良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)緑のジャケットはコアなルパン・マニア向けの証。

 宮崎駿監督の監督デビュー作品となった記念すべき作品がこの『カリオストロの城』でした。ではこの映画は大ヒットをしたのかというと「否。」と答えざるを得ない。では出来が悪いかと言えば、それにも「否。」と答える。つまり素晴らしい映画が必ずしも大ヒットするわけではないという典型がこのルパン三世映画化第二弾作品(第一弾は複製人間マモーが出てくるヤツ)と言えよう。

 30年近い月日を経た現在ではこの作品の持つ大きな価値は誰しもが認めるところではありますが、これが封切られたのは1979年なのです。1979年というとピンと来ない方もあるかとは思いますが、この当時に流行っていたアニメというと劇場版も公開され大ヒットしていた『宇宙戦艦ヤマト』をまず第一に思い出します。

 『機動戦士ガンダム』が爆発的人気になるのは次の1980年での再放送時、その後の『伝説巨人イデオン』『太陽の牙 ダグラム』『装甲騎兵ボトムズ』も立て続けに放送されていく過程でした。つまりSF全盛時代に入っていたのです。

 この次にブームになるのは今風でいえば「萌え」的な、あだちみつるの『タッチ』『陽当たり良好』『みゆき』に代表されるさわやか青春漫画のアニメ化、さらには高橋留美子が少年サンデーに連載していた漫画で、コスプレ等でいまだに高い人気を誇る『うる星やつら』などがサブカルチャー的人気を誇っていました。

 これらの流れから振り返っていくと、当時のアニメ・ファンの感覚からすると、「いまさらルパン?」というのが偽らざる感想だったのではないでしょうか。実際僕も封切られた当時にはガンダムに夢中になっていましたので、この作品には見向きもしませんでした。

 また「ルパン」という対象自体が面白いのは分かっていても、せいぜいTVの再放送でやっていれば見る程度だったのです。特に「赤い」ジャケットのルパンはもはやヒーローではなく、30分を埋めるだけの消費財になっていました。

 もちろん宮崎駿が関わっていた、「緑の」ジャケットのファースト・シリーズ(1971~1972)は大好きで、後々になって思い出してみて記憶に残っているのは全て全23話からなるこのシリーズの作品ばかりでした。

 『ルパンは燃えているか?』『七番目の橋が落ちるとき』『殺し屋はブルースを歌う』『魔術師と呼ばれた男』『偽札作りを狙え』『さらば愛しき魔女』『誰が最後に笑ったか』などはとりわけ思い出に残っています。

 子供向けではない大人でしか理解できないような深読みも可能なファースト・シリーズにはハッピーエンドで終わらないエピソードも多く、まるでアニメ界のアメリカン・ニュー・シネマのような奥行きのある作品が記憶に残っています。

 つまり当時は悪しきイメージを僕に与えた「赤」の印象が強く、大好きだった「緑」に戻ることなど思いもよらず、しかもTVの再放送は行き当たりばったりで放映されたために、ファースト・シリーズのエピソードとセカンド・シリーズのエピソードを違う曜日(普通の放映と再放送が同じ週にあったりしました)に見ることも多かったために、作風の違いに戸惑ったりしました。

 子供ながらに赤ジャケに違和感があったので、一生懸命見るのは「緑」、とりあえず見るのは赤となんとなく決めて掛かっていました。何故赤に馴染めなかったのかというと、今振り返ってみれば、それはおそらく赤ジャケの軽さに対してだったのではないかと思います。

 常に軽快でノリの軽い赤ジャケとは異なり、どこか憂いというか人間臭さを持っている緑の違いだったのです。この部分に感情移入できた僕は当然ながら第二シリーズ以降の軽ノリには拒絶反応がありました。このような状況だったので、劇場用映画が公開された時にも観には行きませんでした。

 のちにTV放送があったときにはじめて「緑」の彼を見て、行けば良かったと後悔しました。興行成績は確か悪かったと記憶しておりますが、行かなかった人には僕と同じような気持のために行かなかった人もいるかと思います。

 「緑」ジャケットを着る時のルパンはファースト・シリーズのファンのためと制作者が何かを語りたいときにに制作されたもの、「赤」ジャケットを着る時のルパンは世間一般のファン向けとお金のために製作されているのではないかと勝手に決め付けています。ライブハウスのステージが「緑」、スタジアムライヴが「赤」のような気がします。観客の反応が厳しいのは「緑」なのは当然でしょう。

 声優を務めたのはルパン(山田康雄)、次元大介(小林清治)、石川五ヱ門井上真樹夫)、峰不二子増山江威子)、銭形警部(納谷悟朗)という常連メンバーにジョドー(永井一郎)、庭師(『アルプスの少女 ハイジ』でのアルムおんじの声の宮内洋平)、クラリス(『風の谷のナウシカ』でのナウシカの声の島本須美)らを加えた豪華な顔ぶれです。

 また峰不二子の声には二階堂有希子を起用して欲しかったという気持ちが強い。一般に不二子の声は増山江威子が有名ですが、ファースト・シリーズでの二階堂の声は小悪魔的な不二子の魅力を存分に出していました。マリアンヌ・フェイスフルをベースにして生まれた不二子なので、大人っぽさの強い増山よりも二階堂の方が適任だと思います。

 13代目石川五ヱ門もファースト・シリーズでの森山周夫から井上真樹夫に替わっている。五ヱ門はもともと台詞が少ないキャラのためにあまり気にはならないというのは良いのだか悪いのだか良くは分かりません。どうせならばオリジナルメンバーで声をやって欲しかった。

 そして今回出色の出来栄えだったのがクラリス役を務めた島本須美でした。のちの『風の谷のナウシカ』でのナウシカ役も射止めた彼女の声は透明で清潔で、全宮崎駿監督作品中でもとりわけ人気の高いキャラクターであるクラリスナウシカが同じ声だというのは興味深いところです。また彼女の面影はハイジでのクララを思い出させましたので、園丁役の宮内洋平がアルムおんじに見えてしょうがなかった。コアファン向けの洒落だったんでしょうか。

 音楽でも山下毅雄、主題歌を歌うチャーリィ・コーセイの黄金ラインナップが参加していないのも画龍点睛を欠くといったところでしょうか。細かすぎるかもしれませんが、ファンとしては細部までこだわって欲しかった。

 音楽的には第二TVシリーズの効果音が用いられている。それはそれで明るさがあり良いのですが、主題歌が必要だったかどうかは定かではない。次の作品『風の谷のナウシカ』で、安田成美の微妙な主題歌がヒットした時に、作品世界のシリアスさとのギャップに、正直言って戸惑った僕としては当然ながらこの作品でのそれにも馴染めませんでした。

 映画を宣伝していく上で必要なことなのかもしれませんが、制作者たちが納得しているようには見えないサントラはいまでも数多く、ましてや30年近くも前ならば、より露骨にそういった部分が会社からのプレッシャーとして圧し掛かってきたのでしょう。

 監督初挑戦ということもあり、無名の存在だった宮崎にはいろいろと制約が多かったのでしょう。声優の選択と音楽という重要なパートについても自分の意見を全面に通せない状況だったのです。

 ラッシュ試写で、声優たちとの作品とキャラクター設定についての演出の確認でも、ルパン役の山田康雄に猛反発されたそうです。ラッシュののちに仕上がりを確認し、そのレベルの高さに舌を巻いた山田は謝罪し、そののちは気合を入れてアフレコに臨んだそうです。声優たちも気合が入ったこの作品は全てにおいて可能な限りのレベルアップがなされている印象を強く持っています。

 ストーリーとしては売り出し中の若い泥棒だったルパン(山田康雄)がかつて挑んで、見事に大失敗した偽札工場の原版強奪に再度挑戦するというのが話のきっかけになっています。これに失敗した時に、重傷を負った彼を介抱してくれたクラリス島本須美)が財宝目当てにカリオストロ伯爵に結婚を迫られていることに憤りを感じたルパンがかつての復讐を兼ね、彼女を誘拐するという挑戦状を叩きつける。「ルパンの恩返し」といった趣もあります。

 カリオストロ公国の光の部分であるクラリス(大公)、陰の部分であるカリオストロ(伯爵)を画面に映し出すとき、宮崎の視線はクラリスだけでなく、カリオストロにも好意的に見える。理想と現実の違いを体現させたのがクラリスカリオストロであり、成長するルパンは宮崎監督自身を投影させたものであろう。

 つまり、ここでのルパンは一般に良く知られた、不二子をはじめとする女たちを追いかける、明るいだけのTVでのルパンではなく、陰のある人間臭さのある等身大の30過ぎの男としてのルパンです。1971年に放送されたルパン・シリーズから10年近い年月を経て、一人前の男として成長していくルパンを宮崎監督は描き出しました。

 クラリスを抱こうとしても抱けない、むしろ意思を持って彼女を抱かない自己を持つようになったのがこの映画で描かれるルパンでした。このシーンからその後に続いていくシーン群は全てが見所といっても良い。基本的に彼は純粋な女性に対峙する時には表面上はオチャラけていても、ここぞでは真摯に向き合う。

 台詞の重みにも大いに気を使った作品でもあります。オープニングからつねに「おじさま」と呼んでいたクラリスは最後の最後でようやく「ルパン」と呟く。この瞬間から彼女はルパンに恋したことを観客に告げる。止めを刺す銭形の一言「ルパンはあなたの心をまんまと奪いおった」は秀逸でした。

 演出面では二項対立を張り巡らせ、上下を巧みに使う縦構図に優れた作品でもあります。大公家と伯爵家、華麗なる装飾で埋め尽くされた城内と偽札工場と牢獄のある地下、澄んだ青空と暗く陰惨な地下、法を守る銭形と城を守るジョドーの対比、東西構造の中での政治と犯罪の軋みからくるインターポール上層部と銭形の正義感との葛藤など見た目の明るさに騙されてはいけない暗さとの対比があるのです。

 これらの陰惨で欲望に満ちた暗さがしっかりと描かれているからこそ、多くの場面で用いられるナンセンスなギャグがより効果的になってくるのではないでしょうか。宮崎駿監督作品中では最初で最後の漫画的表現の多い映画でもあります。遊びの部分を徐々に失っていく宮崎アニメの古き良き時代の名残りともいえるのかもしれません。

 明るいシーンと暗い夜や地下のシーンとの対比は『未来少年コナン』を思い出させる。残され島やハイハーバーは明るく自然がいっぱいのユートピア的世界であり、それと対をなすインダストリアの暗さと人工的な造形により、さらにお互いの存在を強く引き立てることでも効果的であったように、カリオストロでも宮崎監督のセンスが作品を支配している。

 見ていて、伯爵がルパンとクラリスを追い詰めていく場面ではチャーリー・チャップリン監督の『モダン・タイムズ』を、結婚式に向かうシーンではセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の『イワン雷帝』を思い出させるシーンがあったのはクラシック・ファンには嬉しいところです。

 ハードボイルドなシリアスさが魅力であったファースト・シリーズでしたが、もちろん光の部分の楽しさを忘れているわけではありません。冒頭でのカジノ襲撃からの逃走で使われる浮き上がるような走り、それに続くフィアットに乗ったまま偽札をばら撒いていくシーン、クラリスを助ける時に車で山肌を駆け上っていくシーンは全て繋がっていく。映像の繋ぎ方が素晴らしい。一気に作品に引き込んでいく手腕はさすが宮崎監督です。

 フラッシュを焚いたような、またはスポットライトを浴びせられているような画面で展開される一連のアクション、斬鉄剣の切れ味、三段跳びで高い城を乗り越えていくクラリスとの邂逅シーン、ローマ水道を逆流するように泳いでいくシーンなどはいかにもギャグによる映像表現を持ち味に使える漫画的な描写である。ギャグとシリアスの対比があればこそ、作品の質が高まって行ったのではないか。

 こういった漫画的な描写をもって、これをリアリズムの欠如と取るのか、娯楽性の追及と取るのかは観客一人ひとりの判断に任される。後年の堅苦しい作品でファンになった人にはどう見られるのかは分かりません。またアニメというジャンル自体を馬鹿にしている人からすれば、こういったシーンはいかにも漫画的な嘲笑すべき対象なのでしょう。

 しかしファースト・シリーズを愛する僕は当然ながら、この作品を支持します。クライマックスでの時計台での攻防シーンはアニメ的に素晴らしいアイデアの連続であり、残酷さとギャグがちりばめられた素晴らしい出来栄えです。ラストに向かって一直線の素早い走りのような後半の展開は疑問に思うこともありますが、この作品にはこの尺でちょうど良いとも思う。

 何度見ても新鮮さを堪能できる良い作品である。ルパンには緑ジャケットが一番似合う。

総合評価 93点

ルパン三世 - カリオストロの城

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