『ゴダールの映画史』(1998)コラージュ・モンタージュ・・・映像が誘うイメージの氾濫と創造
ジャン=リュック・ゴダール監督が、フランスのカナル・プラス、つまりTV用に製作した一大モニュメントである、『映画史』は全8章からなり、通しの上映時間も4時間半にも及ぶ超大作でもあります。TV局はこれを実際に1998年の夏の間に、毎週一章ごとに合計8週間もの長い間、放映し続けました。
地上波でこのような難解な作品、しかもその中には数多くのポルノ映像も含まれているものを放映した英断はNHKには決して真似は出来ない。国民がそれをただのポルノと見るのか、芸術作品の中での一表現に過ぎないととるのかは、文化の成熟度、そして腐敗度も関係してきます。一概にどちらが良いとはいえません。
集中的に何度も見ても、あるいは何年後かに再度見ても、手に負えない難解極まりない映像イメージの一大山脈であり、JLGの映像イメージと彼を形成してきた、または彼を突き動かしている意志と知識が、全篇にみなぎっている貴重な作品です。
これについてすべて語り尽くすということは、おそらく不可能でありますが、出てくる映画の断片が、次の断片にモンタージュされる時に新たに発生するイメージで遊べれば、凡庸な映画ファンとしては、それで十分なのかもしれません。
かつて彼が観ただろう、そして彼が影響を受けてきたであろう映画・文学・絵画・音楽・哲学の断片をひたすら繋いでいくゴダール監督の手法は大変刺激的です。1Aのオープニング映像である『裏窓』を貫いていた覗き趣味はまさに映画の基本です。カメラを覗き見るジェームス・スチュワートのクロース・アップで明らかになる、映画の本質を見る者に示してから、この記念碑的作品を始めたゴダール監督は、やはりただものではない。
生理的に好き嫌いはそれぞれありますが、価値は絶大です。ちなみに1Aの終わりは『ドイツ零年』のラスト・シークエンスがほとんど全て使われています。まるでそれまでの映画の終わりと、これからの映画の始まりを暗示するように。
全八章からなるこの大作については、それぞれについて見た時に持った印象と連想のつながりを気ままに書いていったほうが、案外作品の本質に近づけるかと思います。本来映画はいろいろな見方があり、それぞれの見方が許されるはずなのですから。
過去の映画の断片からなる映像の洪水に身を任せて、新たな意味を構築するのもひとつの物の見方でしょう。また、一つ一つの作品が本来、持っているテーマやシーンを思い出し、それらのイメージが次の作品や写真に繋がれた時に、どのように意味が変わるのかを楽しむのも一つの見方です。
先ずは思いつくままにモンタージュされている作品群を挙げていきます。(間違っていたら申し訳ありません。なにしろ最後に見てから20年以上経っていて、現在手元にビデオその他が残っていないものもあります。)とにかく膨大なコラージュ・フラッシュフィルム・ディゾルブ・モンタージュが繰り返され、俳優・監督・映画関係者・映画の断片・写真・絵画・詩・彼の独白・音楽・効果音・歴史上の人物が見る者の眼と耳を通過していきます。
ゴダール監督が以下の作品の断片を我々に示す時、ひとつの作品の断片から生まれるイメージは、毛細血管のように広がっていき、その作品が持っているテーマや映像世界を一瞬のうちに喚起させますが、次の一瞬で全く違う別の作品の断片へと連れて行かれてしまいます。この時にとても戸惑いますが、新しい意味を持たされた映像のイメージ、あるいはモンタージュは刺激に溢れています。
映像への感覚と、言説への理解度を、それまでのものから別のものに一気に変えてくれる可能性を秘めているイメージの大群。時間芸術である映画を切り刻み、別のしかも他人の作品に繋ぐというのは、映画の持つ意義と意味そのものを、完全否定することに繋がる恐れを持ちますが、実際に繋がれてくる映像を見ていると、ゴダール監督の伝えたいことがおぼろげに解るような気がします。すぐに否定されるようなモンタージュがまた始まるので定かではありません。(このブログの中で既に感想を書いたものには*印をつけてあります。)
<映画の断片(主なもの)> 『裏窓*』・『叫びとささやき』・『フリークス*』・『メリー・ウィドウ』・『散り行く花』・『イントレランス*』・『國民の創生』・『東への道』・『アレクサンドル・ネフスキー*』・『全線*』・『北北西に進路を取れ*』・『戦艦ポチョムキン*』・『十月*』・『ストライキ』・『意志の勝利』・『ベン・ハー』・『肉体と悪魔』・『古城の妖鬼』・『フランケンシュタイン*』・『グリード』・『スージーの真心』・『近松物語』・『オペラは踊る』・『独裁者』・『モダンタイムス』・『ゲームの規則』・『ニックス・ムービー』・『ライムライト*』・『キッド*』・『8 1/2*』・『道』・『カビリアの夜*』・『ソドムの市』・『エロチカ1930』・『奇跡の丘』・『揺れる大地*』、『絹の靴下』・『街の灯』・『陽の当たる場所』・『ギルダ*』・『ロリータ』・『不良少女モニカ』・『見知らぬ乗客*』・『狩人の夜*』・『キングコング*』・『ジークフリード』・『市民ケーン』・『ドイツ零年*』・『無防備都市』・『オペラ座の怪人*』・『地獄の黙示録』・『鳥*』・『緑の光線』・『暗黒街の顔役*』・『捜索者』・『無頼の谷』・『M』・『ドクトル・マブセ』・『メトロポリス』・『ファウスト』・『雨月物語*』・『巴里のアメリカ人』・『吸血鬼ノスフェラトゥ*』・『上海から来た女』・『軽蔑』・『汚名』・『海外特派員*』・『メキシコ万歳*』・『断崖』・『グロムバーグの花嫁』・『雨に唄えば』・『戦火のかなた』・『フォーエバー・モーツァルト』・『ベージン草原』・『イワン雷帝*』・『愚かなる妻』・『アンダルシアの犬*』などなど。これらはほんの一部です。
<絵画> ドガ、ピカソ、ゴヤ、スーラ、ルノワール、ドラクロワ、レンブラント、ルーベンス、カラバッジョなど。
<監督・プロデューサー> Ⅰ・タルバーグ、オーソン・ウェルズ、アルフレッド・ヒッチコック、エイゼンシュテイン、グリフィス、リュミエル兄弟、メリエス、シュトロハイム、ルビッチ、チャップリン、フリッツ・ラング、カサヴェデス、溝口健二、小津安二郎、ジョン・フォード、ハワード・ホークスなど。
<著名人> ヒトラー、レーニン、ハワード・ヒューズ、ムッソリーニなど。
<ニュースフィルム> アウシュビッツ関連、爆撃、SS、ゼロ戦など。
<哲学・人文> ハイデガー、ニーチェ、フロイト、ブレッソン、マルセル・プルースト、ジョイス、ボードレールなど。
書き出したら、本当にきりがありません。これらに音楽と詩、そしてゴダール監督の映画への思い、ボードレール、ロベール・ブレッソンらの影響が入ってくるともう手に負えません。分厚く、巨大で、刺激的なイメージの洪水が4時間以上続きます。これは映画ファンへの拷問なのか、それとも個々の作品で映画を見るのではなく、塊としての映画芸術を見るきっかけにすべきなのか。
ゴダール監督が画面上に浮かび上がらせる数々のメッセージの山も我々を挑発してきます。作品を理解させてくれる手助けではなく、更に見る者を戸惑わせ、各自が新しい考え方を持つように仕向けさせるための指標として。解らないなりに、ぼんやりと持ちかけていたイメージの塊を、再度破壊しつくさせるために。彼は映画ファンが普通に見ていた作品そのものとその思い出を破壊して、観客全てを映画に対してゼロの状態に持っていきます。
4時間を越えるこの大河は便宜上は8つのパートに分かれています。
1A 『すべての歴史』 複数の歴史・ひとつの歴史
1B 『単独の歴史』
2A 『ただ映画のみが』
2B 『宿命の美』
3A 『絶対通貨』
3B 『新たなひとつの波』
4A 『宇宙の統御』
4B 『われわれのあいだの記号』
これらについて思い浮かべたイメージを順次書き込んでいきます。
続く。
ゴダール マネ フーコー—思考と感性とをめぐる断片的な考察
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蓮實 重彦
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