良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『嫌われ松子の一生』(2006)中谷美紀の鬼気迫る迫真の演技。色彩感覚を楽しもう。

 中谷美紀が出演していた映画というと『リング』『らせん』『ケイゾク』『電車男』などキワモノじみた作品での印象が強い。もちろん『力道山』『7月24日通りのクリスマス』などでも活躍していますが、本人の意向なのか、事務所の意向なのかは分かりませんが、風変わりな作品に登場して、強い印象を残すのが彼女の立ち位置なのでしょうか。  今回の『嫌われ松子の一生』にしてもミュージカル風な味付けがされていて、しかも演じる主人公は幸せな人生から転がり落ち、最後には非業の死を遂げるという現世的な価値観で言えば、まさに究極の負け組としか表現できないほどの悲劇のヒロインの役でした。  ただし、他人が見た彼女の一生と彼女自身が己の思うがままに突き進んだ一生の意味は視点を変えると180度違ったものになるのかもしれない。一生懸命生きて、結果として悲惨だったとしても過程を必死で生き抜いた松子は幸せだったのかもしれない。何に価値を見出すかで見方も変わってきます。  苛烈な一生は愛を求めた結果であったが、父親(柄本明)の愛情の不足という家庭問題が根源となっていることにあまりマスコミ等からのスポットが当てられていないのは不思議でした。最終的にソープ嬢、殺人犯の成れの果てとしてゴミ屋敷の住人となり、中学生に金属バットで殴り殺されて一生を終える。  このような過激な終わり方を採ったために、そちらの方ばかりの印象が強くなってしまいましたが、そもそもの原因は家庭内での愛情不足が原因だったはずです。病気がちな妹への偏愛と松子への無関心が彼女の性格形成に大いに影響を与えていたのだ、と心理学者なら言うのでしょう。  ストーリーはかなり闇の部分を描いているが、作品でもっとも印象に強く残るのはミュージカルシーン及び挿入されている音楽であろう。木村カエラ『トゥリル トゥリル リカー』、Bonnie Pink『LOVE IS BUBBLE』、AIと及川リン『What Is A Life』、一番強烈だった『まげてのばして』、和田アキ子『古い日記(あっのころは~~はっ!よかあったとお!)』などインパクトの強い楽曲が目白押しでサントラ盤も聴き応えがあります。  かつてのネオレアリズモがそうであったようにあまりにも生々しく堕ちる女を描いたら、娯楽の部分が全く欠如してしまうから、こういった演出に落ち着いたのかもしれません。ミュージカルシーンと自虐的なコミカルな芝居がなかったら、観に行った観客は暗い気分で家路についたであろう。  明るすぎるほどの色彩、楽しく歌われるミュージカル・シーン、コメディタッチの描き方などこれら表層的な明るさと根底にある暗闇と悪夢に覆い尽くされたような松子の人生との対比が素晴らしかった。松子の転落人生をハリウッドが最も得意とする映画らしい映画であるミュージカルの味付けで出してきた中島哲也監督は『下妻物語』で見えていた自身の壁であったPV出身という殻を見事に破った印象があります。  人を深く愛するほどに不幸になっていく女をここまでコミカルに描いた作品はあまり記憶にない。先生がソープ嬢になり、ヤクザの情婦となり、人殺しまでしてしまい、刑務所に入り、ヤクザに捨てられ、徐々に精神に異常をきたし、ゴミ屋敷の住人となり、金属バットで撲殺されるまでを一気に描いたパワーは評価すべきであろう。死期が近づいた頃に彼女がハマる光GENJIのコンサート映像(内海君のファン!)が妙に気味が悪く見えるのは何故だろうか。  『下妻物語』の時に感じた物足りなさは改善されていた。より過激に展開していったことは良い面と悪い面があるとは思います。刺激的な描写と色彩はマスコミが宣伝するには格好の題材であったでしょうし、劇団ひとり、ガレッジセールのゴリ、カンニング竹山隆範などのコメディアンや歌手など異業種の人材を多く映画に出演させることで、俳優たちには出せない個性も出せていたのかもしれません。  ただしあまりにも多すぎるカメオ出演はこの映画に必要だったとは思えない。木村カエラ柴咲コウ片平なぎさBONNIE PINK武田真治土屋アンナ山田花子甲本雅裕角野卓造大久保佳代子濱田マリ、あき竹城、嶋田久作(なつかしい!『帝都物語』での軍服姿の加藤からもう20年近く経っているんですね。)らをこれほど大挙して使うのは過剰なキャスティングであった。  中谷美紀があそこまで切れてしまったような、妙に戸惑っているような、吹っ切れたような様々な表情を見せていた演技には驚きました。それまでもコミカルな役だけではなく、シリアスな演技も見せていた彼女でしたが、これ程のジェット・コースターのような転落人生まっしぐらの汚れ役をよくぞやりきったものです。  撮影中には中谷本人が撮影から逃げ出すなどの様々なアクシデントがあったようですが、苦労した甲斐もあり、出来上がった作品はかなりレベルが高いものに仕上がりました。コメディで演技を評価されるのは非常に難しい邦画の現状ですが、見た目のコメディとその根底にある怨念のような暗さを実際に見て、そして彼女の素晴らしさを感じて欲しい。  永山瑛太の役どころも良い。見たこともない叔母の遺品を片付けに行かされる彼を狂言回しとして機能させる試みは成功している。実際、核家族化や離婚増大の世の中では引き取り手や身元も分からない独居老人などの孤独死が増えているでしょうし、これからもっと社会問題化してくる可能性は十分にあります。  殺された人物の人生を、生前故人に関わりのあった多くの人々から教えてもらい、自分なりの人物像を作り上げて、ストーリーを展開していく手法は『市民ケーン』で確立されているが、この映画でも同様にフラッシュバックのスタイルを採っている。しかもミュージカルを大胆に取り入れているのは実験的で良い。    そして彼女が転落していくきっかけを作ってしまった伊勢谷友介もまた転落人生を転がり落ちていく。端正な顔立ちだった彼が徐々に崩れていき、片方の目を失い浮浪者のような奇怪な体になっていく。転落人生にも連れを伴っていたのはある意味で恐怖です。  さらに幼少期の松子を演じた子役、奥ノ矢佳奈 もベテランに混じりながらも個性を出しています。表情がいい。そして何か雰囲気を持っている子役でした。  いろいろと話の切り口を提供してくれる映画でもあったのです。ミュージカル、コメディ、カメオ出演の多さなどの華やかな部分ではなく、あと片付けに忙殺される遺族の問題、娼婦がどういう人生の終末を迎えるのかという老後の問題、罪の意識など全く無く簡単に人を殺してしまう命の価値が理解できていない教育及び少年非行の問題、犯罪者の出所後の生活の問題点など明るい部分のみに目を奪われていては本質は見えてこない。  笑い飛ばすようなタッチでこの悲惨な物語が語られていくのが、かえって凡庸なホラーや社会派作品よりもむしろ恐ろしかったというのが見た後に感じたことでした。  そして最後に「お迎え」がくるシーンの階段を見たときには『フランダースの犬』のラスト・シーンを思い出しました。宝塚歌劇団などでよく見受けられるように、普通オーラスでは舞台の上から下のほうに主演俳優(宝塚は女優か)が観客に挨拶に来ますが、松子はステージの中央から掛けられた「天国への階段」を上がっていく。強烈なインパクトは最後まで健在でした。  しかし絵文字のようなCG、過剰なまでのフィルター処理、ドギツイ色使い、相変わらずの字幕多用、瞬きするより速いマシンガン連射のようなカットは彼の個性といえばそれまでだが、あまりにも乱雑で汚く映る。映像の繋ぎ方や色彩へのセンスには素晴らしい才能を感じるが、それを制御できていないようにも見える。  短編と長編での映像の表現方法の違いをうまく消化しきれてないのではないか。過剰なサービス精神?からくる過剰な演出がかえって品格を落としてしまっているのが残念でした。彼はいまではもっと綺麗にも詩的にも撮れる監督だと思います。 総合評価 80点 嫌われ松子の一生 通常版
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