうしてもアメリカと戦う悪役として登場するのが日本軍ですし、ヨーロッパ戦線のお話だったらドイツ軍になってしまうのは仕方がないのですが、敗戦国の国民としてはどこか心に引っ掛かる部分があります。
戦争というのは結局は勝った方が正義で負けた方はいつまでも悪として認識されます。どちらも人殺しなので真にやってきたこと所業の是非を英雄か蛮勇か、正と邪を決めるのは地獄の閻魔大王かサタンなのかもしれません。
この作品の特徴としては激しすぎるという言葉では言い尽くせないほど強烈な人体破壊満載の殺戮シークエンスでしょう。寿命ではない、若くて健康な人間が呆気なく銃撃や爆撃で死に行く姿が延々と描かれていきます。
サウンドはシアターなので爆音に迫力がありますが、事実をもとに描かれているので、迫力があるでは済まない鬼気迫るものがあり、顔を背けたくなる描写も多々あります。
アメリカ兵も日本兵も呆気なく戦死していきます。ついさっきまで会話していた同期の桜の片方の頭を銃弾が貫通していき、パタッと動かなくなる。悲しむひまもなく、敵軍に銃撃をし続ける兵隊の姿は痛ましい。
ジョン・ヒューストンの『光あれ』はこういった激烈な戦場を経験した兵士たちが除隊後に今でいうPTSDを発症した精神病院の様子を記録したドキュメンタリーですが、戦意高揚には役立たないという理由で長らく公にされなかったようです。
映画は戦死者の最後の様子を映し出しています。ある者は銃撃で、ある者は戦艦からの艦砲射撃で、ある者は手榴弾の爆発で、ある者は火炎放射器の業火に焼き尽くされて死んでいく。そして、火炎放射器で日本兵を殺戮していった米兵も狙撃されて、周りの兵士もろともにガスボンベごと爆死していく。
最前線の戦地では肉が飛び散り、顔だけ(首ではない)の死骸や銃撃や爆撃で上半身だけとか下半身だけになり、内臓をぶちまけたままの状態で放置されています。黒焦げになり、敵味方の区別もつかない。
ハクソー・リッジと命名された急斜面の崖の上は米兵と日本兵の死体で溢れかえり、五月の暑い沖縄の気温はすぐに死体を腐らせ、死骸にはハエがまとわりつき、地面には餌がいっぱいで丸々と太ったネズミたちが死骸を貪り食らう地獄絵図が展開されています。
下から眺めると急な崖だが、上に登ると地獄が現れます。幼い頃に主人公アンドリューは弟と一緒に地元の小さな崖を自力で駆け上がります。
成長し、青年期を迎えた主人公アンドリュー・ガーフィールドは彼女を連れてこの崖を登っていく。第一次大戦後に今でいうPTSDを発症し、正常な感覚を失ってしまった父親との葛藤を抱きながらも兵役に就く。
信仰上の理由から志願はしたが、銃を手に取りたくないアンドリューは訓練時もアスレチックの壁を昇ろうとすると部隊の先輩に嫌がらせを受けたり、寝ているときに袋叩きに遭ったりするるが、武器を持たずに国に貢献するという信念を曲げずに戦っていく。
暴力を振るわなくなった理由は幼い頃に喧嘩時に弟にレンガで殴りかかり、危うく弟を殺しかけたため、そして、銃を持てなくなったのは母親に暴力を振るい、ついには拳銃まで持ち出して発砲した父親に銃を向けたことがあったためという今ならばトラウマが精神的に影響しているという診断が出るでしょう。
また信仰上の理由、“汝殺すなかれ”というキリスト教の教えに忠実も平時であれば、特に問題視されることもないでしょう。兄弟喧嘩と煉瓦による殴打で打ち倒す様子からはカインとアベルが連想できます。
銃を取らないことに対し、軍法会議まで発展するものの第一次大戦の英雄である父親の助けとかつての父の部隊の指揮官だった准将の執り成しでなんとか軍に残ります。
少しずつ成長していったアンドリュー・ガーフィールドに対し、周りの偏見はなかなか消えませんが、それを一気に変えたのがハクソー・リッジの戦いだったのでしょう。
先程も書きましたように激戦の火薬と煙、そして夜の闇で視界も確保できない中、主人公は傷ついた兵士たちを敵味方の区別なく75人(日本兵はすべて助からなかったそうです)も徹夜で救出し続ける英雄的行為をやり遂げます。
このときに役立つのが“もやい結び”であり、入隊当初は全くできずにブラジャー結びしかできずに上官(負傷した上官を戦場で助け出す)にからかわれたエピソードがここで回収されます。
戦わない臆病者と蔑んでいた者たちからの評価も一夜で変わり、崖から降りてきたときには皆を救い出した英雄として迎えられます。
翌日の戦いではアンドリュー・ガーフィールドなしでは戦えないと指揮官に言わしめる。勇敢に戦い、たとえ傷ついたとしても、衛生兵の彼が必ずや救い出してくれると信じることが出来れば、死地へ向かう兵士たちも勇気が生まれたことでしょう。
司令部からの突撃命令が来ても、アンドリューの安息日の祈りを優先させるほどに周りを変えてしまう。もっとも彼自身もハクソー・リッジを落とした日に負傷してしまうが、英雄として帰還し、戦後は勲章を受けます。
最後には存命の頃のデズモンド・ドス本人や周りの人々のインタビューで終わります。この映画ではどちらの側の善悪も描かれず、上層部の命令次第で大量に人命が失われていく無情とそんななかでも聖書を肌身離さずに信念を貫き通した主人公の意志が描かれています。
激しすぎる戦いと殺害の様子からか、PG12の指定を受けていますが、観るべき映画ですので子供の成長に合わせて見せるべきでしょう。メル・ギブソンらしい骨太な作品です。
総合評価 90点