良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『メトロポリス』(1926)<第1部> SF映画の金字塔にして、映画芸術の真価が分かる傑作。

 総合評価 98点  メトロポリスという言葉の響き自体がすでになんとも興味をそそるではありませんか。しかもフリッツ・ラング監督によって、この作品が製作されたのは1926年ですから、いまから80年以上前の作品ということになります。  では、そんなものは古臭くて、とても観れたものではなかろうというのは大間違いです。細部のみならず、その世界観において、現在に至るまでの全てのSF作品で『メトロポリス』を超えた、または影響など全く受けてはいないと言い切れる映画がいったい何本あるのだろうかと溜め息をつかざるを得ないほどに、この作品を構成する要素の水準は圧倒的である。
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 スケールの大きい世界観、皮肉たっぷりな脚本の卓越性と分かりやすさ、セットや小道具のデザインの芸術性と独創性の高さ、ミザンセヌの美しさ、パントマイムを活かした団体演技によるモブ・シーンの迫力などはとても現在のCG頼りの血の通わない製作姿勢では出しようがないレベルの高さである。芸術的な動きを見せる大群衆の一糸乱れぬ運動は感動的です。  1926年にこの作品を観た人々の受けた衝撃はいかほどのものだったであろう。SF小説ではこの作品の前からすでにあったにせよ、動的な視覚としてはおそらく初めて見るであろう未来社会の世界観を提示しているのである。  この作品で描かれている未来都市の街並み、ロボット、科学装置のデザイン、価値観のほとんどは最新のSF映画でも、まるで何事もなかったかのように描かれ続けているのである。しかも「インスパイアード・バイ・メトロポリス」の文字は記されることはない。
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 それほどに視覚的にSFファンの目や意識に浸透しているのである。ある意味、SFの常識となっているので、全くファンが意識するというレベルではなくなってしまっているのが原因なのかもしれない。  なんという先見性の凄さであろう。そしてまた一方で、これを見たファンは『メトロポリス』以降にほとんど進歩していない現在に至るまでのSF映画製作の怠慢に驚くであろう。わずかな例外の一つに『2001年 宇宙の旅』を挙げるくらいであろうか。  コアなSFファンの評価が非常に高い『ブレード・ランナー』にしろ、大衆の圧倒的な支持を受け続けている『スター・ウォーズ』にしろ、作品世界のイメージの根底には明らかに、この『メトロポリス』の影響があると言わざるを得ない。  SF映画では素晴らしいと言える、これら例外的な作品群にさえ、『メトロポリス』が与えた大きな影響やDNAをそこかしこに見るのが容易である。ロボット・マリアのメタリックでエロティックなデザインの素晴らしさは「おちゃらけた」Cー3POの比ではない。また、いかがわしさが漂う夜の街並みの情景は『ブレード・ランナー』を凌駕している。
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 機械自体の不気味な存在感も光る。メカの軋みが伝わってくる凄みがあるのがフリッツ・ラング監督の映像である。最初にロボットが動き出すときの静けさと不気味さ、そしてなにか禍々しいことが起こるのをこの最初の動きを見ただけで想像できるのは映画ファンにのみ許される特権であろう。  サイレント作品なのに、はっきりと音響を強く意識できる凄みを味わうべきであろう。もともとは3時間弱の長さがあった作品ですが、多くのフィルムが消失してしまい、残念ながら現存するのは120分弱の最長版以下、90分弱に編集されてしまっているのが一般的になっています。  IVCのビデオ版では80分くらい、1984年にジョルジオ・モロダーが音楽をつけたサウンド版でも同じ80分程度のものでした。今回見た最長版でも120分程度なので、完全版とは言いがたいのですが、それでも40分以上の消失分をカバーしてくれたわけですから有り難いものです。どんどんマニアの所蔵品から貴重なフィルムが出てくるのを待つばかりです。  まずはストーリーから見ていきますと、資本家と労働者という、20世紀初期に暮らしていた人々にとっては基本的な対立構造がベースになっています。1920年代という資本主義と共産主義のせめぎ合いと軋みは作品にも表れています。これは芸術性にも現れていて、ドイツ表現主義だけでなく、ロシア・フォルマリズム的な記号的で異化を感じさせるデザインや運動を見ても理解できるのではないでしょうか。
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 すべてにおいて斬新なのです。そしてたいていこのようなSFでは善玉的な立場の方が勝利を収めて終わるのが一般的ですが、この作品では資本家側と労働者側から救世主が現れ、両者を仲介して、真の平和を模索するという筋書きを取っている。どちらの側にも気遣いがなされている、いわば優しさというか、愛情がフィルムに込められているのです。  それを「安易だ!」というのは簡単なことです。しかし毒気だけでフィルムを押し切って、それが一体何になるのでしょうか。映画館から出たときに、爽快な気分になれるでしょうか。  DVDやCSが映画鑑賞の主体になっている現在では、ハッピー・エンドを迎える作品に対しては「安易だ!」となってしまうのはやむを得ないのでしょうが、個人的には劇場にわざわざ足を運び、2時間以上拘束された上に、嫌な気持ちで劇場を後にしたいとは思えない。  「衝撃の結末!」などというハッタリをかましたがる映画会社や製作者が多いが、一回しか観れないような作品を作るのは止めにして欲しい。何度も観れるというのが映画の基本なので、二度とは観れないという段階で、すでにそれは映画ではない。  10時間時計の終わりを告げる蒸気によるサイレン。それはシフトチェンジの合図である。なんとも不気味なこの映像からでもこの映画の持つ主張の強さが明らかになる。大量のエキストラ(人間として扱われていないので「大量」と表記しています)を見事に使い切るラング監督の力量の大きさにも感心します。
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 群れをなす労働者たちの寂しげな背中、労働を終えた者たちもこれから始めようとする者も全く笑顔もなく、精気もない。伏し目がちで希望も夢も何もない。現在のわが国の状況となんら変わりがないというのも不気味である。  なんのために働くのかという問いかけすらとうの昔に忘れてしまった顔を見るのはかなり辛い。地下での単純、無味乾燥、しかも過重労働に追い立てられた労働者たちには未来という言葉はない。  それらすべての絶望的な感情と世界観を台詞なしで理解させるサイレントの凄み。パントマイム的な動きは現在の目で見ると滑稽に見えるかもしれません。しかしこれらの動きは感情の本質を付いているので、観客が制作者の表現を理解するという基本を満たしている。
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 幻のオリンピック・シーンがあるのが今回取り寄せた120分弱の「最長版」でした。もともとは三時間近くあったこの作品もズタズタに切り刻まれ、90分板がもっともスタンダードな編集でした。モロダー版では84分までになっていました。  幻想的なシーンも多く、とりわけ工場の大事故での労働者を飲み込む現場が地獄門に変化するシーンは印象深い。あの工場のデザイン、まるでピラミッドの頂点で生贄の儀式が行われているようでした。
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 黙々と地獄門に飲み込まれていく労働者の群れは恐ろしい。死に臨んでも哀しげな表情を浮かべているだけでなんの感情も出さないほど消耗しきった労働者たちの末路は背筋が凍るほどの不気味さを出している。  すべてを飲み込んだあとにはいつもどおりに何事もなかったかのようにまた同じ労働が同じ現場で繰り返されていくのみである。  演技ではなんといってもブリギッテ・ヘルムの一人二役である清らかなマリアと悪の権化を体現するアンドロイド・マリアの素晴らしさに尽きます。ヨシワラハウスでの退廃的なストリップ・シーンや魔女狩りを髣髴させる火炙りシーンは狂気の映像です。この物語を見て、単純だと言う人もいるでしょうが、本来本質というのは単純なものであることのほうが多い。
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 映像の作り方も素晴らしく、奥行きもしっかりと意識されている。工場の動力部のデザインの秀逸さ。まさにSFそのもの。街のデザインは1920年代にしてすでに100年後の現在を見てきたような先見性です。ヨシワラクラブのデザインは『ブレード・ランナー』に継承されているのは誰が見ても明らかだ。   <第二部へ続く> メトロポリス 特別編 新訳版
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