良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

映画の面白さって、一体なんだ?(1)映画ファンとして、人から聞かれて困る言葉ナンバー1!

 知り合いや職場の人々の間には、すっかり映画オタクであることがばれてしまっている僕はしょっちゅう、ある決まった質問をされる。それは「OOは観ました? 面白い?」が最も多く、「一人で観るんですか?友達と観るんですか?」が二番人気で、「どの映画が面白いですか?」が三番人気、そして「どんな(ジャンルの)映画を観ますか?」が四番目に来ます。

 二番目はその時々によって違うし、四番目は個人の嗜好によってずいぶんと違ってくる。そして問題なのは一番目と三番目に出てくるキーワード、つまり「面白い」なのです。一見すると簡単だが、深く考えると、これがなかなか難しい。

 「面白い」って、一体何に関してのことなのでしょうか。ほとんどの人が言う、「面白い」とは結局は物語についてであり、言い換えれば、そこだけに集中していることに気づきます。何故物語だけに拘るのであろうか。みんなが観ているのは映画であり、小説ではありません。

 映画とは環境(背景やセット)、音響(効果音や音楽)、道具(小道具や衣装)、演劇的なもの(芝居)、絵画(写真も含まれる)、文学(小説や戯曲)の六つが融合して、新しい何かを表現している芸術です。だから映画は長い間、こう呼ばれてきました。第七芸術であると。

 映画を観るとはその限られた1時間半なり、2時間のなかで、これら6つの要素が如何に絡み合い、ひとつの作品を構成しているかを探ることなのです。物語だけに特化して、それの印象のみで映画全体を語るのはあまりにも近視眼的ではないでしょうか。

 語るときに一番手っ取り早いから、物語に集中した批評やコメントが映画界全体を支配していったのか。誰でも分かりやすい切り口が物語性についてのことなのかもしれません。ただこれも本格的に語っていこうとすると、公正を期すために文学批評のやり方で読み解いていかねばならなくなり、かなり難しくなってきます。

 それを意図的か、または本能的に避けるためのマジック・ワードが「面白い?」なのです。「面白い?」を発するだけで、それを聞く人も自動的に物語について聞かれているのだと理解しているのも、よくよく考えると物凄いことではないでしょうか。

 はっきりと言葉では言えないけど、面白いかどうかだけは答えられる(この本能的な判断力も凄い!)。言ってあげたい。「よっ!印象派!」。まあ、極論すると、すべての映画批評は印象派なのですが、あまりにも「印象派的ストーリーのみ重視派」が幅を利かせる寂しい状況です。

 映画雑誌を見ても、ストーリーについてのどうやこうやとか出演者インタビュー(ほとんどがただの宣伝に過ぎない)、気の利いたほうでも前作との演技の違いについての記述が申し訳程度あったり、その他はゴシップやDVD情報ばかりで読むに耐えない。雑誌でも「面白い」が跋扈しています。

 「面白い」でも良いのですが、「何故面白いのか」という論拠を示すべきでしょう。「これこれこうだから、面白い。」と語って欲しい。論拠があって、はじめて違う意見も言える。意見は違って当たり前だから、自分の意見を持つべきです。

 自分の気に入った映画を貶されているのは辛いものですが、言われている意見に対して、では「何が気に入らないのか」という部分をもっと掘り下げていくべきでしょう。何かを読んで、わだかまりがあった時には他所の板に「荒らし」の書き込みをするのではなく、その感情を文章にする必要がある。建設的な前向きな見方をしていけば、批判だけの文章にはならないとは思うのですが、あちこちで荒れているサイトを見るのは寂しい限りです。

 それはさておき、共通理解として、この「面白い」はストーリーについてのことを指すことになっているようです。ではどうしてそうなっていったのか。TVドラマに代表される、TVというメディアの影響が大きそうなのは明らかです。

 戦後日本の近所の話題はTVであり、視聴率を気にするようになったTV局も視聴者の気を惹くために取っつき易く、そして分かりやすい番組を重視していきます。近所で語られる時の共通の切り口は「面白い」でした。視聴率30パーセントを超える番組がゴロゴロ転がっていた、TVマンにとっては夢のような時代だったようです。

 戦後にTVが果たした役割は非常に大きく、そこで培われた基準が「面白い」だったのでしょう。フジテレビの「面白くなければ、TVじゃない」というキャッチコピーもありました。突っ込みを入れたい。フジにとって「面白い」の基準とは何なのか。

 80年代後半から始まった、多チャンネル時代の流れ。それはWOWOWやNHK-BSなどのBS放送、ケーブルTV、そしてスカパーに代表されるCS放送が見られるようになった、ここ15年くらいにすぎず、まだ20年にも満たない。しかし視聴番組を選ぶ機会が増えてきたため、選ぶ基準も必要になってくる。いつまでも「面白い」だけで良いのだろうか。

 変わる可能性があるのはあと20年後くらいでしょうか。PCや多チャンネルが小さい頃からあった現在の子供たちが社会に出て、責任あるポジションに就くであろう時代になれば、豊富な映像に囲まれた彼ら世代から価値観が変わるような気がします。それは先のお話。

 「面白い」にはお話への感情移入だけではなく、その番組から得られる「刺激」も含まれるようです。センセーショナルなものほど面白いとされることが多い。ショー化されたニュース番組や過激な言動を持て囃すマスコミの姿勢を疑問に思う人も大勢いるでしょう。

 では映画はTVと比較して、何が一体違うというのだろう。ゴダールはその違いについて「TVは受信されるもので、受像機から直接我々の眼に入り込もうとするもの、映画は投影される映像を我々が主体的に見るもので、根本的に違うのだ」という趣旨の事を語っています。

 積極的にかかわる映画、受身でかかわるTV。楽なのはTVであり、判断する必要なく、メディアの価値観を押し付けてきます。基本的に一方通行なのはTVも映画も同じではありますが、映画館まで足を運び、映画を選択する、そして見ず知らずの周りの人たちの反応も併せて観れる映画館の連帯感はTVでは決して味わえない。

 しかし最近は映画館慣れしていない者が多く、人に迷惑をかけているのに全くお構いなしという輩が大勢映画館に押し寄せてくる。平気でしゃべる、物音を立てる、途中で抜け出す、携帯の着信を響かせるなど公共とプライベートの区別も付かない奴がゴロゴロ押し寄せてくる。「おれさま」的な勘違いした輩は年齢に関係なく存在する。

 これはモラルの問題もあるが、TVの影響ではなかろうか。どのタイミングでも自分のペースで見られるTVと決められた上映時間と多数の人が集まる空間を共有する映画館とではおのずとルールも違ってくる。それすら分かっていない。挙句の果てに、そういった奴に限って、平気で言う。「面白くなかったな。」と。「面白くないのはお前の態度だ。」と言いたい時もある。

 鑑賞姿勢も含め、TVが及ぼした悪影響は映画鑑賞にも大きく現れてきている。TVドラマと映画とのタイアップ、宣伝の胡散臭さ、俳優の劣化からくる作品の質的低下は深刻な問題なのではないでしょうか。

 ドラマの延長を大スクリーンで観る意味とは一体なんであろうか。映画にTV的手法を取り入れた作品も増える一方で、見るに耐えない映像汚物を垂れ流し、監督面や役者面している様子は滑稽だ。

 観る者(観客)、作る者(製作スタッフ)、出る者(俳優)、配る者(映画会社)、御触れをする者(TVや雑誌等の宣伝媒体)ら映画にかかわるすべての立場の人々のレベル低下が日本映画だけでなく、ハリウッドも含めた映画界全体を駄目にしている。

 解決策はあるのだろうか。十年経ってもまだ、「面白い」が支配する世の中なのであろうか。人から聞かれるたびに、「うーーん。」と口籠もってしまう自分がいる。「面白い」と言ってあげたほうが良いのか、それとも詳しく要素で分けて説明していったほうが良いのか。

 まあ期待している答えは「面白い」でしょうから、言いたい事は敢えて言わず、ニコッとして、「面白かったよ。」と言ってあげるべきなんでしょうね。「面白くない」けど。(続く)