良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『恐竜グワンジ』(1969)時代の興味はすでに恐竜ではなく、宇宙に向かっていたのに...。

  この作品が制作されたのは、『ロスト・ワールド』が公開された1925年ではなく、ビートルズが実質的なラストアルバムとなった『アビーロード』を発表し、キューブリックが『2001年 宇宙の旅』を公開して、話題になっていた1969年だったのです。そういう状況の中で、この作品を発表するのは、あまりにも、古臭すぎる。  レイ・ハリーハウゼンがはっきりと映画制作に関わったといえる、最後の作品かもしれません。もちろん、彼のキャリアは『スパイ・ライク・アス』など、その後も続いていくのですが、彼の才能を当てにするというよりは、昔のノスタルジーを喚起させるために挿入されているような感が否めない。  どういう事かというと、若い監督や若い製作者が、かつて子供の時に、自分達が感銘を受けた、魔術的な特撮映像の権威であるハリーハウゼンを懐かしむような、嬉しがるような、そのような感覚をはっきりと意識できるのです。   出来る予算で、出来る限りの最善を尽くすのが、職人なのです。彼だって、今の映画製作者のように、簡単にCGやらVFX技術を使えるような環境にいたならば、今の技術者達の思いもつかないような使い方をするに違いない。  しかしあくまでも、ハリーハウゼンは、師匠である、ウィリス・H・オブライエンから引き継いだ特撮手法であるストップ・モーション・アニメーションの権威であり、その道を極めつくした職人なのです。賢明な彼は、わざわざ自分の技とは関係ない、CG技術には手を出しませんでした。  しかし、技術の進歩以上に深刻な問題だったのは、時代そのものの進歩と大衆の興味を、映画製作者もハリーハウゼン自身も読み取る事が出来なかったことです。もはや、大衆は神話や御伽噺の怪獣(グリフィン、サイクロプスケンタウルスなど)や、恐竜(トリケラトプスプテラノドン)に対して全く興味を持っていなかったのです。  どういうことかと言えば、1960年代後半からは、SFの主流は『2001年 宇宙の旅』、『猿の惑星』、『惑星ソラリス』、そして1970年代の『スターウォーズ』、『エイリアン』に代表されるように、興味の対象が過去ではなく、未来に向かっている事、なかでも宇宙に向かっているのが、誰の目にも明らかでした。  そんな時に、恐竜が出てきても、誰も喜びません。むしろ嘲笑の対象にしかなりません。予告編で、ハリーハウゼンの名前を見ただけで、過去の遺物であると思われてしまったのではないでしょうか。  暖かい血が流れ、体温を感じる事の出来る怪獣や恐竜を画面に登場させるならば、彼の右に出る者はそうはいません。しかし、何者かも解らない地球外生物を描くには彼では役不足だったのでしょう。冷たい怪獣を作り出す彼を、我々も見たいとは思いません。  宇宙を身近に感じ出した、1960年代という時代の必然から、徐々に映画製作の表舞台から消えていこうとする、ハリーハウゼンの意地と誇りを見せつける、最後の戦いともいえる作品がこの『恐竜グワンジ』なのです。負け戦と分かっていながらも、戦わなければならなかった将校を見る思いです。  この作品において、ハリーハウゼン・ワールドが始まるまで、40分以上待たなくてはいけません。それまではメキシコ?を舞台にした、寂れたサーカス一座の日常を扱っただけの退屈な西部劇を延々と見なくてはなりません。予算無かったんでしょうね。  設定そのものも、南海の孤島とか、カリブの無人島とかではなく、メキシコの片田舎の峡谷が舞台で、その秘境?のなかに、なぜか当たり前のように恐竜達が沢山、今も暮らしているという、あまりにも荒唐無稽なものですから、ハリーハウゼン・ファン以外にはついていけない展開かもしれません。  谷には、グワンジ(ティラノサウルス)、エヒオプス(馬の先祖)、プテラノドン(彼は飛べるんだから、谷に居続ける必要は無いのでは?)、スティラコサウルスがごく普通に暮らしています。ここで、「なんだこりゃああ!」と思ってしまったり、「ありえない!」などと思ってしまっては、せっかくのハリーハウゼン・ワールドは楽しめませんので、しばし現実を忘れ、恐竜達の滑らかな動きに身と眼を任せましょう。  ダイナメーション技術の最高峰を堪能できる作品ですから、特撮が好きな人、恐竜が好きな人にはたまらない映像である事は間違いありません。メイン・イヴェントである『スティラコサウルスVSグワンジ』のシングルマッチは内容の濃い、良い戦いに仕上がっています。  恐竜の色が少々薄紫っぽくて、顔色がすこぶる悪く、不健康そうなのが大いに気になるところでして、低血圧なのか、貧血なのか良く解らないのですが、動きがかなり素早いのは結構ポイントが高い。  ティラノサウルスの首の動きに合わせて、歩行する様子は鳥のようでもありますが、最近は恐竜の祖先は鳥類であるという説も出て来ているようですので、けっして可笑しい映像ではありません。グワンジの体のバランスの取り方も、よく考えられていて、作り物には見えない、まるで実物を見て来たような映像には感心します。  だがいかんせん、何故そこにいるのかという、存在意義自体が希薄であるために、ドラマに厚みが生まれず、名作になり損ねてしまった作品なのかもしれません。ゴジラガメラ、オオダコのように「核」が原因で、異常成長したわけでもなく、「ただそこにいた」というのは説得力がなさ過ぎる。   恐竜を捕まえる、見世物にする、暴れだす、退治するという展開は『キング・コング』と全く同じであり、新鮮味も全くありません。原作はウィリス・H・オブライエンですので、おそらく弟子のハリーハウゼンが師匠の意志を継いで、制作に奔走したのでしょうが、意義をあまり感じません。  馬の先祖エヒオプスをとても大切そうに扱うくせに、もっと貴重なプテラノドンをあっさりプライドのような関節技で絞め殺してしまうなど、訳が解らなくなる不条理もあり、醒めた目で作品を見続けました。小さい頃に、これを見た時の印象は「すごいなあ」だったのですが、今見ると特撮シーン以外にはほとんど見るべきものはありません。  しいていえば、旅回りサーカス団の観客が、最初はぱらぱらだったのが、グワンジを捕まえて、公開する時には満員だったところに演出意図を感じます。また、特撮シーンのヤマ場でもある、グワンジが教会でパイプオルガンの音とともに、徐々に焼け死にするシーンはかなり美しく、グワンジの泣き叫ぶ声も悲壮感に溢れています。  90分あまりのうち、最初の40分は飛ばしても、全く差し支えない作品ではありますが、映画ファンとしては演出上の焦らしとはぐらかしの喜びを感じながら、最初から最後までしっかり見るのが、本道です。  まあしかし、あの教会を建て直すのは大変だろうなあ。   総合評価 65点恐竜グワンジ 特別版
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