『ワンダーウォール(不思議の壁)』(1968)ジョージ・ハリソンがサントラを手掛けた風変わりなコメディ作品。
中学や高校に通っていたころ、ビートルズに夢中になっていた僕はまずはビートルズのアルバム群を買うために小遣いやお年玉、部費と称して親からくすねたお金を総動員していました。
それが一段落ついてきたきたのは高二くらいの時で、その頃になって、解散後に各メンバーが出していたソロ・アルバムに進んでいきました。当時はジョンが亡くなってから数年しか経っておらず、惜しい人を失くしたというお通夜のような雰囲気が音楽雑誌を中心にまだ漂っていました。
同い年のにわかファンのくせに、ジョンの命日には涙が出てくるとか、亡くなった日はアルバムを聴きまくったとか、嘘ばっかりつく連中がいましたが、ぼくはそっち側には付かず、今でもアルバムや新曲をリリースしてくれるポールやジョージに感謝する日々を送っていました。
そうは言いながらも、もちろんビートルズの精神的な支柱がジョンであることは当然ですので、真っ先にコツコツと集めて行ったソロ・アルバムはジョンが多く、ソロ作での金字塔『ジョンの魂』『心の壁、愛の橋』『ダブル・ファンタジー』のスタジオアルバムを筆頭に、『ノーバディ・トールド・ミー』が収録された当時のニューアルバム『ミルク・アンド・ハニー』を購入しました。
ジョンのスタジオ・アルバムにはヒットしたシングルが外れていることが多く、生前のジョンの意志が反映されたベスト盤である『シェイヴド・フィッシュ』、死後に神格化していく過程に入る『ジョン・レノン・コレクション』なども買い揃えました。
次に買い集めたのはポール・マッカートニーとウィングスで、『マッカートニー』『バンド・オン・ザ・ラン』『ウィングス・グレイテスト・ヒッツ』『オール・ザ・ベスト』『パイプス・オブ・ピース』『タッグ・オブ・ウォー』『ヤア!ブロード・ストリート』を買い進みました。
残るジョージとリンゴに関してはジョンとポールのお目当てのアルバムが地元のレコード屋さんや中古屋さんにない時に買っていく感じで、ジョージならば、おそらく本人にとっては不本意で屈辱的な『ベスト・オブ・ジョージ・ハリソン』、僕ら世代にとってはマドンナの方が有名な『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』はレコードで持っていました。
当時地元ではCDしか売っていなかった超大作『オール・シングス・マスト・パス』『クラウド・ナイン』は仕方なくレコード以外での保持となりました。リンゴで買ったのはその名の通り『リンゴ』だけでしたが、特に何とも思わなかったのはまだ彼の良さを理解できていなかったからでしょう。
緊急事態宣言が明けた地元奈良では人通りが戻りつつあり、駅前のビートルズ専門店のB-SELSさんに出かけて行きました。今回のお目当てはブログのお仲間、蟷螂の斧さんからいただいた『インスタント・カーマ』に別テイクがあるという情報をもとにその盤を探るということでした。
オーナーとそのことをお話しながら、まずは定番となる"鰹節"のUS盤と"コレクション"を聴いていきました。コレクションが発売されるときに『ラヴ』のシングルが出て、ピアノが大幅に増強されていたこともあり、もしかすると"鰹節"のテイクと死後の発売だったコレクションでは違いがあるのかもと思い、聴き比べましたが、違いはないようでした。
次に発売当時のUKシングル盤を聴いてみると、ドラムの響きが良くて、音が立っているのは分かりましたが、45回転なので、その分、33回転よりは音が良いので、その差かなあという程度でした。
最後に聴いたのはUSベルサウンドスタジオ製造の初期シングル盤『インスタント・カーマ』でこれは明らかにミックスが違いました。ベルサウンドらしく、音の解像度がとてもクリアで、シンバルの音や各楽器がしっかりと分離されています。
再生してしばらくすると出てくるシンバルがレフト方向から聴こえて、全体的に音の拡がりが大きくなってくるのは通常のテイクを聴き続けてきた人には新鮮な感覚を味あわせてくれます。
他のテイクはジョンがモノラル好きだったのを反映してか、中央に音が寄っていて、モノっぽく聴こえ、コーラス部分の「Well,We All Shine On」のところでようやく音が左右に別れていくように聴こえています。
このほかに発売自体が1970年なので、もしかするとモノラルシングル盤とかがあるのかもしれませんが、今回は見つけられませんでした。それでも今回の探索により、ミックスが違うベルサウンド盤を手に入れることが出来たのは嬉しい誤算です。
その後、ジョージのUS盤『不思議の壁』を聴いていて、これってたしかサントラ盤だけど、映画を見たことがないという話になり、あらすじは日本盤の見開きジャケに記載されていたので、家に帰ってから動画サイトで全編動画を探し当て、はじめてこの作品を最後まで見る機会を得ました。
感想としては何と言っても、ヒロイン役のジェーン・バーキンが可愛いということに尽きます。ロンドンが時代の先端だったころのファッションやメイク、スタイリッシュな容姿が魅力的で、適度にエロく、ツイッギーよりも個人的に好みです。
ストーリー展開は微生物を顕微鏡で覗きながら、日々の研究に没頭する堅物で変わり者の科学者ジャック・マッゴーランが仕事をしている研究所での奇人ぶりが描かれる。ただこの描写がいかにもイギリス風なコメディセンスを連発してくるので、ぼくら日本人には可笑しさが伝わりにくいかもしれません。
ちょっと面白かったのは自宅アパートのエレベーターに乗るシーンで、いったん地下に下がったので、「この研究者は地下暮らしなのか?」と思っていると、すぐに上に向かって昇り出すというフェイントが入ったのには苦笑しました。
夜遅くになり、帰宅後に資料に目を通していると、隣の部屋からインド民族音楽とポップ音楽を混ぜたような奇妙で騒がしい音楽のために集中できなくなり、隣りの部屋に時計をブン投げる(このときの隣室から聴こえてくるフレーズがどうしても『ア・ハード・デイズ・ナイト』の出だしにそっくりに聴こえる!)と壁に光り輝く穴が開き、向こうの部屋が明るく、ジャックの部屋が真っ暗だったためか、マジック・ランタンの映写機のような状態になる。
ジャックの部屋には抜群のスタイルの若いジェーン・バーキンのシルエットが浮かび上がり、セクシーに踊り続けると、蝶の標本が何故か息を吹き返し、部屋中に舞い上がり、サイケな感じになってくる。光の穴を覗き、ジェーンにすっかり魅了されたジャックの研究対象は微生物から生身の若いジェーンに変わってしまう。
どちらも"覗き"なのだが、片方は犯罪になります。まあ、武漢ウイルスをばらまいた中共の研究者は微生物やウイルスを覗いていますので、両方とも犯罪者になり得るということでしょう。
その後は覗きが第一になってしまい、仕事をさぼり、ジェーンを覗くことが彼の人生の大部分を占めるようになる。妄想癖もどんどん増していくが、一方のジェーンも薬物過剰摂取による情緒不安定なためか、両者とも妄想の中で接近する。
しばらくは彼女を妄想の中で求めるジャックだったが、行為はエスカレートする一方で、ついにはアパートの屋根まで上り、そこから天井に潜入し、屋根裏の訪問者のような異常行動を取り、ついに彼女の部屋に侵入してしまう。
そこにはたまたま写真家の彼氏と別れた後の傷心したジェーンが睡眠薬とガスで自殺を図っていて、気を失った彼女を介抱しながら、病院スタッフに預けるまでをジャックが行う。夢にまで見たジェーンの唇を奪うのはジャックではなく、人工呼吸処置を実施する役得の救急隊員だったのがなんとも皮肉です。
エンディングに向かっていったときに、見ていたぼくらはこの映画でジェーン・バーキンが一言もしゃべらないままに終えようとしていたことに気付きます。ある意味、とても贅沢な使い方をしています。
新聞記事の写真にはドリトル先生とか、ハリソン夫人(このころはパティ・ボイドですね)などの名前がパロディとして記載されています。科学者が彼女を助けたとありますが、なんかスペルが間違えています。他人を救っても、名前を誤記されるような、そんなしょぼくれた人生だということでしょうか。
不思議な映像と音楽の組み合わせは独特でしたが、不思議に調和していて、舞台はロンドンなのにインド音楽とポップ音楽の融合に違和感はありません。
まあ、音楽を手掛けているのがビートルズのメンバーで『ジ・インナー・ライト』『イッツ・オール・トゥ・マッチ』を作っていたころのジョージ・ハリソンで、彼を手伝っているのはクレジットはされていないもののエリック・クラプトンやリンゴ・スターなのですから、ある程度の水準を持っているのは当然です。
サントラを聴いていると、『ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー』のような音階があったり、『ジ・インナー・ライト』や『イッツ・オール・トゥ・マッチ』に繋がるようなアイデアが散見されます。
クラプトンが絡んでいると思われる曲などは『オール・シングス・マスト・パス』のD面に入れるか、ジョンの『レヴォリューション9』とともに本来ならば、ホワイトアルバムのおまけとしてEP盤にしてアルバムから除外すれば良い感じになったようなモノもあります。
現在、この作品はわが国でもDVDが発売されていますが、4000円超えなので、なんとも手を出すのを躊躇してしまいます。ポップではあるが、クセがある作品なので1960年代の雰囲気が好きな人は買っても良いでしょう。
同じ覗きが主題の映画ならば、ぼくは『のぞき魔バッド・ロナルド』を選びますし、モテないくん映画ならば、『ジェレミー』を選びます。
総合評価 58点
『武漢ウイルスに思うこと』世界は変わりつつあり、切り替えには痛みを伴うのでしょう。
『最後のブルース・リー/ドラゴンへの道』(1972)お~ま~え~は たんろんかあ~?
武漢ウイルスの全国的蔓延のため、土日も遊びに行けないどころか、全国的に活動自体を自粛していく局面に入っています。都会に遊びに行けないなら、その代わりに近所の商業施設やスーパーにレジャーとして行っても良いわけではありません。
密集、密閉、密接の三密になりやすい映画館にもしばらく通っていませんし、近所の映画館も全館休業しています。持病のあるぼくは通院で病院に行きますが、今回は熱はないものの、しばらく咳が止まらない症状が出ていたので、念のためにCTスキャンを受け、結果としては炎症反応を示す指標も問題なく、アレルギー症状による咳との診断でした。
万全を期すために、会社と相談した結果、一週間ほど自宅療養となり、ようやく今週から仕事復帰になりました。今回の発生及び感染源である独裁国家中国が春節の民族大移動で無責任に世界へばら撒いた災厄により、自国民でおそらく数十万人(どうせ最後まで隠蔽し、正確な数値も原因も明らかにしないでしょうが、骨壷やら遺体を入れる袋やら、携帯電話の解約などからボロが出る!)、その他の世界でもイタリア、スペイン、アメリカで数万人の犠牲者を出しています。
今回の教訓としてはどこの国に関わらず、生産拠点は分散しなければいけない、少なくとも民主主義の枠組みに入っていない国は生産拠点に使わないこと、移民なんてもっての外、国連はすでに役割を終えたこと、投資しても自社工場を接収するような非資本主義国家の正体を晒している現状、求められるリーダーの資質が平時と有事下では違うこと、自粛要請よりも強制力を持つ命令が不可欠であることなどが広く共有されるでしょう。
平和ボケした日本ですが、今は実質的な戦時中の戒厳令下だと心得、無駄な外出は控えたい。もっとも社会インフラに関わる業種の場合、休みたくても休めない業種があるので、ロックダウンしても2割の人は出勤せざるを得ないのも難しいところではあります。
もともと映画、レコード鑑賞、読書、ウォーキング、スポーツ観戦が趣味のぼくは現状、スポーツ観戦以外は毎日のように行えるのでダメージは少ない。お昼はまだ近所のレストランでもランチをやっていますし、営業も夜8時とか9時まで頑張っています。
ぼくはアレルギー症状で今週いっぱいまでは自宅で過ごしていましたが、通院以外はせいぜい散歩で近所の川っぺりの葉桜を眺める程度です。そんな感じなので、楽しみは本を読むか、録りためたDVDを見るか、60年代から70年代のレコードを聴きこむくらいしかやることはない。
昨日はボブ・マーリー『レジェンド』『カヤ』などを聴いたあとにブルース・リー作品『燃えよドラゴン』『ドラゴンへの道』などをボケっと眺めていました。最初にブルース・リー映画を見たのは小学生低学年だったと記憶しています。
カンフーと言えば、ブルース・リーの怪鳥音とヌンチャクだったのがコミカルな蛇拳や酔拳の動きに変わるのは数年後の話です。今回、記事にしたのはローマのコロシアムを舞台にブルース・リー対チャック・ノリスのメイン・イベントに持ってきた『最後のブルース・リー ドラゴンへの道』です。
子供のころに見た時は違和感なく楽しんでいましたが、大人になって見た時には「ありゃ?こりゃあチャチなセットだったんだなあ…」と少々ガッカリとしました。それでも脳裏に焼き付く名シーンの一つであることは間違いない。
主演・監督・脚本をブルース・リーが一手に引き受け、製作はレイモンド・チョウが矢面に立つのがこの作品です。仕上がりとしては前半から中盤に掛けてまではコメディ色が強く、そこそこは楽しめます。合間合間に本来の彼が見せたいカンフー・アクションが突っ込まれてきます。
もちろんボクらボンクラ中年が見たいのはそっちなので、脚本や編集の粗さには堅いことは言わない、敢えて見ないという姿勢を徹底していかねばなりません。ジャッキー・チェンが現れるまでのカンフー映画は殺伐としていて、その代表スターがブルース・リーだった訳です。
僕らより五歳以上上の世代はジャッキー・チェンを馬鹿にしがちで、ブルース・リーを神格化する傾向があります。UWF的なブルース・リーとタイガーマスクみたいな空中殺法メインのジャッキー・チェン。どちらも楽しめばいいのにと思ってはいたものの、カンフー映画の売れ筋はジャッキー・チェンが圧勝し、真面目なプロレス・ファンはU系から総合格闘技に突き進んで行きます。
話を戻すと、格闘技の危険さを真面目に伝えたのがブルース・リーだったのでしょう。何気にトドメに金玉潰しや金的蹴りを多用するダーティな終わり方を迎えるブルース・リーを今の目で見るとリアルな印象を受けます。
実戦でハイキックなどを放つのはかなりリスクが高く、蹴るならば、間合いを詰められないための防御としてのローキックか、決め技としての関節蹴りが主体になりそうです。実際、ノリス戦ではハイキックも使いますが、決め技として放つのは関節蹴りで、一撃で仕留めた後は気迫のみでなお立ちふさがるノリスに不本意ながら止めを刺す。関節蹴りはかなりダメージを与えていて、ノリスは痛そうですし、一般人が使うことはないでしょう。
ヌンチャク遊びをしても、プラスチック製ならともかく、木製ヌンチャクで遊んでいて、頭に当たる痛さはとんでもないので、良い子のみんなは真似しないでねと言うのが今も昔も正しい。ついでにノラ・ミャオは今も昔も可愛らしいので、見ておきましょう。
この映画の見どころはカンフーアクションなのは当然ですが、今でも覚えているセリフは刺客が放つ「お〜ま〜え〜はぁ タンロンかぁ〜」という変な日本語です。いつ見ても横山ホットブラザースの「お〜ま〜え〜はぁ あほか〜」を思い出します。
総合評価 70点
『マスカレード・ホテル』(2019)キムタク&長澤まさみ共演の群像劇ミステリー
最近、うちの近所に“いきなりステーキ”という変わった名前のステーキハウスがオープンしました。関東とかでは立ち食い店として知られているチェーン店のようですが、僕らが住む田舎町では普通に座席(めちゃくちゃせまい!)があるスタイルです。
駅近の場末の飲み屋やソバ屋さんでもそうですが、立ち食いだからこその良さがあり、それが売りだと思います。が、ファミリー層を狙うためか、座席があるというのは普通のステーキガストやロイヤルホストとかとの違いを感じませんでした。
会社からの帰り道にお店の前を通ると、お肉がジュージュー焼ける独特の香りにクラクラし、今度行ってみようと思いつつ、時間が経ってしまい、ようやく本日足を運びましたが、立ち食いスタイルでなかったのは残念でした。
早目に着いたので、まだ空いていた状態でしたが、お昼が近づくにつれて、どんどんお客さんが増えてきて、食べ終わる頃にはほぼ満席になっていました。話題のお店だし、一度は行ってみようという客層とサラリーマンの4人組や作業服を着た人たちのようにガッツリ食べてガンバるぞというノリの人もいて、バラエティに富んでいます。
さて肝心の料理についてですが、ぼくが頼んだのはワイルドステーキというヤツで、ガッツリ450gの大きさです。注文を取りに来られたときにステーキなのに何故焼き加減を聞かないのだろうという疑念がありました。そんなに肉好きではないので、ウェルダンが良かったのですが、案の定出てきたのは中がレアのヤツでした。
肉汁やら生焼けの肉にはあまり興味がないので完食はキツかったのですが、注文時に言わない方が悪いのだからと諦め、根性で食べきりました。お肉自体は普通でしたが、普段着の食事としては問題はない。
ただアツアツが食べたい向きにはあまりオススメは出来ないし、数日後に行ったことがあるという知り合いと話していると同じような意見がありました。まあ、結論としてはよほど肉が食べたいなあという時以外にはもう来ることはないのかなあという印象です。
実際、口直しに普段よく食べに行っているスパイスカレーのお店に向かい、ごはん少な目でカレーを注文して、やっと一息つけました。急速に店舗拡大しているステーキチェーンですが、なんだか先が見えている感じでした。
初期店舗はおそらく質が高かったのでしょうが、料理は具材だけ揃えても、火加減や塩加減などのちょっとしたことでまったく味が変わってしまいますので、評判を落とさないためにも一度立ち止まって、足元を固めたほうが良いのになあと思いました。
さて、映画についてですが、木村拓哉と長澤まさみを主演に据えたオールスターキャストが話題となっている本作ですが、見る前は不安なポイントとして大きかったのは、メインの出演者への興味のピントが事務所への遠慮からか、演出の不備からか、どうにもしぼりきれていない感が強く、微妙な雰囲気が画面を覆い尽くしているのかなあという不安がありました。
また木村拓哉のせいではないのでしょうけど、十年くらい前に見た『有頂天ホテル』をなぜか思い出してしまいました。ホテルが舞台で、オールスターキャスト、照明の雰囲気などです。起こっている事件が殺人事件なので、こちらのほうが深刻ですが、主演も木村拓哉か香取慎吾の違いだしなあ。
昔はお正月映画は各社のスターたちが勢揃いして、いわゆる忠臣蔵モノを撮ったり、奇を衒った超大作をかましたりしていましたが、流石に映画だけでは食えなくなって行った流れの中、オールスターとは言っても、それは知名度のみを指し、所属を表している訳ではない。
それでも豪華な出演者を動員しているのは間違いない。小日向文世、梶原善、濱田岳、前田敦子、笹野高史、高嶋政宏、菜々緒、生瀬勝久、宇梶剛士、橋本マナミ、勝地涼(じつは夫婦で出演!)、松たか子、鶴見辰吾、石橋凌、渡部篤郎、特別出演で杉本高文(だれだか分かりますねwww)も登場します。
彼が出てくるとこれまで構築してきた映画の世界観が劇的に変わってしまう恐れがあるため、出演シーンは本編ではなく、エンディングで背を向けて、チェックインをしている宿泊客でした。彼の友情出演のテロップがちょうど出てくるシーンです。
まったく顔出しをしないので、事前に今年のお正月に放送されていた毎年恒例の二人の番組を見ていないと衣装が分からないので、絶対に判別できないでしょう。
一体感という意味では日本的なオールスター映画は絶滅しました。また、普段からCMなどに出てくる人が多く、一般人から見れば、インターネットの影響もあり、情報を仕入れるのが容易になり、昔ほどの距離感もなくなってきています。
原作を読んでいませんので、あくまでも映画を見ての印象になりますが、前回の『検察側の罪人』よりは楽しく見る事ができました。今回は前よりは役柄にフィットしたのかもしれません。
もっとも、何かを背負っている感はいまだ抜けず、いつまでもSMAPの呪縛から解き放たれていないのはこの人なのでしょう。目と身体全体からはまだまだ堅苦しさを感じてしまいます。まあ、今作の主役が唐沢寿明だったら、そのまま三谷ワールドになりそうですね。
内容は映画スタイルで言うと、いわゆるグランドホテル形式と呼ばれる群像劇で、ホテルを舞台に一癖もふた癖もある宿泊者たちが事件の重要人物かもしれないという雰囲気を醸し出しながら、クライマックスに向かっていくハリウッド古典の形を持ってきています。
濱田岳や生瀬勝久、笹野高史らのクレーマー的なエピソード、宇梶剛士が恐喝を仕掛けてくるエピソード、菜々緒がストーカー被害者を装いながら、じつは反対に夫の浮気を問い詰めていくエピソード、障害者を偽装しながら、真の目的を果たそうと用意周到な計画を仕立て上げて実行していく松たか子の本筋など上手く話がとっ散らからないように纏まっています。
相変わらず、松たか子のカメレオン的な演技は素晴らしく、ある時は盲目のおばあさん、またある時は売れない舞台女優、またあるときは復讐に燃えるサイコな女をさらりと演じています。
テクニック的に興味深かったのはキムタクへのズームによる寄りから始まり、長澤まさみのアップに切り替わってからのズームからの引き画、ゆっくりとした長澤まさみからのパンからのキムタクへのアップへとつなげていく演出は楽しく見ていました。ただ何度も繰り返されるズームアウトからホテル全景までつなげるカットは無意味に思えます。
繰り返されるテクニックとして、360度パンがしょっちゅう出てきます。最初のこの演出はいきなりホテルマンになってしまうキムタクがあちこちで動いている、ホテルに集まってきた群像からの精神的プレッシャーと混乱を、その後は周囲の様子を把握できるようになってきた心の余裕を、終盤のパンはざわついた環境下においても容疑者を見つけ出す刑事としての能力を表現しているように思いました。
昨夜は嵐の活動休止も発表されましたし、会見も見事な出来で、ジャニーズも変わってくるようです。うちの母親は嵐のファンで、とくに松本潤くんがお気に入りです。
去年は『ナラタージュ』を一人で観に行っていますし、冠番組の『VS嵐』『嵐にしやがれ』を毎週録画しています。ちなみに本日の客入りは七割くらいで奈良の劇場としては埋まっている方です。
総合評価 68点