良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ローラーとヴァイオリン』(1960)これが大学生の時の作品です。才能は全開しています。

 1960年に大学生の卒業作品として制作された、ロシアの巨匠、アンドレイ・タルコフスキー監督の長編デビュー作品が、この『ローラーとヴァイオリン』です。大学生の時にすでにこのレベルに到達していたというのは驚くべき天才です。  のちのタルコフスキー作品群での有力なモチーフである「水」、「鏡」、「内面」、「音」へのこだわりが後々形成されたものではなく、最初から存在していた事には改めて驚かされます。図形イメージに対するこだわりもセルゲイ・エイゼンシュテインを思い出させてくれました。  後の作品すべては、彼のこれらの興味対象への見せ方のバリエーションであり、常に彼が不動であった事を理解させてくれます。頑固なこだわりを持った映像作家である事を作品を通して、観客に伝えてきます。  台詞を極力排して、映像で語ることを選択した彼は「動画家?」と呼んでも良いのではないでしょうか。フィルムに動く絵画を描いているのが、タルコフスキー監督です。  ストーリーは比較的裕福な家庭に生まれたヴァイオリンを弾くサーシャ少年と工事作業員としてローラーを運転しているセルゲイ青年との暖かい交流とほろ苦い身分の差を描きます。仲良くなった二人でしたが、労働者を嫌う少年の母親のために結局仲を裂かれてしまう。  ソ連という共産国家内でも身分の差は厳然と存在していた事を観客に見せつけます。よく検閲を通ったものだと感心しました。解りにくくはしてあるので、単純なものしか理解できない共産党連中には無害に思えたのでしょう。  ここにもタルコフスキーの隠れテーマである体制批判の芽が既に芽生えていた事を確認できます。45分の作品ですが、映像的にはかなり濃い濃度を持っています。  割れた鏡のイメージがとても不思議で、何か引き込まれていくようでした。図形の連続性も興味深く、まるでエイゼンシュテイン作品を見ているような錯覚がありました。ローラー、風船、林檎、自転車の車輪、鉄球、波紋、ハンドルという円形のイメージが作品にちりばめられています。ビルディングの配置、イスの配置、絵画の配置にも同一性がありました。  遠近感を使った縦構図の画面も多く見受けられ、作品を通してずっと静かな中にも、常に眼を刺激される映像に満ちています。気味の悪い猫のイメージ、かじられた林檎のイメージも強く印象に残ります。  そしてタルコフスキー監督といえば、なんといっても「水」の描写に触れなければなりません。この処女作においても、水の映像の美しさと印象の強さはただ事ではない。水溜り、波紋、雨の質感と色合い、そして水を使った照明へのこだわりも感じます。  水の反射を利用して、日光の光源を水溜りに求め、レフ板のように使い照明に利用するというのは凡庸な監督には思いもつかないのではないでしょうか。  揺れる光を得られるこの照明は、少年自身の揺れ動く心情を示し、作品の雰囲気をより一層盛り上げてくれます。こういった細かいところにも監督のセンスの良さと卓越性を見ることが出来ます。  ただ美しいだけではなく、同じ水溜りでも登場人物の心情に合わせて、明るく撮っていたり、暗く撮っていたりと水で心を表現する技量はずば抜けています。  水を利用した構図がまた素晴らしく、青年と少年が歩いているシーンがすべて詩的であり、絵画的でした。タルコフスキー作品での最も重要なキャラクターは「水」である事をこの短編からも推測できます。  音へのこだわりも尋常ではないようです。鉄球がビルを壊すシーンでの音、雨の音、ヴァイオリンの音色などもただの音ではなく、そのときのキャラクターの精神状態を表しています。子供が劇的に成長する一日というものが確かに存在しますが、それを台詞ではなく、映像で表現しています。  鉄球による破壊は自分の殻に狭く閉じこもっていた自我を解放する意味でしょうし、激しい雨は今までの自分との決別と新生でしょう。ヴァイオリンの音も同様で、最初しっかりと自分を持っていなかった頃の音はバラバラで集中力を欠いていたものが、青年との出会いから少しだけ成長してからははっきりと自分を主張する音が出てきます。  そして皮肉な事に、音によって自分を主張する事が、労働者と芸術家の卵というソ連の中での身分の違いを際立たせてしまいます。普通に演奏している少年とぼおっと惚けたようにその音色に幻惑される青年労働者。  ヴァイオリンを演奏する前に、少年が建物の反響と共鳴を調べるために少しずつ音を出して、最適な演奏ポジションを探す時のチューニング音の素晴らしさを、はっきりと作品に取り込んでいくのも、いかにもタルコフスキー監督らしい完全主義の演出です。  鏡を使ったシーンで興味深いものがひとつあります。少年と母親が会話を交わすシーンがあり、実体である母の表情が全く映らず、背中を向いたままで配置され、鏡に映った母の顔と少年が会話をしているように見せる演出が印象に残っています。  ラストシーンも詩的で、画面左端にローラーが配置され、右端には水溜り(人が頭を下げて、謝っているような形に見えます。)が配置される。少年は右端から画面を横切っていくが、ローラーはそのまま左方向に画面から消えていく。ローラーを追いかけていくように見える少年と徐々に少年から遠ざかっていくローラー。  ローラーは裏切られた青年であり、水溜りは少年の内面世界、実体である少年は強い意志なのではないでしょうか。今後決して結びつく事のない二人の将来を暗示して作品は閉じられます。  タルコフスキー監督に興味を持つ人は是非見て欲しい作品です。彼の作品テーマの多くがすでに出揃っています。脚本はアンドレイ・コンチャロフスキー。 総合評価 86点 ローラーとバイオリン
ローラーとバイオリン [DVD]
IVC,Ltd.(VC)(D)

ユーザレビュー:
タルコフスキーの卒業 ...

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る

ローラーとバイオリン [DVD]