良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ロスト・ワールド』(1925)特撮映画の夜明け。全てはここから始まった。

 観る者の目をスクリーンに釘付けにし、映画会社の宣伝文句も一番考えやすく、家族全員を映画館に動員するのに最も適したジャンル映画といえば、現在ならばディズニー映画、スタジオ・ジブリ映画に代表されるアニメ映画、そして一昔前ならば怪獣特撮映画だったのではないでしょうか。  かつての威光は薄れてしまった感は否めませんが、近年でも『小さき勇者たち ガメラ』『妖怪大戦争』などはある程度の成功を収めました。このような時代の流れは怪獣映画ファンには辛い状況ではあります。  しかし映画芸術にとっては普遍的な映画、つまり映画でしか表現できないフィクション映画の代表的なジャンルであることに変わりはないので、いつかまた晴れの日も来るさと信じて、旧作の再検討をしていこうと思っています。  そして今回採りあげたこの作品『ロスト・ワールド』はスティーブン・スピルバーグ監督の大ヒット作品である『ジュラシック・パーク』の続編として製作された『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク2』ではありません。  これはオールド特撮映画ファンにはお馴染みのクリエーターである、レイ・ハリーハウゼンの師匠にして特撮の神様とも言えるウィリス・H・オブライエンが7年もの歳月をかけてコツコツと制作していったストップ・モーション・アニメーションを全篇に活用して、当時の映画ファンをアッと言わせた、まさに特撮映画のオリジナルといっても良い作品なのです。  もちろん当時の技術には限界があり、今の目で見るとカクカクしたストップ・モーション特有のフリッカーに対して失笑が起こるのはやむを得ません。しかしこれが撮られたのは1925年、つまり日本はまだ大正時代という昭和ですらない時代でした。そしてまた、このころすでにアメリカの映画技術はここまで進んでいたことにたいしては驚きを禁じえません。  たかが映画だという方もあるかもしれませんが、映画とはその国の持つ文化、想像力、テクノロジーがもっとも発揮される分野であるとも言えるのです。そしてそれらの総和が良い作品を生み出す基盤であり、国力を判断するのに使いやすい規準ではないでしょうか。  トリック撮影を実現する個人の能力、それを支える映画会社の資金力と出資者の持っている力を知るだけでも、当時わが国が迎えようとしていた閉鎖的で締め付けが酷い時代を見比べれば、かの国の自由な表現を約束され、活動していた映画人たちとわが国の状況とでは雲泥の差があったことを思い知らされます。  まあ難しい事はさておき、この作品の素晴らしいのはそのオリジナリティとクオリティの圧倒的な高さにあります。たしかにフリッカーは不自然に見えるかもしれませんが、その動きを除けば、『ジュラシック・パーク』との違いは一体何があるというのでしょうか。  じっくりと『ジュラシック・パーク』を見ると判ることなのですが、動きの付け方というか恐竜たちのさまざまなアクションには、オブライエンのそれとスピルバーグのそれにはなんら変わりはない。つまり、両作品とも本質は同じだということなのです。これって実は物凄いことだと思います。  いいかえれば想像力の面で、何十年も後にこれ以上はないと思えるほどに恵まれた環境下で製作したスピルバーグ監督を持ってしても、このオブライエンのアナクロ的な労作である『ロスト・ワールド』のイメージの残像を超えていない、もしくは払拭できていないのです。  この事実に気付けば、いかにオブライエンという人が優れた制作者であり、創造力に富んだ人だったかが理解できるのではないでしょうか。20年代の動画にまだ慣れきってはいない観客にとっては太古の巨大な恐竜たちが活き活きと躍動し、スクリーン上を暴れまくる映像を観るだけでも相当なショックを受けたのではないだろうか。  『ジュラシック・パーク』を劇場で観た時には本当に驚きましたが、それはあくまでもCGの精巧さに驚いただけであって、恐竜そのものの動き方や戦いのシーンの構成についてではありません。だってすでにこの『ロスト・ワールド』で大半の動きは試されているわけですから。  当時のインテリ層の観客の中には、子供を守ろうとするトリケラトプスの母親の映像を観て、失笑した人もいたと言いますが、実際のあの時代を観た人は誰もいないわけなので、批判するのはおかしい。  いつもただ批判するだけの人はいますが、そういう人に限って行動はしない。一クリエーターであったオブライエンはさまざまな資料や自分のイマジネーションを信じて、あの素晴らしい恐竜たちに命を吹き込みました。  それらの映像はこれから成長していこうとしていた子供たちにとってはのちの『キングコング』と並び、大きな影響力を持った作品であったであろうことは間違いありません。そして、この作品がこれから出てくる後続の作品群にとっては越えねばならないハードルになっていきます。  ステゴサウルス、プテラノドンブロントサウルス、トリケラトプスアロサウルスが実物がそうであったように悠然と歩き回る様子はまさにスペクタクルです。芸が細かいなあと思えるのは彼らが歩き回る周りには川があり、この川はアロサウルスが戦闘を続けているときもブロントサウルスが死に掛けている時もずっと流れ続けています。  恐竜達はストップ・モーションで撮られるわけですから、当然流れている川はマット合成によるものか、もしくは最後に川の流れをリア・プロジェクションのように映写して、それと恐竜場面とを合成させたかのどちらかではないでしょうか。  アロサウルスの口から流れ出る涎、心臓部分のアップ映像で見られる心臓の動き、ブロントサウルスが崖から転落して死にかけているときの鼓動(多くの映画で引用)、アロサウルスが獲物を狙う時の獰猛な目の配り方、トリケラトプスとの戦いなど恐竜たちが動き回るさまを思う存分に楽しむのが前半部分の見所でしょう。  また後半は霧に包まれるロンドンを破壊しつくすブロントサウルスの迫力に圧倒されます。設定としてはアマゾンの奥地に恐竜が棲んでいて、それを見世物にするためにロンドンに連れて行くという以降の怪獣映画の定石を既に作り上げています。  ドラマシーン自体も自説を曲げないマッドな科学者が登場し、父親を探す娘と秘かに彼女を物にしたいパトロンがいたり、彼女と新聞記者とを巻き込んだ三角関係的なラブロマンスが芽生えたりと、けっして子供向けのドラマにはしていない点が評価できる。  この頃の映画は大人がターゲットだったことを改めて実感します。俳優は豪華で、ウォーレス・ベアリー(『グランド・ホテル』)やベッシー・ラブ(グリフィス映画に出演)が出ています。ドラマにも気を配っていたのはこの配役でも分かります。  ロンドンでのクライマックスは、ロンドン橋から恐竜がテームズ川へ落下し、泳いで何処かへ去っていくというエンディングを迎えます。散々ロンドンは破壊されますが、誰も気にしません。気になるのはブロントサウルスの行き先のみです。 総合評価 85点 ロスト・ワールド (トールケース)
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