良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『野良犬』(1949) いわゆる刑事物の先駆けとなった、黒澤明監督の現代劇の傑作。ネタバレあり。

 オープニングの、狂犬病のような荒々しい息を吐く「犬」のアップ映像が、強烈なインパクトを持っていて、すぐさま映画世界に引き込まれていきます。映画では観客を集中させるために、出だしの5分間が最も肝心なので、このオープニングの映像は秀逸でした。

 実際には、この犬はただ撮影所内を走り回らされただけだそうです。もっとも今ならば、それでも動物虐待と言われそうではあります。それはさておき、この作品は刑事物の先駆けとしても有名な作品であり、『酔いどれ天使』で完成の域に到達した黒澤監督の現代劇の応用例でもあります。

 また個人的に注目しているのは、本筋には全然関係ないのですが、戦後すぐの焼け野原から徐々に復興している様子が作品の風景から読み取れることです。『素晴らしき日曜日』ではかなりの風景で焼け跡を目にします。『酔いどれ天使』でも、まだまだ荒廃した街の映像があります。

 そして、この作品でもまだ荒れた家々を見ることになりますが、一方では花に囲まれた家や将来の結婚資金を奪われた女性事務員のエピソードが挿入されるなど(2人とも犯罪被害者になってしまうのは、皮肉ですが)、ようやく希望を持てるような段階まで精神的に回復してきた、わが国の人々の様子を見るのはとてもうれしい気持ちがしました。

 戦争から復員してきた若者二人のうち、同じような悲惨な目にあっても、その人の持つ人間性により、追う者と追われる者とに分かれていく人生の岐路と顛末を描いている作品であり、無駄なプロットの全くないしっかりした構成です。

 人間はそれぞれ考え方が違い、そして気持ちの強さも違っています。精神力というと戦後当時では先の大戦の苦い思いから、どちらかというと唾棄される傾向があったと思われますが、これの強いものは治安を守る立場となり、弱いものがそれを乱すようになる。

 国家レベルでの精神性や精神力の押し付けは軍国主義や強制的な全体主義に貢献させられてしまいますが、個人レベルでの精神力の強さは時代が変わっても美徳です。

 犯人と警官に分かれてしまった二人ですが、一歩間違えていたならば、お互いの立場が反対の関係になっていたかもしれないということが映像や台詞で何度も提示されています。辛い時にどう立ち直るかが人生を分けるのです。

 「不幸は人を立ち上がらせもするし、だめにもする」                      蓋し、名言です。

 そして忘れてはならない、この作品でもっとも興味深いプロットは野球場のシークエンスです。実際の試合の合間に、犯人の追跡劇を盛り込んでいく手法は独創的であり、ドキュメンタリーのような趣が出ていて、物語により一層の現実味が加わります。

 プロ野球はまだ二リーグ制に移行する前であり、巨人と南海(現・ソフトバンク)が戦っています。しかもバッターは「赤バット」の川上であり、広告には「朝日新聞」や「サロメチール」が出てきます。プロ野球の歴史的映像でもあるのがこのシークエンスなのです。『暗黒街の顔役』のような逮捕シーンの光と影の使い方が美しい。

 三作目の黒澤監督作品となる三船敏郎は、どんどん魅力が増してきています。『酔いどれ天使』とは正反対の役ですが、村上刑事も一歩間違えば、松永(『酔いどれ天使』での役名)になっていたかもしれないと思うと、別作品ではありますが感慨深くもあります。『酔いどれ天使』ではあまり良いとは思えなかった志村喬ですが、ここでは彼の持ち味の、人間味あるベテラン刑事をいきいきと演じています。

 志村には肩肘張った、自分の意見を主張するキャラクターは合わないようです。千石規子や山本礼三郎など、常連の俳優さんが安定した演技を見せている中で、新たに加わった千秋実が登場場面は少ないのですが、妙に印象に残っています。ただ残念なのは淡路恵子があまりしっくりとこない気がしました。

 記憶に残るシーンが幾つもある作品でもあります。三船が一人で情報を得ようと歩き回るシーンでの「目」の映像に被さってくる雑踏の騒々しさと流行曲の数々。このような流行曲の使用は『酔いどれ天使』でも使われていましたが、ここでも効果的でした。

 先ほども書きましたが、野球場を使ったシークエンスのアイデアネオリアリズムの作風でもあります。また逮捕の仕方が、まるでマフィアが相手を追い詰めるような迫力があり、警察が追っているようには見えませんでした。

 また、モンタージュとしての出来では、列車のまっすぐな線路の様子と、犯人が野良犬と化して、本能のままに淡路さんのもとに姿を現すであろうことを窺わせる部分が素晴らしい。

 そして最後にやってくる対決シーンでの緊迫感には一見不適切とも思える『ソラチネ第一巻第一曲』が映像とのギャップを生み出して、見事な対位法の手法が生み出されています。緊迫しているシーンでの対位法はこの音楽だけではなく、手錠をかけた後に二人が倒れこむ「お花畑」の映像や幼稚園児が楽しそうに歌う「蝶々」の歌にも見受けられます。

 現実音という部分では「雨」の音が黒澤作品の中での重要な位置を占め、演出での「音量」も実際の「量」もますます激しく、そして増えてきています。

 このシーンの後に、ジャンプカットしてから病院でのラストシーンに繋がっていきますが、この作品ではジャンプカットよりもワイプによるカットが多く見られました。ジャンプカットのほうがこの作品のスピーディーさを表すには効果的だと思うのですが、黒澤監督はワイプにかなりのこだわりがあったようです。

 今回はロケーションでの撮影が多くなりました。そのため戦後四年経ち、街がさらに復興してきている様子が目につきます。服装、一般家庭の様子に特によく表れています。それは新たに持てる者と持たざる者という格差をも生み出そうとしています。対比されて出てくる遊佐(木村功)宅の貧しさと他の豊かな家との格差からそれは見てとれます。

 最も比較しやすいのは時代設定も俳優陣もこれと近い「酔いどれ天使」ということになりますが、片やヤクザ物、そしてこちらはそれを取り締まる刑事物という正反対のものです。であるにもかかわらず違和感無く見ていくことができます。

 どうしても『酔いどれ~』でついてしまった強烈なイメージがある三船にとっては、この作品とその前の『静かなる決闘』が彼自身の演技の幅を広げていく良いきっかけとなった作品です。こういういろいろな役柄を幅広く演技させることからも、黒澤監督の俳優三船敏郎への大いなる愛情を感じます。また志村にしても彼本来の位置に戻り、しっかりとベテラン刑事を演じています。

 作品として、とても無駄なく仕上げてあり、だれてしまう所や不必要と思われるシーンは全く無く、この作品の中の何処か一部でも切り取ってしまえば、作品の質は落ちてしまいます。

 はじめに述べたように、もしアメリカで上映された時に、オープニングの「野良犬」の映像が、動物愛護教会のクレーム等でカットされてしまっていたならば、この作品の価値の大半は失われてしまったのと同然です。それ程にシークエンスの全てが有機的に結びつき、この作品が完成しているのです。

総合評価 92点 野良犬

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