良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ALWAYS 続 三丁目の夕日』(2007)前作よりも内容に深みがある素晴らしい作品。

総合評価 85点  素晴らしい出来栄えで、その年における映画賞のほとんどの部門を総なめにした『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)の待望?の続編として二年ぶりに登場したのがこの『続 ALWAYS 三丁目の夕日』です。しかしながらひねくれた映画ファンが続編に対して持つ印象は極めて悪いといわざるを得ない。何度も何度も続編には泣かされ続けました。
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ALWAYS 続・三丁目の夕日 ナビゲートDVD 続・夕日町のひみつ  オリジナル作品の出来が素晴らしいという時点で、すでに続編が超えるべき質的なハードルは恐ろしく上がってしまっている。同じ登場人物を用いても、安心感はあるが新鮮味に欠ける。そのために新たな配役や敵役を登場させて、そうした部分を観客が感じないような配慮がなされる。前作を観に行った人の何割がリピーターになっているかは分かりませんが、特に観る番組を決めていないときには有力な候補になるのは間違いない。  話題性があり、安全パイであるという点においては確実であろう。今年公開された『パヒューム ある人殺しの物語』のようにイメージだけが先行し、あたかも香水絡みの綺麗映画だと勝手に思い込んで観に行くと、とんでもない目に会う作品も稀にあります。 <ネタバレバレなので、観に行かれる方はご注意をお願いいたします。>  そんなこんなで今日、観に行ったのがこの続編映画でした。平日ということもあり、席がさすがに空いている。「礼儀しらずの馬鹿なババアとカップルよ!頼むから、公共の場では音を出さずに、他人の邪魔をするなよな!」という悲痛な思いを持ちながらスクリーンに向かう。劇場に行くのは大好きなのですが、あまりのマナーの低下には年々驚かされる。  若い奴等が未熟なのは仕方がないにしても、むしろ最悪なのは団塊の世代とそれ以上の人々。この人たちが一番、性質が悪い。ポップコーンだかなんだか知らないが、バリバリ、むしゃむしゃ貪り食う様はまるで自宅でくつろいでいるかのようだ。  自分の目の前で、あまりにひどい時には後から席を蹴り上げて、「静かにしろ!馬鹿!」と言いたい衝動が込み上げてくる。残念ながらいつもそういう奴らは僕の席から遠いのでそういう機会はまだない。  この映画を観に来たのは今日でした。そしてとうとう上記の人々すべてに四方八方を囲まれるという最低な環境に追い込まれてしまいました。始まってもお喋りを止めないオバハンやオッサン、子供の落ち着きのなさやお喋りを止められないバカな親に囲まれながら過ごさなければならない二時間半にウンザリしましたが、徐々にこれらの非劇場適合型のバカどもも作品に集中していったのか黙り出しました。  また普段から来ている劇場型の人々も昭和の小ネタやVFXで再現された東京の街並みに懐かしさを感じたためか、そこかしこで「おお~!」とか笑い声が上がるようになると雰囲気も良くなっていきました。会話シーンやラヂオ・ニュースで「シベリア抑留」やら「伊勢湾台風」という言語が散りばめられていて、それらが自然に語られる。  東宝スコープのタイトルの後にまさかのオープニングが用意されていたのにはビックリしました。『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』以来、久しぶりに劇場の大スクリーンで、われらが「G」の雄姿を拝めました。
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 ファイナル・ウォーズが公開された時には「もう引退の時期が来ているなあ…。」と寂しい思いがありましたが、こうして思いもよらない形で「G」を観ると、再び復活もあっても良いのかなあという温度に変わってきています。  CGで再現された「G」はまさに21世紀型の新たな「G」像を見せてくれたような気がし、さすが東宝は商売が上手いものだと感心しました。まさに東宝オールスターキャストと呼ぶに相応しい作品です。長澤まさみが出ていれば、さらに東宝色が強く打ち出せたのではないか。彼女はもともと純日本的な風貌なので、違和感なく溶け込めたのではないでしょうか。  この奇抜なオープニングは大きな賭けだったとは思いますが、見事に目論みは成功しました。完全に全ての観客を作品世界にというよりは観客一人ひとりの昭和の思い出の世界に引き込んでいきました。掴みとしては最高の効果を上げたのではないでしょうか。
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 VFXではメディアで取り挙げられることも多い日本橋のシーンや前作から引き続き再現される東京の街並みと東京タワーからの眺めも印象に残っています。ただあくまでも芝居のために必要だからVFXがあるのであって、その逆では決してない。宣伝材料として東宝が使うのは致し方ありませんが、作品の出来自体が良いので、わざわざ枝葉末節をことさらに取り上げる必要性を感じませんでした。  日本橋シーンは作品中、中盤と後半のロマンチックなクライマックス・シーンで使用されますが、あくまでも芝居優先であり、演技を邪魔するものではありませんでした。特撮優先ではなく、本編優先というのは円谷特撮の鉄則であり、「G」を輩出した東宝も分かっているようです。   余談ではありますが、ゴジラが自分で東京タワーを壊したのはもしかすると初めてだったのではないでしょうか。モスラが壊したのは有名ですが、ゴジラが壊したという記憶はないのです。間違っていましたら、申し訳ありません。
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 演技面では吉岡秀隆に尽きるといっても過言ではない。危なっかしい部分は激減し、安心して観ていられました。監督が自ら手掛けた脚本も吉岡の心情を丁寧に描いていて、彼の影や恥の部分に焦点が合わされています。  ひ弱だが、芯の強さは持っているという売れない三文小説家(ペイパーバック・ライターですなあ…)の体温や儚さと強さを体現してくれていました。彼のヒロイン役である小雪の美しさも記憶に残っています。大スクリーンでも負けない彼女の演技の強さと身体能力の高さは大スクリーンであればあるほど際立っていました。  また子供たちの演技にも目を向けねばなりません。他の子供よりも一歳だけ年長の須賀健太(古行淳之介役)の成長が早く、作品を撮るには身体的に限界の時期であるのは明らかでしたが、彼の表現力の豊かさには将来性を感じます。  彼の親友役を務める小清水一輝(鈴木一平役)が小さいままなので、ギャップを感じますが、この子役は両方とも良い味を出しています。
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 そして彼らに絡んでくる女の子(小池彩夢)が当初醸し出す三丁目の人々との違和感と季節を経るにつれて、彼らと彼らの街に馴染んできたあとに見せる雰囲気の違いは彼女の演技力がただの子役ではないことを見せつける。  子役に恵まれていればこそ、作品のノスタルジアが強く出てきます。また感情移入を容易にしてくれる。日本の子役もプロフェッショナルになってきているのを肌で感じる作品でした。  その他の俳優陣もベテランと個性派を要所に配置しているために、粗が見つかりません。堤真一薬師丸ひろ子堀北真希もたいまさこ温水洋一、ピエール滝、三浦友和らの前作からのメンバーは違和感なく三丁目に存在し、新たに加わった手塚理美らも要所で活躍しています。前作では堀北真希があそこまで上手く演じられるのかと驚きましたが、今回はむしろ落ち着いて演じている印象が強かった。醒めているのではなく、自然体であったという意味です。
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 彼女にも幾つも見せ場が用意されていて、友だちと石原裕次郎の『嵐を呼ぶ男』を観に映画館にいくシーン(ここでは『狂った果実』『錆びたナイフ』のポスターもありました。同時上映として二本立て興行が主体になったのはまだ先でしょうから、公開予告かリバイバル上映でしょうか?)は楽しい。  当時の観客が一体となって、映画を楽しんでみている様子が羨ましく思いました。堀北と小池がおそろいのドレスを着るのと対をなすように、堤真一と小清水一輝が腹巻を巻いている姿も妙に微笑ましい。  演出は群を抜いている。俳優陣も円熟の雰囲気を全員で醸し出している。この映画で、おそらく最も苦しんだのは脚本だったのではないでしょうか。なんといっても続編の難しさはオリジナルで大成功を収めたあとの後日談的色彩が強くなる。
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 前作からのファン以外はよく分からない、または前作のファンを納得させることもできないというのがほとんどというのが実際でしょう。前作よりもドラマチックに、しかも不自然であってはならないというハードルが課せられる。まあ、超えられないのならば、わざわざ作る必要も無いというのはファンの事情に過ぎないのも理解しています。  それが大ヒット作品であれば、ファンの期待はより大きなものになる。作り手には大きすぎるプレッシャーが製作会社とファンから掛けられる。そして出来たのが今回の作品です。スポットライトは吉岡に当てられている。それは明るいものではなく、むしろ彼の挫折を曝け出すように語られる。  前半はもちろん、後半でも彼は名誉を手にすることはない。金で賞を買おうとして失敗し、さらなる恥を重ねていく。どん底に落ち込んでいく彼を救ってくれたのは三丁目の住人であり、小雪と須賀であった。つまり「ベタ」なお話なのですが、「ベタ」の何が悪いのであろう。  ハッピー・エンドを否定する人が多いのは承知しております。しかし劇場に観に行った人々を不快にする権利は映画作家にはない。シリアス・エンディングもたまには良いでしょうが、それは年一回とかで十分なのです。劇場を出る時には僕は幸せでいたい。日常を忘れ、ゆったりとした座席に身を沈めながら、スクリーンに集中していたい。  じっくりと観ていくと完全に脳天気に明るいエピソードはただの一つもないのです。吉岡は生涯の伴侶と家族を得ますが、賞取りには失敗する。小雪はストリッパー(浅草ロック座のような小屋が出てくる)に身を落とし、大阪の金持ちに囲われようとしていたが、吉岡の元に戻る。
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 須賀も子供であるために、社長の家に戻れるチャンスよりも、今そこにある幸せに飛びついてしまう。堤一家は比較的幸福にすごしていくが、薬師丸はかつての恋人とほろ苦い再会をし、堀北の幼馴染は吉岡と堤を食いものにしてしまう。三浦友和はたぬきに化かしてもらって、家族に再会させてもらえるように鎮守の森に通う。  けっして明るいだけの物語ではありません。しかしそれでもなお暗すぎずに明るく物語を進めていけるのは当時の人々が経験してきた苦労というのが日常のそれではなく、戦争であったからではないでしょうか。  彼らにとっての苦しみとは本当に命に関わってくる銃弾や爆弾によってもたらされるものであるからでしょう。苦しみもまた、人生賛歌なのです。生きているだけでも幸せなのだというメッセージを噛み締めるべきなのは現在の我々なのです。  ストーリー展開上、もっともドラマチックなのは吉岡が書いた芥川賞落選作品『踊り子』を読んだ人々が彼に共感し、彼が望んだ方向に向かって大きく動いていく様子です。口下手で腕力も弱く、世渡りも出来ない吉岡の最大の武器は一本のペンであった。  彼の心情をすべてぶち込んだ渾身の一遍は世間の評価を受けることはありませんでしたが、彼が大切にしている人々を守り抜くには十分でした。  カメラワークで印象に残るのはワン・シーン・ワン・カットの長回しの多用とイマジナリー・ラインと映画スクリーンの特性、つまり横の長さをはっきりと意識した映像作りである。もともとこの作品を撮りあげた山崎貴監督は長回しにこだわる作風ではなかったはずですが、今回はそうした方向に進んでいる。  これはおそらく監督の意向というよりは俳優たちが見せる芝居の質が高くなっており、下手にカットを割ってしまうとエモーションが途切れるという判断が強まったからかもしれません。  その判断は正しかったのではないでしょうか。長回しによる室内シーンは静かに進んでいく。昭和の家庭の中は冷蔵庫やら洗濯機やらテレビやらが家を囲んでも、それでもゆっくりと時間が過ぎていましたし、それとは対照的な室外でのテンポあるカット割りや街並みの急激な変遷が見事なギャップを生み出しています。変わらないもの、変わってしまったもの、そして変わりつつあるものを刻々と観客に示してくれる。  長回しでの時間の進み方とカットを割らないことによる視覚的な刺激のなさは激しいカット割りに慣れきっている現在の観客には「ゆるい」と感じられるかもしれませんが、本来こういった作品ではカメラはのんびりと動くべきなのです。だらだら進んでいるのではなく、ゆったりと見せたいというのが作家の狙いなのです。
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 イマジナリー・ラインについて最も解り易いのはこだま号シーンでしょう。小雪は画面向かって右から左に向かって進んでいく。つまり東京から大阪に向かって歩いていき、列車に乗り込み、進行方向、つまり大阪に目を向けて座席に座る。  彼女が観る眺めは大阪方向である。そこには彼女の新しい人生の始まりがある。しかし彼女はふと手元に目をやり、手塚理美に渡された雑誌を手に取る。つまり彼女は身の回りに目を向けたのです。そこからの展開は自分の足元を見つめ、素直になった彼女はドラマチックに取るべき行動を取ります。街並みの色もまた、なんとも言えずに目に良い感じです。オレンジがかった色調は暖かみがあり、郷愁を誘う。  スクリーンの特性を活かした映像作りも効果的でした。日本橋のような長い橋を撮る場合にテレビの4:3もしくは16:9の画面だと味わえない横の拡がりを味わうには劇場が最適である。こだま号もそうですが、長い被写体を撮るには、そして観るには劇場がベストでしょう。  長回しにしても、イマジナリー・ラインにしてもごくごく映像の基本ではありますが、これが出来ていない作品があまりにも多く、それを個性だと勘違いしている者が多いのが気になる今日この頃においてはこうした配慮は嬉しいのです。観ている観客が意識する、しない関係なく、自然に観やすく撮って、編集しているこの作品の作り手には拍手を送りたい。  音楽的な部分ではオープニングの伊福部マジックによるゴジラ音楽だけで僕はおなかが一杯になりました。ドラマチックなパートにドラマチックな音楽を当てるのはあまりにも「ベタ」ですが、解り易いというのも必要なので、今回は良しとしましょう。  またロケーションや小道具なども前作同様凝りまくっていて、DC-6Bの爆音や、ミゼットの勇姿、ラビット・ジュニアのエンジン音などには泣かされます。CGと実物セット、それに組み合わされる模型によって再現された東京の街並みは今回も素晴らしい。  しかしそれはあくまでも背景であり、それらが出しゃばってくることはない。印象深いのは東京タワーに上った時に見る、タワーからの遠景である。まだ所々に緑が残っている東京の街は何故か美しく見える。  観に行ってください。損はしませんよ!
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