良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ゴジラ対ヘドラ』(1971)最大の異色作。低迷していた中で制作された奇跡の一本。

 ♪鳥も~魚も~どこへ行ったの~?♪とんぼも~蝶も~どこに行ったの? 水銀、コバルト、カドミウム、鉛、硫酸、オキシダン~♪汚れちま~った海!汚れちまった空!  生きものみ~んないな~くなって 野も山も黙っちまって~ 地球の上~に だれもだれ~もいなけりゃあ 泣くこ~とも出来~ない~♪  返せ~!(返~せ!)返~せ!(返~せ!)緑を、青空を、青~い海を  返せ~!(返~せ!)返~せ!(返~せ!)命を、太陽を返せ!(著作権を侵害するつもりは毛頭ありませんので、あしからず。)  この凄すぎる主題歌を小1ではじめて聴いた時は本当に驚きました。光化学スモッグや公害報道を連日のようにニュースで聞いていた僕はその得体の知れない迫力に圧倒されました。  ゴジラ映画というとこの頃ではミニラやらエビラやらダンディズムを全く身に纏わない哀愁の欠片もないキャラクターが登場し始めていて、ヤクザの出入りのようなゴジラキングギドラの抗争を楽しみにしていた僕は急速にゴジラから離れて行きました。  もちろんTVや地元の映画館にゴジラ映画が来れば、観に行った人ではありますが、楽しみは見るたびに幻滅に変わっていくツライ時代でもありました。そうしたなかで観たシリーズ第11作目の『ゴジラ対ヘドラ』にはなんともいえない久しぶりと言ってもよい迫力がありました。  サイケデリックな色彩の変化は60年代ロック・カルチャーの産物でしょう。ドラッグをあからさまに匂わせる演出を見ると製作者たちが表現したかったのは科学文化や社会の混沌なのかもしれない。科学が生み出した究極の負の副産物であるゴジラ(核)とヘドラ(公害)を同時に登場させて、雌雄を決しさせるというのは人間の無責任を怪獣である彼らに転嫁させるようでどうも居心地が悪い。  どちらも科学の副産物なのです。人間が自分たちで生み出し、手に負えなくなった産業廃棄物同士を都合の良いように対決させるというのは卑怯としか言いようがない。核(ゴジラ)を美化し、公害(ヘドラ)を非難する。どちらも同じではないか。人間に有害な者同士のぶつかり合いは後年『ゴジラビオランテ』で再現される。  演出面の工夫を楽しみたい作品でもあります。主人公の家庭での映像は茶色や灰色など地味で暗めな色合いが多く、ゴー・ゴー・クラブでの極彩色の派手な色合いとの対比が楽しい。綺麗ごとではない映像、つまりヘドロが流れる様子や背の曲がった魚が泳ぐ姿から目を背けられないようなモンタージュを作り出している。ヘドラが街に襲い掛かった後のクラブで生き延びた、ヘドロだらけの子猫の映像は今でも覚えています。  実際に湘南海岸(小学生の頃住んでいました)では背の曲がった魚を何匹も見かけました。油が浮いた海面、ヘドロが混ざり合った川と海との境目の水の色がどれだけ気味の悪い色だったかは見た者しか分からない。ですから70年代当時、持て囃されていた「湘南海岸」という幻想は地元民には通用しませんでした。  僕らはこの湘南ではあまり泳がずに真鶴や下田などの伊豆半島まで行くことが多かったのが実際のところでした。騒いでいたのはサーファーと暴走族だけでした。  ゴジラ映画最大の問題作である『ゴジラ対ヘドラ』ではテーマが核への恐怖から公害への恐怖にシフトしている。反核を謳った『ゴジラ』(1954)当時の反骨精神の復活とばかり、反公害に焦点を当てている。  あくまでもサブ・カルチャーであり、正統な扱いを受けていたとは言い難いロックやサイケにも注目している点も見逃せない。さらに斬新なのがアニメーションの挿入、進化するヘドラの形態と大きさ、ドギツイ原色の使用など古き良き時代を体現しているゴジラとは二周りほどのジェネレーション・ギャップがあるヘドラらしいポイントが多い。  海は綺麗で雄大なものという「お約束」をぶち壊すヘドロまみれの海やゴミだらけの川(『泥だらけの海』ならRCサクセションだ!)には嫌悪感がありますが、事実であるのも間違いない。薬物のトリップを思わせるような映像が挿入されているのもこの時代からすれば革命的なことかもしれない。  ファッションを含め、全てが変わり始めた60年代後半からの地鳴りのようなうねりを感じます。子供向けに成り下がっていたゴジラを大人も観ることの可能な映画に仕立て上げただけでも監督の功績は大きい。  薄気味悪い映像は数多い。工場のスモッグを吸い込んで、ラリッているようなヘドラの表情は1984年度版『ゴジラ』で原発を襲ったゴジラが原子炉から直接、核のシャワーを浴びるというシーンに再現される。  とりわけ気味が悪いのが先ほど述べたとおり、ヘドラがクラブにドロドロしながら忍び込んでくる暗闇での暗躍とそれに続くゴジラとの第一回目の戦闘シーンです。今回伊福部昭が音楽から外れているために著しく音楽の貢献がない作品になってしまいましたが、もしこれを彼が手がけていれば、さらにレベルが上がっていたことでしょう。  子供を主役に据えながらも本編が見応えあるものになっているのも久しぶりである。ヘドラはもともと地球外生物がヘドロをエネルギーにして増殖して成長したという設定であるが、地球外生物といえば『遊星よりの物体Ⅹ』を思い出しました。  ヘドラが象徴する公害のえげつなさは半端ではない。彼が上空を飛ぶだけでその下に生えている草木は枯れはて、人々は溶かされてしまう。ヘドラの被害は100万人もの犠牲者を出してしまうのだ。それに対して自衛隊が用意した作戦は心もとなく、結局はG頼みになってしまうのがとても情けない。こんなんじゃ「省」になっても同じであろう。  車を貪り食うヘドラにはクレージー・ゴンの原型を見た思いがします。また子供を残し、海へ潜っていくシーンは『ノンマルトルの使者』を思い出しました。サイレント(無音)で崩れ落ちるビルの鉄骨は姉葉建築のように脆い。  踊っている女ダンサーの横顔の影の形が次のカットでその図形が地図の被害地域と同じ図形になるというアングラ・アート的なモンタージュも興味深い。魚眼レンズや分割画面も積極的に使用されるなど実験作的色合いがかなり濃いのも特徴のひとつです。ヘドロの海でのた打ち回るゴジラの様子はまるで地獄に堕ちたようにも見えるほど不気味でした。  しかしせっかく異色作を放ったにもかかわらず、これ以降は元の木阿弥でお子様路線をまっしぐらに突き進みます。八甲田山のように、滅亡が見えています。 総合評価 75点 ゴジラ対ヘドラ
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