良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『フルメタル・ジャケット』(1987) ベトナム戦争の真の姿を、冷静に表現できた唯一の作品。

 ベトナム戦争の狂気と無意味、そして滑稽さを、真に表現したのはこの作品のみである。1987年に公開された『フルメタル・ジャケット』は、1980年の『シャイニング』から数えて、スタンリー・キューブリック監督作品としては、実に7年振りの作品であり、待望久しい映画界の巨匠の復活に相応しい深刻さと風刺的内容で満たされた作品です。

 

 彼独特の冷たく、そして突き放したような、人間不信の視点はここでも健在です。彼が戦争映画、それもベトナム戦争を題材に製作を始めた事は正直に言って意外ではありました。ナパーム弾やら、ジャングルでのベトコンとのゲリラ戦を描くことの多いベトナム物を、今更、何故に彼が撮るのかが、観るまでは理解できませんでした。

 

 最初観た時に、改めて彼のオリジナリティー溢れる才能を実感したのは、お決まりのジャングルでの戦闘シーンが皆無で、過度の批判的メッセージも排除されていて、淡々と一海兵隊員の回想録として作品を進めていったことに気が付いたからでした。

 

 平凡なアメリカ人の若者が新兵卒として海兵隊基地に入り、何を学び、戦場に出て行って、戦争とは何なのかを彼の経験を通して我々に語りかけます。

 

 一介の歩兵だからこそ見えてくる、戦争の現実は虚しさしかありません。彼の回想は常に他人事のように、特別な感情もなく語られていきます。「他人事」という、戦争に対するキューブリック監督のベトナムへの姿勢、それこそが狂気なのかもしれません。

 

 普通の若者達が、ベトナム戦争の真っ只中で、訓練と洗脳を施されて、冷静な殺人機械に変わる過程、つまり人間性を失っていく様子を通して表現したかったこととは何なのか。ただの戦争映画には感じないことを多く感じる作品です。

 

 人間とは何か。狂気とは何か。狂っていく過程は普通の作品では戦場で描かれていきますが、ここでは安全であるはずの母国の無機質で薄暗い兵舎での訓練で描かれています。

 

 人間の価値を全く認めない軍隊教練と指導インストラクター。彼の台詞は狂っているとしか思えないものばかりです。しかも彼の狂ったような言葉は、思わず笑ってしまうか、ぞっとするような興味深い本音の連続でもあります。

 

 卑猥で、差別的で、強圧的で、人間性のかけらも見せない彼が、軍隊というシステムの有効性と限界を体現しています。必要なのは人間ではなく、殺人機械であると言い切った教官の言葉はむしろ爽快ですらあります。

 

 本音のみで語り、事実のみで判断する下士官の意識が新兵に叩き込まれていきます。部品として生き抜くことのみを、そして部品が死ぬのも当然の使命だと教育していきます。この教官を演じたリー・アーメイにとっては、この訓練将校役はまさに、はまり役であり、狂気に満ちた、軍隊という組織の下級実務官である二等曹長を、身体全体で表現しています。

 

 特に彼の台詞で恐ろしいのは「オズワルドもチャールズ・ホイットマン海兵隊出身で、獲物をしとめた射撃の腕前には海兵隊の誇りを持っている」というものです。絶対にアメリカ人には使えない台詞ではなかろうか。

 

 リー・アーメイに侮辱され続け、人間性とプライドを蹂躙され、精神に異常をきたす駄目な隊員を演じたヴィンセント・ドノフリオの存在の大きさは、主役俳優であるマシュー・モディーンを上回り、より強く印象に残る一世一代の演技でした。

 

 特に狂った後の目の演技は絶品でした。アーメイとドノフリオの関係と、間に入るモディーンを軸として物語が語られ、非人間的な訓練の様子を描き出していく。作品の前半はこのように海兵隊の基地で展開されています。

 

 120分の上映時間のうち、じつに50分弱までは狭い閉鎖的な兵舎と基地内の訓練場のみで作品は語られているのです。連帯感が濃密で閉鎖的な人間関係を形成していく基地内の争いと葛藤は熾烈であり、この連帯感を持つ部隊からはじき飛ばされていってしまうドノフリオに残された道は「フルメタル・ジャケット(完全被甲弾)」を使うことしか残されていませんでした。

 

 自ら作り上げた殺人機械によって、始末されてしまう曹長。皮肉にも海兵隊曹長アーメイは、オズワルドやホイットマンと同じく、彼に恨みを持つドノフリオという二等海兵隊員の撃った銃弾で命を奪われます。

 

 ドノフリオに限らず、上の意図に従わない兵隊も少なからずいて、これらの命令系統への不服従ベトナムでの敗戦の遠因となったのでしょうか。戦地でも訓練場でも上官に従わない下級兵士が他の戦争作品に比べると異常に多い作品でした。

 

 戦地と言えば、軍用ヘリで運ばれていく最中に、農民や女子供をゲームのように殺戮し続ける狙撃手に対して、モディーンが「どうして殺せるのか」と問うと、彼は「簡単だ。やつらは遅い。」と答える。モディーンは道義的な事を問うたのに、彼は技術的な問題として答える。

 

 大学の一回生の時に、はじめて映画館で観た時には内容に驚きました。他のベトナム物では、チャック・ノリス物や『ランボー2』のような好戦的なドンパチ映画か、正反対に位置する『地獄の黙示録』のような狂気を扱った作品のいずれかであり、両者とも作品は、その戦争世界にどっぷりと浸かっていました。

 

 ところがこの作品でのキューブリック監督の視点は、あくまでも登場人物や作品そのものを見下すような冷たく、皮肉っぽい、いわば高所から見届ける位置から動くことはない。イギリスに住み着き、彼が遠くから冷静に見つめ直したベトナムはあくまでも他国の問題であり、冷ややかに描写し続けていきます。

 

 戦闘時の撮影のアングルが素晴らしく、『シャイニング』でも見られた、地を這うような視点で語られる映像は独特かつ効果的であり、歩兵の持ちえる視界の限界と無意味な戦争でも這いつくばって進んでいく人間達の愚かさを上手く表しているように思えました。

 

 60年代後半のナンバーからセレクトされた挿入曲も素晴らしい。使われる曲は個性的な曲ぞろいで、オープニングで使われる『グッバイ・マイ・ダーリン・ハロー・ベトナム』、最初の戦闘で使われる『サーフィン・バード』、エンディングでの『黒く塗れ!』などが効果的に使用されている。

 

 特にローリング・ストーンズの大ヒットナンバー『黒く塗れ!』はコッポラが『地獄の黙示録』で使用した『サティスファクション』への当て付けかと思っています。このへんがいかにもキューブリック監督らしい演出とも言えます。

 

 そして最も対位法的な効果を持ち、かつ驚くべきシーンで使われる『ミッキーマウス・クラブ』のテーマ曲。あのような皮肉な使い方はアメリカ人には考え付かない。このクライマックス・シーンを見るだけで十分に、この作品が表した戦争の狂気を知る事になるでしょう。

 

 TV視聴率と政府の宣伝と兵器産業という、三者のためだけの戦争。大義名分は作り出せばよい。軍隊(政治も含めて)の非人間性と市街戦だけで、ベトナム戦争を的確に表現しえた、キューブリック監督のこの作品には、お決まりのジャングルや過度の流血描写は必要なかったのです。

 

 実際に戦闘場面はかなり少なく感じました。それでも戦場の迫力と恐怖は十分にあります。母国アメリカを離れ、イギリス人となった彼だからこそ描けたベトナムなのです。キューブリック、衰えずを実感できた作品でもありました。

 

WHO’s the Leader of the Club that Made for You&Me

 

M-Ⅰ-C-K-E-Y M-O-U-S-E

 

Hei There !Hi There! Ho There! 

 

You’re as Welcome as can be

 

M-Ⅰ-C-K-E-Y M-O-U-S-E

 

Forever Let Us Hold Your Banner High! High! High!

 

Come along and Sing a Song 

 

And Join the Jamboree 

 

M-Ⅰ-C-K-E-Y M-O-U-S-E

 

総合評価 96点

フルメタル・ジャケット

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