良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『2001年 宇宙の旅』(1968)SF映画を見る時のモノサシ(モノリスではない)になっています。

 映画監督としての人材が育たない大英帝国で生まれた名監督といえば、チャーリー・チャップリンアルフレッド・ヒッチコックがいます。この作品を撮ったキューブリックは実際にはブルックリン生まれなのですが、彼の感覚はどう見てもアメリカ的ではなく、イギリス人気質が見えます。

 

 つまり彼はチャップリン監督以来の数少ない英国的センスを継承している巨匠のひとり、その稀有な人がスタンリー・キューブリック監督です。彼自身も英国については居心地が良いのか、気質が合うのか後年は英国に住み着き、外国に出ようとはしませんでした。

 

 英国生まれのチャップリンと英国気質を持つキューブリックの二人の共通点といえば、冷徹な視点と残酷なユーモアのセンスでしょう。また、アメリカで迫害を受け、かの地を去った事も共通します。

 

 チャップリンというと、最も優れた喜劇役者のイメージがあるかもしれませんが、英国時代のフィルムは結構残酷な笑いをとる、まさに英国的なアイロニーに満ちた作風だったのです。アメリカに渡り、『キッド』を撮ってから彼の作風は変化しましたが、本質というか根源には常に醒めた感覚があったように思います。

 

 そして彼と同じく、キューブリック監督の作品には温かみというものは皆無であり、屈折して歪んだような、また見る者からすれば、キューブリックから突き放されたような感覚が彼のフィルムを常に覆い尽しています。この感覚に嫌悪感を持つ人は、全く彼の作品を楽しむ事はできないでしょう。

 

 彼の感覚についていくのは大変ではありますが、独特の世界観が滲み出ている彼の作品群は一見の価値はあります。彼にもユーモアのセンスはあるのでしょうが、『博士の異常な愛情~』や『時計仕掛けのオレンジ』のように表現が過激なため、映画会社にとっては、チャップリン同様に扱いづらい監督だったと思われます。

 

 1968年に公開されたこの作品は、自分自身の中でのSF(ショートフィルムではない)の基準となっている作品です。他の同ジャンルの作品を見るときに何時も「2001年と比べると、どうかなあ」というものさしになっております。

 

 そのためにスター・ウォーズ(勿論エピソード4です。基本的に、いくら僕がフィギュアを100体近く持っていようと、いくら家に50cmのヨーダがいても、去年ビデオも持っているのにまたDVDを発売日前に手に入れても)を観ても、百点はつけられない自分を見つけてしまいます。

 

 スペクタクル、エンターテインメント、感動だけが映画ではないことに、高校で気づいてしまった僕としては、「面白い」というキーワード以外の、「考えさせて、答えを教えない」という、キューブリック監督のイケズなスタイルは、そのあとのものの見方をいろんな意味で変えてくれた作品であり、全ての物事に基準を作るきっかけとなりました。ひねくれたということか!

 

 つまりいいように言うと、物事一つ一つの意味を考えるようになったということです。「何が解らないのかが解らない」というところから始まり、「何が解っているんだろう」というところから始めていきました。作品自体の構成は「人類の夜明け」、「木星探査」、「新たな進化」の3部構成です。

 

  リヒャルト・シュトラウス の『ツァラトゥストラはかく語りき』の音楽と共に、地球、月、太陽の三つの星が並ぶところから、このSF映画の最高峰は幕を開けます。「人類の夜明け」のシークエンスが始まり、第一のモノリスの登場と、一番有名な類人猿が骨を投げ、それが宇宙船に変わるというシーンが後に続きます。

 

 それが実は宇宙船などではなく、核ミサイルの発射装置であったこと、そのバックで流れる、リヒャルト・シュトラウスの『美しき青きドナウ』も、宇宙の美しさを象徴するのではなく、広大な宇宙に対してのちっぽけで下等な人間の醜さを際立たせるための対位法だったことが判明したのは十年以上たってからでした。

 

 類人猿が骨を武器にする事を思いつく時に、再び『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れますが、これは道具を使う最初の猿を、「超人」に見立てたからこそ生まれた演出ではないだろうか。単なる気まぐれで、このニーチェの超人の名を冠した音楽を使ったとは思えません。第一部の主役は、ただ一言の台詞もない、この猿たちです。

 

 弱肉強食の原始時代から、300万年を一気に飛び越えるタイム・スリップを経ても、人間はまるで変わっていない事が、核ミサイル発射装置の映像で明らかにされる。美しく見えるが、これは大量破壊兵器の機能的な美しさであり、滅びの美である。人間の進化の歴史とは、いったいどういう事であるかが暴露される瞬間でもあります。

 

 本質は何も変わっていない、一度に殺せる人数が増えただけという、皮肉な進化です。核爆弾だけでなく、コンピューターをも作り出した人類ですが、判断をコンピューターに任せると結局は人類は滅んでしまうという、現在にも当てはまるような警告を、40年近く前から既にキューブリックは投げかけています。

 

 優れた演出はまだまだ続きます。なかでも素晴らしいのは宇宙空間のシーンが、完全に無音である事です。酸素がない真空状態なので、そもそも音は伝わらない。それでは迫力に欠けるからという理由で、その他のSF映画では効果音を付けていますが、面白さなどには無頓着なキューブリック監督は、リアリズムが見せつける冷淡な凄味の方を選択しました。

 

 無音、無酸素状態を作り出し、閉塞感で作品を覆いつくし、まるで観客までもがディスカバリー号の狭い空間の中に閉じ込められたような感覚を作り出しました。そこから出ると、窒息して死んでしまうのではないかと思わされたら、観客達は難解でも、結末までこの作品に付き合わざるを得ない。月面で第二のモノリスを発見し、再び触れるところまでで映画の第一部は終わります。プロットとしては「人類の夜明け」と「第二のモノリス発見」までです。

 

 映画の第二部は「第二のモノリス発見」から18ヵ月後に木星探査に出発する、宇宙飛行士ボーマン(ケア・デュリア)たちとコンピューター「HAL」との静かで壮絶な戦いを描きます。乗組員達の生命維持装置を故意に止めたり、プール乗組員の酸素チューブを切って、彼を真空に放り出したり、コンピューターのやる事は無慈悲で無駄が全く無い。最終的にHALに打ち勝つボーマンでしたが、仲間はすべて、この狂ったコンピューターに殺されます。これは科学文明への盲信に対する警告である。

 

 第三部では木星の軌道上に新たに出現する第三のモノリスにより導かれて、新人類として更なる進化を遂げるボーマンが、超人としての第一歩を歩みだすところで、この壮大な物語は閉じられます。人間が超えられない「時間」と「空間」の壁を、スター・ゲイトを突き進む事で突破した超人がボーマンです。彼は神なのかもしれません。最後の『ツァラトゥストラはかく語りき』が、新しい神の誕生を祝うように流されます。

 

 環境描写は原始時代、宇宙船内とも完璧でした。まるで原始時代の映像では、そこへ行って隠し撮りをしてきたような映像が収められていますし、宇宙船の映像も、無骨な機能性がより現実味を持たせています。また、最後のスター・ゲイトの映像も、サイケデリックな表現を駆使する事で、時空を超えているように見えてきます。

 

 つぎに演技面ですが、登場人物のキャラクターはかなり没個性的です。演じる役者にも昔、使ったようなカーク・ダグラスピーター・セラーズのようなスターは誰一人出演してはいません。むしろ、感情移入しやすい、生身のスターの存在自体を必要としていなかったのではないでしょうか。

 

 撮り方に顕著に現れているのは、人間に対しての興味が全く見られないことです。人間のクロース・アップはほとんどありません。あるのはボーマンがスター・チャイルドに進化する過程でのもの位で、ほとんどのクロース・アップはHALの赤い「目(実際はモニター)」が独占しています。このような映画表現からも、第二部までの主役が彼(コンピューターHAL)だった事が理解できます。

 

 この作品で、神となるボーマン以外で、キャラクターとして命を吹き込まれているのは「HAL」だけです。コンピューターである、彼が二部での主役なのです。コンピューターである彼が、何故か最も人間らしい。これも狙いなのだろうか?

 

 最後のシーンの描き方も、ある意味で『地獄の黙示録』よりも、もっと狂気を感じました。「神様は宇宙人?」という内容は、キリスト教信者の多い国で受け入れられるものだったのでしょうか?日本のように『恋人がサンタクロース?』とはわけが違う。

 

 あまりに理解しずらい内容だったため、全員判断停止状態に陥ってしまったのだろうか?こういう風に書いていても、やたらと「?」が出てくるのも、自分自身で未だに、この作品を理解できていないからなのだろうと納得させています。

 

 構成は「人類の夜明け」、「木星探査」、「新たな進化」の3部構成です。映像的には第一部の原始の風景での色彩が、現在の自然が害された現状では、皮肉にも撮影し難いという事情もあり、最も優れた映像美があるのではないか。

 

 リア・プロジェクション(実際に現地で演技しているように見せかける技術で、普通よく映画では自動車の運転シーンなどで使われる)をさらに進化させたフロント・プロテクションに使用されているナミブ砂漠で撮られた、山々の岩肌の色合い、太陽光の当たり方の美しさ、猿人の造形などが、驚異的な映像として我々に迫ってきます。

 

 惜しくも、その年のアカデミー賞の特殊メイク部門は『猿の惑星』が受賞しましたが、レベルは『2001~』の方が、数段高いように思います。スター・ウォーズの砂漠シーンも、エチオピアチュニジアで撮られたそうですが、原始の風景はもうこの地球上のほとんどの地域では残っていないようです。

 

 未来の環境で興味深いのは、宇宙ステーション内での女性達のファッション・センス、備え付けの家具や椅子などの小道具、流線型の宇宙船、円環状の宇宙ステーションなどのデザインが、とても機能的であり、なおかつポップな点です。

 

 これらをデザインして、実際にセットに置けるようになるには相当の経費と打ち合わせが必要だった事でしょう。最終的に、この映画には1000万ドル以上の予算がつぎ込まれましたが、ここまで細部にこだわり尽くせば、そうなってしまうのもやむをえない。回転して、無重力空間に見えるように設計された、船内のセットなど何億円もの金を湯水のように使えた「映画バカ」、キューブリックの狂気があちらこちらに見えてきます。

 

 なにはともあれ、キューブリック監督の最高傑作であること、SF映画の最高傑作であることに疑問の余地はありません。また、彼の個性である冷たさ、無慈悲、細部への異常なこだわり、完璧を目指した映像美が一本の中に、見事なまでに集約された作品です。

 

 この難解な作品をいつか理解できる日まで、せめて『2010年』までには理解したいなあ...。むむっ!あと4年しかないので、懲りずにまた見よう。スター・チャイルドはデヴィッド・ボウイのスターマンの親戚だろうかなあ...。ついでですが、ボブ・サップの入場シーンで、『ツァラトゥストラはかく語りき』を流すのはやめて欲しい。だって彼は神ではなく、野獣なのですから。 

総合評価 100点

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