良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『隠し砦の三悪人』(1958)一作で燃え尽きた、上原美佐の一世一代の大仕事。

 『隠し砦の三悪人』は黒澤明監督の手がけた作品の中でも、映画ファンには根強い人気を誇る作品ですが、黒澤フリークの間ではそれほど評価の高い作品ではありません。なぜなのでしょう。個人的には好きな作品でして、年一回は必ず見るのですが、その都度新しい発見があります。  ストーリー自体はのちに『スター・ウォーズ』でほぼそのまま使われたことからも分かるようにかなり単純明快なものでした。『スター・ウォーズ』を観た人には是非観てほしい作品で、どれだけジョージ・ルーカス監督が黒澤作品を愛していたかが手に取るように分かります。  佐藤勝の勇ましいマーチ音楽とともに幕を開けるこの作品は主演に上原美佐という全くの新人を大抜擢して製作されました。演技経験の全く無い彼女を黒澤映画の主演に据えるというのは理解しがたい部分もあります。実際彼女の演技はエキセントリックな声の印象があまりにも強く、はっきり言ってお世辞にも上手いとは言えません。  ただ黒澤映画で、戦国時代の浮世離れした「姫君」を演じるには、手垢のついた職業女優よりも、新鮮な彼女が必要だったのかもしれません。周りを固める千秋実藤原釜足の二人がかなりアクの強い演技をすることで、彼女の新鮮さは一層際立っていたのは間違いありません。  上品で美しい容姿と対をなす金切り声で叫ぶような彼女の演技には賛否両論あるとは思いますが、黒澤作品の他の主演女優に比べても、個性的で忘れられないキャラクターを演じきったと思います。  そして彼女は残念ながら、このスペクタクル娯楽時代劇として有名な『隠し砦の三悪人』という、黒澤明監督の絶頂期におけるたった一作品で、彼女自身の女優生命をも燃え尽くしてしまった感があります。  実際この後の彼女のキャリアは陽炎のように印象が薄く、『独立愚連隊』、『ある日私は』、『大学の山賊』など岡本喜八監督作品に数多く出演しているのですが、この作品のような存在感と精彩は全くありません。そして彼女はいつのまにか引退し、完全に映画界から消えてしまいました。  いくつもの作品に顔を出す常連組が大多数を占める黒澤作品の俳優の中で、ヒロインとして一作だけに登場して、強い印象を観る者に与えたのは彼女と京マチコのみです。演技力では比較にはなりませんが、一瞬だけ光る女優、俳優がいることを理解できました。  新鮮な彼女とは全く対をなす、世慣れてずる賢く、性欲の塊で、臆病だが貪欲な足軽百姓を演じた千秋実藤原釜足の両人にとっては、彼らが出演したすべての黒澤作品中でも一番のマスターピースとなりました。胡散臭く、泥臭く、汗臭く、そしてコミカルな彼らは最高のはまり役を得たのではないでしょうか。道化役として、狂言回しとして完璧に機能していました。  冒頭で、加藤武雄が斬られるシーンからずっとスペクタクルが続くこの作品は娯楽性と芸術性が見事に融合した傑作時代劇です。斬られた時に、雲が流れていき、光の強さが画面内で変わる映像はモノクロという制約の中でも色と躍動感をしっかりと観客に意識させるものでした。  コミカルな凸凹コンビを完璧に演じた二人には大笑いさせられました。池に突き落とされて、三船の顔色を窺いながら米を研ぐシーンの面白さや命が危なくなるたびに泣き言を二人で言い合うのに金を運ぶ段になると途端に欲の皮が突っ張ってくる対比の可笑しさがたまらない魅力を与えています。  もちろん、黒澤映画には欠かせない三船敏郎は今回もヒーローを演じていて、素晴らしいシーンも多いのですが、今回は普段脇を固めている千明、藤原の凸凹コンビが非常に頑張ったおかげで脇役のようでした。それでも十分に彼の男臭さは画面を占領しています。  彼の登場場面でもっとも素晴らしかったのが、複数のカメラのパンを最大限に生かした三船敏郎による追跡シーンでした。三船は三人の敵が馬で逃げるのを馬で追いかけて、つぎつぎに打ち倒し、相手の陣屋まで入っていきます。  このシーンを複数台のカメラを道の各所に配置して、各々のカメラのパンの角度の幅を最大に使い、一気に長回しで撮りきった撮影陣の技術の素晴らしさには感嘆します。画面の展開からドリーを使って撮影したように見えるかもしれませんが、これはマルチカメラの特徴を存分に活かしたパンの効果です。撮影には何度か失敗したようで、三船の馬の尻しか映っていなかった映像などもあったそうです。  この後に続くのが三船敏郎と藤田進の一騎打ちの場面です。騎士道精神に溢れる二人のやり取りとその後の戦いはこの作品中のハイライトでもあります。静寂に包まれ、陣幕に隔離されたように入り込み、決闘を続ける二人の男の映像は力強く、息を呑む緊迫感があります。  肉体の軋む音、槍の唸りが聞こえてくるほどの静寂と迫力は他の作品でもなかなか見られない。この決闘シーンは後の展開への布石となっています。『姿三四郎』の姿、『虎の尾を踏む男達』の富樫など藤田進は初期黒澤作品には欠かせない俳優でしたが、久しぶりに彼には良い役が回ってきました。  またモブ・シーンの卓越性は黒澤監督作品の特長のひとつなのですが、ここでも城での反乱の後に何百人ものエキストラが織り成す騒乱シーンの見事さは他の監督では真似できません。  特に城門を壊して脱走兵が城外に出るところは出色の出来栄えです。他にも残党を追跡している将兵達の動き、歓楽街での猥雑な賑やかさ、火祭りでの踊りの躍動感など見所満載に仕上がっています。  音響が格段に向上しているのも見逃せない点です。音楽はもちろん、効果音、台詞ともかなり聞きやすくなっていて、黒澤映画=音が悪く、聞き取りにくいという悪評を吹き飛ばす素晴らしさでした。  火祭りシーンではモブの素晴らしさ、音楽の素晴らしさ、光と陰の使い方の妙、映像の素晴らしさ、脚本の素晴らしさが一体となった、忘れられないシーンです。ここでは格闘も銃撃も争いも何もありません。ただ皆が踊るだけなのですが、黒澤映画の良さが集約されているシーンであるともいえます。  アップ映像もあるのですが、極力無駄なものは排除して、シーン全体を画面に取り込む、物語重視の姿勢に好感が持てます。ロング・ショットによる構成が多く、金と姫追跡に絡む群像の様子を客観的に纏めていきます。娯楽性の高い時代劇、なおかつスペクタクル要素の強い群像を描いたこの作品だからこそ、このような画面作りをしたのでしょうか。  あくまでも作品の世界観が第一である事を画面からも察する事ができます。黒澤監督の世界を示すのが、黒澤映画であり、彼の美学で固めた芝居の中でしっかりと演技できるのが黒澤組なのです。  完璧な映像は入念なリハーサルから始まり、芝居が固まってからカメラを回すという黒澤スタイルは、TVタレントが安易に映画に出て、スケジュールなど時間の制約が多い、昨今の現状では、機能しません。映画会社は今の監督達に作品をより高めていく余裕を与えていません。そのために消化不良のまま、市場に出てきてしまう作品が後を絶ちません。  この作品が公開された1958年は日本映画の最後の絶頂期であり、こののちは製作者にとって、自由な環境は二度と生まれてきていません。世界中にファンを持つ黒澤明監督にとっても例外ではなく、映画界自体の流れは悪い方向に向かっていき、60年代中盤以降、彼を取り巻く環境も悪化の一途を辿ります。  それでもこの作品は今でも輝きを保っています。娯楽性、芸術性、音楽性において現在の監督達がこれを超えていると自信を持って言える人はいったい何人いるのだろうか。また黒澤フリークがこの作品について、納得できない要素として挙げるのが、作品の精神性の浅さとについての不満でしょう。  黒澤映画としては珍しく単純なストーリーで、深く考えなくて良い作品として仕上げられているのですが、明るい娯楽作品ではダメなのでしょうか。常に暗く深刻でなければならないのならば、黒澤映画は世界中の人を魅了しえたでしょうか。個人的には素晴らしい作品だと思います。 総合評価 92点 隠し砦の三悪人
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