良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『沈黙』(1962)キリスト教批判の問題作?いえいえ。純粋に映画芸術の到達点です。

 さきごろ惜しくも他界されましたイングマール・ベルイマン監督の問題作『沈黙』(1962)は「神の沈黙」三部作である『鏡の中にある如く』(1961)『冬の光』(1962)に続く最後の一本です。最後の映画作家といえる彼の死は純粋な映画を知る者が絶滅してしまったというほどの衝撃を与えます。  時間の経過を示す秒針の音が刻み続ける規則正しいリズムが気忙しく、ヒステリックに、しかし静かに響き渡る。すると浮かび上がる三人の登場人物たち。ひとりは年端も行かぬ少年。ひとりはアンニュイな雰囲気を漂わせながら惚けたような顔をしている三十台と思われる女で演じるのはグンネル・リンドブロム。もうひとりは理知的なそれを発散させている女で演じるのはイングリッド・チューリン。  観客は全くもって、彼等がどういう間柄のどういう設定で、何をしに、そしてどこへ向かっているのかも告げられない。情報は微かに、そして徐々にしか与えられないのだ。最近のハリウッドや邦画の情報過多の作品しか馴染みがない方には何を語ろうとしているのかという糸口も見えてこないのではないだろうか。二人の大人の女性に囲まれている少年。成熟していない男である少年と互いに正反対の性格を持つように思える二人の女性。  親子とその姉という設定がだんだんと明らかになってくる。二人の女性に翻弄される未熟な男の物語になるのであろうか、また二人の女は分裂している一人の女と捉えることもできる。つまり映像的には二人ではあるが、じつは一人の女性のなかにある複雑な葛藤を分かりやすく観客に見せるための便宜を図ったのではないだろうかとも思える。  神々しい朝日は等しく、そして優しく皆を照らしているのであるが、少年以外は誰も当然のこととして気にも留めない。神の愛は平等であるが、それに気付く者とそうでない者がいるというのを端的に表しているのであろうか。  神の愛とは特定の誰かに圧倒的な幸運を授けるというようなドラマチックなものではなく、じつに淡々としていて、注意深く内省しないと見えてこないというような類いの愛なのではなかろうか。  次に映される軍用列車にぎっしりと乗せられた戦車や目覚めたときに轟音を響かせているミグ戦闘機(音のみで表現されているので正体不明です。)、または読まれているプラウダのような新聞から、この映画の舞台が東欧諸国かどこかの共産圏内にある街でのお話であることが推察できます。  音の使い方に驚かされる作品でもあります。生活音と街並みの喧騒が覆いつくす屋外と静かな雰囲気の中では微かな息使いやシャワーの音でさえもうるさく聞こえる音の作り方に巨匠の音へのこだわりを見る。  小さな音だけでも十分にドラマチックな作品を制作することが可能であることを教えてくれる。 無駄な音を極限までこそぎ落していく。まさに真の、そして最後の映画作家と呼んでもよい巨匠がイングマール・ベルイマン監督その人でした。  何気ないカットにもはっきりと示される巨大な才能をしっかりと見て欲しい。なんでもない酒瓶、ラジオ、椅子、廊下がとても深い意味を持つように思える不思議さは凡庸な監督には出せる能力ではない。  またカメラ・アングルと引き画との組み合わせに見る、かれ独特の光る才能は他の追随を許さない。適切に用いられるロー・アングル、ハイ・アングル、目線ショットの選択の妙、それらのアングルを自然に繋いでいくティルトや引き画、それに加えたカメラ視点変更の組み合わせにゾクゾクとさせられる。ストーリーそのものには宗教問題になるほどの衝撃度があり、欧米では上映拒否になる地域もあったそうです。  スキャンダラスな側面があるため、見えづらくなってはいますが、純粋に映画として見ていくと、そのカットのセンスのレベルの高さに驚かされる。どちらかというとテーマの深刻さから派手なイメージを持っていますが、フィルム自体はどちらかというと場所の移動も少なく、地味な作風ではあります。  しかしここで見るショットのテクニカルな素晴らしさ、構図の妙にはベルイマン監督の磨きぬかれた凄みがある。遠近感や家具の配置の妙、大きくフィルムに貢献している照明と撮影したスヴェン・ニクヴィストによる複雑な影の作り方には舌を巻く。  ショッキングなシーンも確かにあります。自慰に耽る姉、劇場で求め合うカップル、部屋に見ず知らずの男を連れ込む妹とそれを目撃する少年。タブーに真正面から取り組むベルイマン監督。性描写もかなりエロティックで刺激が強いのですが、全くいやらしさがないのが不思議である。  軍事関係のサウンドはこの当時の東欧の緊迫感をいまに伝えている。戦車や戦闘機が普通に街並みや上空を跋扈し、命の危機が身近に迫っているのを現在の我々は知る由もない。東西冷戦とキューバ危機の前後という時代性がフィルムに独特のテンションの効用を与えているのだろうか。  ショットの凄みを感じる作品でもあります。脚立の下に来る少年を捉えたアイリスのような三角形のショット。扉の奥の中央以外をマスキングするような構図の楽しさ。大きな背もたれのある椅子からマネージャーを隠れ見るショット。  ホテルの廊下を駆け回る少年をロー・アングルで捉えられたショットや多くの廊下でのショット群はのちにキューブリック監督の『シャイニング』で似たようなイメージが随所に使われている。小人との遭遇、老紳士との会話、沈黙の中一人で立っている少年のショットなどに不気味なほどの共通項を見る。どれをとっても個性的で、一瞬たりとも見逃せない心地良い緊張感を久々に味わえますので、是非見ていただきたい。  小人の視点での少年を手招きするショットでは本来小さいはずの小人たちが大きく見える。ヒッチコック監督の『白い恐怖』での巨大な拳銃を握る手を思い出しました。錯覚を利用した悪戯心溢れる見事な映像でした。少年は家族の中でも、ホテルのなかでも、小人の中に入っても常に異分子になってしまう。  動きが少ないから、派手な音楽がないから、宗教というテーマに馴染みがないから、ベルイマン作品は難解だからと言って、これらを避けるのは勿体無いとしか言いようがない。興味深いショットが次から次へ積み重ねられていく。フィルムが目に沁みこんで来る感覚を味わうには最高の一本です。オープニングからクロージングまで退屈することなどありえません。  純粋に映画の良さのすべてがある作品です。祝福されたフィルムなのです。なんという皮肉でしょう。絶望に沈みゆく、救いのない人間たちの葛藤と慟哭、神の不在というタブーへ鋭く切り込んでいったフィルムですが、監督であるベルイマン自身は映画の神に祝されているのです。  幻想的なイメージの多い映画でもあります。不気味な小人たちによるショータイム、ホテルの廊下での不思議なショット、撮影環境をフルに活かした個性的なショットの積み重ねは見ているだけで楽しくなってきます。冷たく突き放したような、ホテルの廊下で頻繁に繰り返されるロー・アングルやハイ・アングルのショットは人間たちの愚かさを嘲笑うかのような意志を感じる。  理性で自己の存在意義を保とうとする姉。肉体で自己の存在を確認する妹。言葉の通じない世界でどうやってコミュニケーションを取っていくのか。二人は対照的な方法論により目的を達しようとするが、どちらもストレスを増すばかりで、生き地獄を味わう。  言葉が通じないことで起こる悲劇はたしかに苦しみに満ちている。しかし何よりも悲劇的なのは言葉が通じあう三人であるのに、もっとも理解しあえないのはこの三人であるということです。言葉が通じない悲劇よりも、理解しあえない悲劇の方がより重たい意味を持っている。  人間は赤の他人などのようなもともと期待していない人へのコミュニケーションの誤解や無理解よりも、身内などの期待する人とのコミュニケーションが達成されない時の悲劇の方がより深刻なのである。皮肉なのはバッハの音楽を姉妹も老マネージャーもともに美しいと感じる感性を持っていることでしょう。心の奥底では分かり合える可能性を示しているやり取りでした。それがより悲劇的に思える。  この映画は神の不在を扱った作品として広く知られています。いわく、宗教を否定した映画であると。そうでしょうか。個人的にはむしろこの作品こそが真の宗教映画ではないかと思います。救いの期待できない時においても、子供を生贄に捧げようとしたアブラハムのように信仰心を保つことが出来ますかと厳しく根本的な問いかけを投げかけてくるベルイマン監督の凄みに向き合うべきである。  言語への不信感と肉体への執着が姉妹を通して語られる。両者とも行き地獄にのたうち回る。まさに信仰への挑戦でしょう。しかもその挑戦は恐ろしく静かに、淡々と語られる。 総合評価 95点 沈黙
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