良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『イワン雷帝 第二部』(1946)スターリン体制に抵抗した革命的映画作家の最後の作品。

 かつての巨匠、エイゼンシュテイン監督の最後の作品となってしまったのが、この『イワン雷帝 第二部』です。『戦艦ポチョムキン』を発表して後は世界を代表する映画人になったエイゼンシュテイン監督も、晩年は再三に渡る制作中止とスターリン体制からの弾圧により、彼本来の創作嗜好とは明らかに異なっていたであろう時代物を撮ることに明け暮れざるをえなかったのは世界の映画芸術の進化にとっては大きなマイナス要因であったのではないだろうか。  しかも、それすらも言論弾圧を強行に実践していた戦時下及び終戦後の冷戦構造を生み出していくスターリン体制下では必要以上に干渉され、この作品でさえ公開されたのはスターリン死後の、実に制作されてから10年以上も経った1958年になってからでした。もちろん製作者エイゼンシュテイン監督自身も既にこの世にありませんでした。  イワン雷帝が親衛隊を重用しながら独裁制を断行し、邪魔な政敵を次々に破滅させたり、雷帝自身の疑心暗鬼な心理状態が拍車をかけて、かつての友人であっても容赦なく死に追いやっていくダークな様子がスターリンが実行している現実の政権運営に重なるために、エイゼンシュテイン監督は当局からも厳しい目を向けられていたようです。  古今東西に関わらず、強大な国家体制を作り出した権力者が国内を統一したあとに向かう先はかつての大功ある部下達の粛清であることは避けられない政権長期安定への過程である。劉邦漢帝国の皇帝となった後には彼を助けてきた韓信、鯨布らが粛清されました。  わが国でも関が原の戦いで大功を示した福島正則加藤清正らの大名たちを、国替え、代減封、参勤交代によって徐々に疲弊させて、最後に改易して家を滅ぼす政策が江戸幕府によって実践されました。  ナチス・ドイツでも初期に大功のあった突撃隊のレームが粛清されました。スターリン体制においてもトロツキーの粛清などは有名でしょう。支配権を握った権力者の本質を鋭く指摘したこの作品を見て、喜ぶ権力者は一人もいまい。スターリンも当然気付いた事でしょう。  芸術や文化も例外ではなく、エイゼンシュテイン監督もかつての威光はすでに地に墜ち、体制側からすると有名ではあったが、単なる危険人物のうちのひとりという程度の重要性しかない人物になっていったのかもしれません。つまり厄介者です。この『イワン雷帝 第二部』にしてもエイゼンシュテイン監督の生前に公開されることはなく、前述したように公開されたのは1958年になってからでした。  第三部の制作予定もあったようですが、エイゼンシュテイン監督はその制作には入らずに、そのまま1947年に心臓発作で死を迎えました。悲嘆に暮れて亡くなったのか、厄介事に関わらずに済んでせいせいしていたのかは定かではありませんが、映画界にとっては偉大なる才能の損失であったと言えます。  第二部の中でもっとも重要なのは後半のカラーパート部分であるといえます。前半部分はほぼ第一部で記述した技法をそのまま使用しているだけなので特記することもありません。それまでのモノクロの画面から突然カラーに変化するのですが、色彩にも強いこだわりを見せていました。つまり、カラーというよりは赤黒映画とでもいった趣のある芸術性を強く感じる作品になっていくのです。  色彩を意図的に、そして観る者の感情を一定方向に誘導するために用いようとする彼の目論見を発見するのは容易ではあるが、ただその美しい真紅に染まったスクリーンを見つめるだけでも十分に楽しめる。  驚かされるのはここで使用される赤の発色がとても美しいということです。滑らかで艶やかで綺麗としか言いようのないこの赤の美しさを1940年代のロシア映画は表現し得たのです。作品の背景に描かれるキリスト教世界の教会でよく見かける宗教絵画もとても良い色合いが出ています。建築物も宗教色が色濃く出ています。  ロシアはもともとキリスト教国家なので、このような宗教的な儀式や建築物が作品に大きく関わってくるのも、この作品が宗教弾圧も行った革命ロシア体制によって陽の目を得ないような処遇を受けた理由の一つだったのかもしれません。  何回かビデオで見たこの映画を今回初めて映画館の大スクリーンで観ましたが、細かいところまでフィルムに定着されていて、まさに驚異的な美しさを今でもわれわれに見せてくれました。ロシア映画界はハリウッドとはまた違う進化の道を歩もうとしていたのではないでしょうか。そのまま自由に伸び続けられなかったのは口惜しい。  カラーパートはアメリカ映画お得意のミュージカル風の楽しい場面と非情な政敵粛清の場面で使われている。コザックダンスなどの民族舞踊を大胆に取り入れたこのシーンはこの映画の最大の見所である。弾圧や統制がなければ、もっと芸術的に自由で奥が深い映画を見ることも可能だったのではないかと思うと非常に残念です。  抑圧の中から生まれる芸術も存在するのかもしれませんが、基本的には自由な表現が認められてこそ、芸術は新たなステップに進んでいくのではなかろうか。ロシア・フォルマリズム運動は構造主義のきっかけの一つだったのみならず、モンタージュ理論にも大きく影響を与えていたのではないだろうか。  ではモンタージュ理論から進化して、映画界を先導した映画論はその後あったのだろうか。エイゼンシュテインの革新的思想の精神を受け継いだ映画人は果たしていたのであろうか。これから映画はどのような方向に進んでいくのであろうか。  あの厳しい共産主義体制下にあって、鋭い視線とカメラの目を権力者スターリンに向けていった革命的芸術家としての壮絶な生き様を貫くことこそが、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督が彼の後に続くべき者たちに、己の身を持って示した映画芸術への愛情であり、最後の貢献だったのではないだろうか。  「ペンは剣よりも強し」といわれるが、「カメラも剣よりも強し」である。もしあるのであれば、エイゼンシュテイン監督はオーソン・ウェルズ監督やチャップリン監督とともに映画の殿堂に入るべき人であろう。 総合評価 70点 イワン雷帝/セルゲイ・エイゼンシュテイン-人と作品-

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