良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『揺れる大地』(1948)ルキノ・ヴィスコンティ監督によるネオリアリズモの傑作。

 イタリア映画界の巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督の第二作目の長編映画『揺れる大地』が公開されたのは1948年です。戦時下のイタリアで、大きな話題となったデビュー作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』からすでに5年の月日が流れていました。

 その間、世界が揺れ動いたのはもちろんですが、映画界でもネオレアリズモと呼ばれる映画運動が世界中を席巻していました。現実を鋭く抉り出し、観客の目前に曝け出す。虚飾が少なく、救いのない作風をモットーとしているのがこのスタイルの特徴です。

 ネオレアリズモの代表と言えば、『無防備都市』『ドイツ零年』『イタリア旅行』などで有名なロベルト・ロッセリーニ監督、『終着駅』『自転車泥棒』『ウンベルトD』などで有名なヴィットリオ・デ・シーカ監督らをすぐに思い出します。

 また晩年の難解で不思議な作風のために分かり難くはなっていますが、『道』『崖』『カビリアの夜』などを撮っていた頃のフェデリコ・フェリーニ監督は間違いなくこのイタリア新写実主義の代表選手でもありました。

 しかしこの運動に先鞭をつけたのは紛れもなくルキノ・ヴィスコンティ監督の処女長編『郵便配達は二度ベルを鳴らす』であることに異論を挟む人はそうはいまい。センセーショナルな内容を持っていたこの作品は当局から睨まれ、大幅なカットを命じられましたが、そこはイタリアらしい根回しをルキノの父親が行い、ほとんどカットされることなく上映されました。

 このカット騒ぎを聞きつけたファシスト党ベニト・ムッソリーニはわざわざ話題のこの映画を観て、たいそう気に入ったそうです。党首が気に入ったものを弾圧するわけにもいかなかった為か、たんにイタリアというお国柄なのか、批評家達には議論の的になったようですが、普通に劇場で上映されました。

 しかし権力にも負けなかったこの映画は連合国軍との戦闘による戦火のために焼けてしまいました。現存するフィルムはヴィスコンティが残っている断片から繋ぎ合わせたものに過ぎない。完璧な状態のこの作品が現存したならば、さらに大きな栄誉を受けていたに違いないと思うと残念です。

 そして『郵便配達は二度ベルを鳴らす』後のヴィスコンティ監督は映画を撮らずに、彼本来のフィールドであるオペラや演劇の演出にその才能を注ぎました。ジャン・コクトーの『恐るべき親たち』、オペラ『フィガロの結婚』などを手がけていました。

 彼の映画を知るファンや関係者にとっては1948年の『揺れる大地』はまさに待ちわびた才能の復帰だったのではないでしょうか。そしてこの作品はヴィスコンティ監督らしい型破りな作品でもありました。

 この40年代という物資が乏しい時代に、2時間40分を越える上映時間を必要とする劇場映画が他にあったであろうか。戦勝国であったアメリカや共産ロシアならばいざ知らず、わが国やドイツと同じく敗戦国の立場にあったイタリアの内情は推して知るべしの状態だったはずなのです。

 それなのにこの上映時間の長さ、質の高さ、内容の濃さは一体どこから来るのであろうか。冒頭の10分間を見ただけで、観客はルキノ・ヴィスコンティという監督がどういった物語を映像で語ろうとしているかを知る事ができる。

 プロの俳優を一切使わないネオレアリズモ的な宣言があり、実際全ての登場人物はシチリアの漁村の村人である。迫真の演技ではなく、まさにそのものが持つオリジナルの凄みを160分間味わえる貴重な作品でもある。

 夜明け前のシチリアの海、漁船、岸でうごめく仲買人や女達を同時に捉えたショットがこれら全てが本来は一心同体であることを暗示する。なんと美しい海であろう。星の光と船の灯りで煌く海面、ゆらゆらと穏やかな波を伴いながら、屹立する二つの大岩が美しさと厳しさを観客に見せつける。厳しさの中で調和しているその世界から抜け出ようとする者には海、村人、仲買人の容赦ない鉄槌が下される。

 長回しを使用して、岸での競りの一群の喧騒を間近に見ながら、徐々に引いていき、岸から出ようとする船を捨てカットのために映し出して、次のカットに移っていく。臨場感たっぷりで、競りの活気と朝を迎える静けさが入り混じる見事な導引部でした。

 基本的にワンカット、ワンカットが長く、非常にゆったりとしているのが特徴で、田舎の漁村ののどかな様子と否応なく変化に巻き込まれようとしているのにまだ現状を把握しきれていない漁民たちへのヴィスコンティ監督の焦りにも似た静かな憤りが噴出してくるような編集がなされています。

 こみ上げてくるのは資本家層への怒りです。感情を誘導していくモンタージュは見事なまでに効果的です。イタリア共産党からの300万リラという出資を受けて製作されたこの作品は当然のことながらプロパガンダ的色彩を帯びていますが、それだけではないルキノ・ヴィスコンティ監督の映画の素晴らしさを味わってほしい。

 最初の海から競りのシーンの後、カメラはこの物語の主役であるバラストロ家を紹介していく。移動しながらの俯瞰映像は高所からの映像で、Ⅴ字形にカメラが移動していくのですが、家の中から娘が門前まで出てきて(彼女が画面正面に近づいてくる動きに合わせて、右上から左斜め下にカメラが動いていく)、彼女が家の中に戻っていく動きに合わせて、今度はカメラが上の方向にティルトしていくという動きを見せる。

 最初見たときにはクレーンを使用したショットかとも思いましたが、何度か見ていると軸が全く動かずに人物と縦横に動いているように見えます。いくらヴィスコンティ監督でも流石にこの当時の物資の状況ではクレーンを調達するのは無理だったのではないか。もしこれがクレーンであったならば、さらに驚きますが。

 おそらくはやぐらを組んで、その上にカメラを配置して、縦横に動かしたのではないでしょうか。いくらヴィスコンティ監督でもクレーンを使うほどの余裕はなかったのではないだろうか。

 これ以外に驚くショットが幾つもあります。主人公兄弟が洗面所で顔を洗うという何気ないシーンがあるのですが、このとき二人を捉えるカメラは明らかに三台あるように思えるのです。長男を斜めから狙うカメラ、次男を反対側の斜めから狙うカメラ、そして二人を同時に捉えるカメラという三台のカメラの存在を感じるのです。

 狭い室内での撮影でもカメラの数と配置、長回しによる緊張感とまとまりの中で臨めば、カットを上手く編集することにより素晴らしくリズムのある画が撮れるという見本のような画面の作り方でした。

 映画界では編集にも便利なために三点から撮るやり方として認識されてはいますが、この当時のイタリアでこのような潤沢な資金を映画に廻す余裕が果たしてあっただろうか。貧乏だったからこそ生まれたネオレアリズモの傑作は数え切れませんし、フィルムを潤沢に使う余裕がないからこその長回し、ロケ撮影、現実音、素人俳優の起用だったはずなのです。

 それらの苦しい台所事情も、ヴィスコンティ映画には関係ないものだったのでしょうか。共産党からの300万リラは撮影の半分にも満たないうちに底を尽き、あとはヴィスコンティらが資金を調達しました。まさに映画馬鹿ではないだろうか。己の欲する映像が得られるまで、納得がいくまで撮ろうとしているヴィスコンティの顔が目に浮かぶようです。

 贅沢な映画とは言っていますが、基本は固定カメラとリズムのあるカットが中心で、あくまでも構図の妙と美しさで見せていく。カメラの横の動きであるパンも自然で良い。極端なクロース・アップはなく、引きの画が多いのもドキュメンタリータッチで撮られた、この作品のテーマのためであろう。劇的に人工的に作る必要の無いほどに迫力ある映像が次々に出てきます。

 劇中、バラストロ家が一時成功しようとする時に労働者や努力して財をなそうとする人々の笑顔が次々にモンタージュされる行があります。まさにエイゼンシュテインタッチとでも言ってもよいような作為的な映像が流されます。

 後に迎える救いのラストを考えると、これは見事なまでに皮肉に満ちたモンタージュではないだろうか。リアルな未来は今よりもさらに悪いという夢も希望もない終わり方をするこの作品のラストを知る者が見れば、そういう解釈も出来るのかなと思いました。

 本来の意図は共産党プロパガンダであったこの作品はそのような党側の矮小な思惑を超え、漁村の村人達が持つ素朴で力強い生命力によって、生き延びていくあの時代の貴重な瞬間を切り取った作品として世に出ました。それだからこそヴィスコンティもこの作品を撮りきることに執念を燃やしたのではなかろうか。

 突風と荒波が吹き荒れる轟音はこれから出港する主人公家族にとっての葬送行進曲となりました。この時の荒れた海のうねりを忠実に写し撮るカメラは厳しさと悪夢を暗示し、観客達を引き締める。シチリアの海は欲望も貧困も全て等しく呑み込んでいく。

 船の大破をきっかけにして、一気に滅んでいく主人公家族の様子は痛々しいが、現実的であるとも言える。甘いホームドラマにはない厳しい現実を突きつける。落ちぶれる前は親切であった村人は掌を返すように離れていく。同時に家族の崩壊も始まり、鉄の絆で結ばれていたはずの漁師の大家族が櫛の歯が欠けていくように一人また一人と失われていく。

 こういう崩壊の時、男たちは茫然自失としてどうすることも出来ないが、女達は何とかして生き抜いていこうとする。弱い男と強い女(マンマ)というイタリアらしい価値観も見受けられる。団結という欺瞞、家族の絆という幻想、厳しい現実が明らかにされるとき、はじめて人は己の真価を試されるのかもしれません。

 めでたい進水式と家を追われて最下層の暮らしを始めるバラストロ家の対照的な人生模様を交互に見せるクロス・カッティングは残酷で、救いが全くありません。進水式の楽しさと活気が大きければ大きいほど、バラストロ家がこれから迎えようとする厳しい現実と将来に悲観的にならざるを得ない。

 同じ門出であるのにこうも違う境遇は何故生まれるのか。一度失敗した者にはセカンド・チャンスなどないのだという厳しいメッセージから何を受け取れというのだろう。バラストロ家長男のチャレンジの代償は一家崩壊である。

 自分の思い通りに生きてみても、必ず成功するわけではない。むしろ失敗するもののほうが圧倒的に多いのだという自明の真実に気付かされる、背筋の凍りつく映画でした。1948年という時代ではまだイタリアの人々は夢を持つには至らなかったという世相の表れだったのでしょう。

 ネオレアリズモの旗手として絶賛されたロッセリーニが徐々に落ちぶれていくのも、ヴィットリオ・デ・シーカフェデリコ・フェリーニが上手く作風を変え生き残っていったのも、ヴィスコンティが豪華な貴族趣味と退廃を描いていくようになるのも偶然ではない。また彼らが生き残っていったのもイタリア国民全体の反省期間(喪と言ってもよいかも?)が終わり、暗い現実ばかりを描いたネオレアリズモに飽きがきたことに素早く気づいたからかもしれません。

 この作品を見て何故か溝口健二監督の『山椒大夫』(1954)を思い出しました。年代は多少違いますが、日本ではまだ50年代にこのような暗く厳しい作品が製作されていたということはイタリアの場合とを比較して考えると、少々穿った物の見方かもしれませんが、大戦の傷跡が10年経っても癒えていなかったということなのでしょうか。

 厳しく、そして美しい。まさに不滅の映画です。何度見ても飽きがこないのはヴィスコンティ監督の才能はもちろんですが、フィルムに魂を込めた撮影監督G・R・アルドの力によるところがかなり大きい。

総合評価 97点

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