良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『モスラ』(1961)綺麗なモスラと薄汚い人間たち。『モスラの歌』は古関裕而作曲だった。

 モスラというと、あのヴィジュアル性がもちろん強く印象に残るキャラクターです。そして、さらにこのモンスターを怪獣映画のベビー・フェイスとして不動の位置に押し上げたのが、ザ・ピーナッツが演じた小美人と彼女らが歌う『モスラの歌』でした。  ♪モスラ~や モスラーー ドンガンカッタームヤ~ インドンムー♪(モスラー以下は適当です!だってあれ日本語じゃないですもの。)  強烈に耳に残る、あの歌を作り上げたのは音楽ファンも映画ファンも聞き慣れない名前です。作詞者の名は「由起こうじ」となっているのです。じつはこれは田中友幸(製作)、関沢新一(脚本)、本多猪四郎(監督)の三人が『モスラの歌』の作詞を手がけたときに付けられたペンネームだったのです。  そして今回、音楽を担当したのは佐藤勝でも伊福部昭でもなく、古関裕而でした。彼が怪獣映画の音楽を担当したのはこれ一本(のちに平成ゴジラシリーズの『ゴジラモスラ』でもクレジットされていますが、ただの使い回しをしていただけ)でしたが、『インファントの娘』とともに特撮映画史上忘れられない楽曲のひとつとなりました。  俳優陣の充実も見逃せません。『山椒大夫』や『近松物語』など後期・溝口健二監督作品には欠かせない主演女優だった香川京子、『幕末太陽傳』で有名な川島雄三監督作品の主演俳優を数多く務めたフランキー堺黒澤明監督の代表的な作品『生きる』の主役を張った志村喬東宝を代表する錚々たる顔ぶれを揃えたこの作品はあくまでも怪獣映画なのですが、東宝のこのジャンル映画への他社とは比べ物にならない意気込みを感じさせてくれます。  今回の目玉は当時人気絶頂だったザ・ピーナッツの起用でしょう。しかも小美人という設定は見事としか言いようが無い。怪獣だけの特撮使用だけでなく、ドラマ部分でも常に特撮映像を生かした映画作りを実践したのは本田監督のこだわりでしょうか。  彼女らの印象的な歌と可愛らしさから来る魅力は他の作品では味わえない独特なアクセントを作品に与えている。異国情緒溢れるインファント島のシーンを含め、この作品だけが持つ、異質の雰囲気を上手く作り出しています。イコライジングされている彼女達の声も耳に残ります。  フランキー堺の素晴らしさも特筆すべきもので、この作品だけではなく、『世界大戦争』での演技も絶品で、圧倒的な個性を作品で出しながらも、作品世界に調和する彼の素晴らしさを見て欲しい。喜劇も出来て、悲劇も出来る艶のある三枚目を演じられる得がたい役者さんでした。  音楽及びドラマ部分がしっかりしているので、あとはもともと優れている円谷英二率いる特撮技術部門が普段どおりの仕事をし、本多監督が普段どおりに演出すれば、出来上がってくる作品が素晴らしいものになるのは明らかでした。  脚本自体は『キングコング』以来の伝統である人間の私利私欲がもとになり引き起こされる大パニックと、自然世界と文明世界との埋められない溝を描いています。初期ゴジラ・シリーズ及び怪獣(異物と表現した方が妥当かもしれません)単体で勝負した『空の大怪獣 ラドン』、『モスラ』はどれもシリアスで、映画自体の客層も子供向けではなく、大人仕様で製作されていました。  そのため40年以上の年月が経過しても十分に鑑賞に耐える作品として生き続けているのです。初期ゴジラや単体物の作品には今でも強い生命力を感じるのは僕だけではないだろうと確信しています。  後に始まる平成ゴジラシリーズはオリジナル・ゴジラ(1954年度版)以外を全て無かったことにして再出発したはずでしたが、出てくる敵役はキングギドラモスラメカゴジラ、モゲラ、デストロイア(オキシジェン・デストロイヤーを連想させる名前)、ラドン、ベビーゴジラ(ミニラまで!)など昭和シリーズそのまんまを持ってくるという大失態を何度もやっています。  口では昭和シリーズを否定しながら、敵役として使うのは既製のキャラクターというのでは芸が無さ過ぎます。『ゴジラキングギドラ』までは昭和シリーズを愛する者でもノスタルジーとともに映画館で楽しんで観たものです。  しかしモスラメカゴジラが復活した時には正直ウンザリしました。クリエイターたちは一体何をしていたのだろう。脚本がグダグダなのはもちろんですが、ゴジラをどうすれば、もっと作品中で活かせるかという基本姿勢が欠落したまま、だらだらと続編を乱造するのはいい加減にして欲しかった。  映像的な見所としては島から連れ去られてきた小美人がショーの見世物として、小さな馬車に乗せられながら、『モスラの歌』や『インファントの娘』を悲しみを込めて歌う様子と、それを単なるショートしてしか知覚していない多くの日本人観客の笑顔と好奇の視線との対比です。  彼女たちを見世物扱いしかしなかったくせに、一部マスコミが騒ぎ出すと、手のひらを返すように「可哀想だ!」と付和雷同し始める一般大衆の無知と低レベルは戦後60年以上経った今もまったく変わってはいない。  なおこの『モスラの歌』は古関裕而の手によるものなので、伊福部昭が音楽を務めた『モスラ対ゴジラ』他、昭和シリーズ全ての作品では一切使用されることはない。伊福部音楽で使用されるモスラのテーマは『小美人の祈り』、『マハラ・モスラ』、『聖なる泉』の三曲です。  伊福部作品で、特に印象に残るのは『マハラ・モスラ』でしょうか。♪マハラ~~マハラ モスラ~~♪平成版では伊福部音楽も古関音楽も仲良く使われています。平成版の節操の無さは音楽でも徹底されております。  もうひとつの見所はなんといっても、首都東京を破壊する意図はまったく無いのに、結果としてさんざん荒らし回ったモスラが、孵化する場所に東京タワーを選び、モスラ三変化(幼虫→繭→成虫)のダイナミズムを見せつける場面です。  子供から大人までを一本で見せきり、しかも幼虫としても成虫としても記憶に残るキャラクターとして成立させました。夕暮れ時に繭を張り、孵化に備えるモスラは映像としてとても美しい。  当時はまだ珍しかった、カラー映画へのこだわりというか、色の大切さも画面を見ると伝わってきます。丁寧に色を決めていった色彩の美しさを味わいたい。原色溢れるが、毒々しさのないインファント島やモスラの成虫の美しさに対する、灰色と茶色ばかりが目につく東京のゴミゴミした様子はどこかもの哀しい。高度経済成長ばかりに目が行き、その他の大事な文化や風俗を急速にどんどん失いつつあった当時の日本を見事に切り取っています。  十字架と教会の鐘が重要な意味を持つクライマックスでの都市破壊シーンでは、モスラの風圧で吹き飛ばされる乗用車や看板など迫力ある映像が続きます。シンメトリーと対比に拘った作品でもありました。二人の小美人、調和、悪の探検隊と正義の探検隊、破壊と平和、羽を広げたモスラモスラを誘導する図形イメージ、ラストシーンでのインファント島の祭事などにそのようなイメージを感じました。  作品のテーマは「平和」と「反原爆」でしょうか。街を破壊しまくっても、非難されることのない唯一のモンスターかもしれません。小美人を救うためにやってくるだけというように破壊理由がはっきりしているからでしょうか。  またこの作品は後の凡庸な作品群のようにせりふの中に無理やり「平和!平和!」とステレオタイプに連呼するような下品な仕上がりにはされていません。  フランキー堺ザ・ピーナッツ香川京子、そしてモスラが明るいキャラクターであるのも手伝い、楽しい気分で映画館を出られる娯楽映画の王道を歩む作品でした。 総合評価 82点 モスラ
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