良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『TAKESHIS’』(2005)北野武とビートたけしを、作品にぶちまけた北野武監督の自画像。

 ヴェネチア映画祭の時に、何かと話題になった、北野武監督の2005年の作品ですが、映画に物語性を期待する日本やアメリカの過半数以上の映画ファンには「?」か「???」が頭の中で一杯になる作品であったと思います。決して「!!!」という反応にはならないでしょう。  イタリアが生んだ映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニ監督の作品群になぞらえて、この作品を批評する方もいるようですが、北野監督はあくまでも北野監督であって、フェリーニ監督ではない。似ているようにも思えない。  あえて似ているとすれば、『8 1/2』でフェリーニ監督とマルチェロ・マストロヤンニを同化させるキャラクターの構成でしょうが、あくまでもあの作品では監督役として、マルチェロが出てくるだけであって、一人二役ではありません。  成功者のイメージのビートたけしと、役者志願の北野武は一見すると正反対に見えるかもしれません。しかし常に取り巻きに囲まれているビートたけしは生気のない、つまらなさそうな顔をして、ただ仕事をこなします。夢はあるが、金はない北野武は孤独ではありますが、自由に生きています。  ひとつの作品の中で、このような一人二役をこなすと、心理学的に言えば、分裂症的な症状を示しているという事になるのかもしれませんが、世の中全ての人間のうち、外面と内面が完全に一致しているしている人間などありえない。  もしいたら、そちらの方が病気であろう。北野武監督がこのような自分のこれまでの過去を振り返り、現在の心象を映画で語る、いわば映画という道具を使った自画像を描いたのが、この作品ではないでしょうか。  本作品中には、彼がこれまで出演したり、監督した作品群の引用というかセルフ・オマージュ(パロディ?)が数多く見られます。『戦場のメリー・クリスマス』、『ソナチネ』、『その男、凶暴につき』、『HANA-BI』、『BROTHER』、『座頭市』、『あの夏、一番静かな海』などを思い出させる映像は、これからの彼の方向性を模索するために、これまでの彼自身の過去へ原点回帰しているようでもあります。  いくつかの出来損ないのプロットの断片をさらにバラバラにして、時系列を意図的に破壊し、登場人物の設定もわざと支離滅裂(まるで夢の中で、過去の知り合いと今の知り合いが訳のわからないシチュエーションで出てくるような感じ)にしています。  期待して映画を見ている、北野ファンである観客を煙に巻き、不安に陥れる構成ではあります。が、同じ台詞を違うシチュエーションで使うと、全く違う意味を持つシーンになってくるという、いわば台詞の「クレショフ効果」とでも言ったら良いような実験的な要素を持っていて、個人的にはこのセンスは嫌いではありません。  どちらが現実で、どちらが空想なのか、存在するのは北野武なのか、ビートたけしなのか。どちらも存在しないのか。『ジキル博士とハイド氏』のように二人は一人なのか。混沌とした、モヤモヤ感を残し、作品は閉じられる。  北野監督の現在の心象を受け入れられるのか。それとも受け入れられないのか。長年、北野監督作品を観てきた人には「踏み絵」となる作品かもしれません。彼の感覚を楽しみましょう。万人向きとは言えません。  演技者としては、岸本加代子がパロディ的な、かなり傍若無人で好き勝手な役をやっていて、楽しみながらやっているのがはっきりと解り、見ているこちらも楽しくなりました。京野ことみも精一杯の体当たり演技をしていて、北野作品に懸ける意気込みを感じました。大杉蓮、バウワウ松村もいい味出しています。 総合評価 57点 TAKESHIS'
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