良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『映画と食べ物』スクリーン上で有名俳優や女優が何かを食べると、なんだかとても旨そうだ!

 映画に出てくる食べ物というと、どんなものを思い浮かべるだろうか。日本映画ならば小津安二郎作品に出てくるような、卓袱台を囲んでの一汁一菜の質素な食卓を思い浮かべる人も多いでしょう。
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 アメリカ映画ならば、『スーパーサイズ・ミー』を例に挙げるまでもなく、ハンバーガー、コーラ、ドーナツをほおばっている映像が目に浮かぶかもしれません。たとえば『ツイン・ピークス』では泣きながらドーナツを食べている姿やチェリーパイが目に焼き付いています。
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 ヨーロッパ映画でのハイソの人々を扱ったヴィスコンティ監督作品などの映画ならば、彼らの自宅シーンではメイドさんや執事がいてすべてを準備するために、家の者は何もしないという感じも多い。または高級レストランで、パリッとしたスーツを着飾ったりしたカップルを思い浮かべたりと、日常とは違うハレの雰囲気を漂わせているシーンが多い印象がある。  我が国では外食という習慣がなかった訳ではないが、洋画ほど食事シーンで異質な雰囲気は出てこないのは何故でしょうか。洋画での食事シーンは何か他のシーンとは違い、シーン全体が浮き上がっている印象がある。  邦画でよくあった、日常生活での家庭料理を囲むシーンは普通の感覚で撮られていて、観る者たちも当たり前のように受け取っているのはなんとも不思議だとは思わないのだろうか。
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 もっとも生きる上で重要であるはずの食事シーンが印象に残らないのは何故でしょうか。食べるという行為そのものが、他人に見られたくないという人は意外と多い。レストランで友人など内輪の人間が一緒にいるなら外食でも食べるという感覚、独りで外食出来ないという感覚は根が同じである。  アメリカ映画では、もしかすると食事という行為そのものに別の意味を持たせていたのではないでしょうか。昔のハリウッド映画ではセックス描写が厳しく制限されていたため、ダンス・シーンが代用に使われていました。  また西部劇のピストルの位置は腰の当たり、つまり性器の象徴として隠喩が施されていました。食事シーンもそれらと同じ意味をなしているのでしょうか。家族で食卓を囲むシーンではそういった意味はあまりないのでしょうが、二人で囲むシーンには暗に彼ら二人の親密な関係性が示される。  そして邦画では秘め事として語られ、洋画では求愛ダンスのように語られる。独身者同士のシーンを作るのが圧倒的に多いが、妻帯者の冷え切った夫婦仲を食卓を使って表現するシーンもまた多い。  反対に夫婦仲の良さをアピールするものもある。妻帯者の食卓シーンで印象に残るものの一つにエルンスト・ルビッチ監督の『結婚哲学』での朝食シーンがあります。  この映画では、幸せな温かい家庭を朝食のポーチド・エッグとティー・スプーンのみで名匠、ルビッチ監督は表現しました。サイレント映画なので、全く台詞がないのに観る者はなんだかほんわかした気分を味わえる。  豪華な食事でもマリー・アントワネット西太后が食べていれば、その映像そのものが権力者へ対する批判と不満を観客に与える。「パンがなければ、ケーキを食べれば良い。」と言ったマリー・アントワネット、食べたいメニューを夜中だろうが何だろうが、持って来れなかったら、食事担当の人を処罰したという西太后の逸話もあります。  贅沢料理自体には罪はないのに、誰がどういったシチュエーションで食べるのかによって、映像の意味が違ってくる。『宮廷料理人 ヴァテール』でもフランス国王ルイ14世をもてなした三日間の饗宴での豪奢な食事シーンが出てくるが、演出も美しく撮ってはいるものの皮肉たっぷりに映し出している。  つぎに何故、食事シーンを入れるのだろうか。個人的な見解ではありますが、食事の準備シーンや食事をしているシーンを入れると、不思議と登場人物にも人間味が出てくる。同じ人間であることが示されるシーンでもあるのだ。
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 冷酷なマフィア裏社会を描いた『ゴッド・ファーザー』にも、アジトでアル・パチーノがパスタの調理法を習うシーン、シチリアで地元の農家の家族にお昼を振る舞われるシーンなどがあり、この映画には食にまつわるシーンに印象に残っているものが多い。
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 同じく香港裏社会を描いた『インファナル・アフェア』でも中華料理のテイク・アウトを貪り喰らうシーンがあるが、かなり旨そうに見える。僕も香港に行ったときに食べたことがあるが、ペラペラのプラスチック容器で食べるチャイニーズも何故か旨いのです。このときのことを思い出し、妙にそれから中華料理が食べたくなったことがありました。
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 香港映画でいうと、ジャッキー・チェンサモ・ハン・キンポーの出ているコメディ映画ではお玉や鍋などが武器に早や代わりしたり、彼らが食べる肉まんやタン麺が実に旨そうに見える。「お前に食わせるタン麺はねえ!」というギャグが出来るほどですので、他の人も強い印象が残るシーンだったのでしょう。実際にはこういう台詞はないらしいのですが…。
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 『酔拳』でのカンフーの達人おじいさんが呑む酒もなんだか僕等が呑んでるお酒よりも良い味を出してそうに見えますね。香港映画にはこういった食にまつわるシーンが結構多いのでしょうか。数えたことはないので分かりませんが、いつも主役はなんか食べているような気がします。しかし、香港映画での肉まんは本当に旨そうです。
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 その他思い浮かぶ映画には伊丹十三監督の傑作コメディ『タンポポ』でのラーメン修行や役所公司が情婦と生卵を口移しで頬張り、最後に情婦の口から精液のように卵黄が零れ落ちるシーンなどはかなりエロチックです。  エロチック繋がりならば、セックス願望はすぐにかなうのに、食欲を満たすことが出来ない不思議な映画、ルイス・ブニュエル監督の『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』も忘れられません。  食卓での並び方が強く印象に残る松田優作主演の『家族ゲーム』、『ルパン三世 カリオストロの城』でのミート・ボール・スパゲティなども食べたいなあと思いながら観ていました。
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 ボロネーゼ風のパスタ料理なんで、実際に行ってみたらイタリアの中部とか北部で出てきそうですね。京都のイタリア料理店で日替わりメニューで出てきたときには迷わずオーダーしました。真ん中に温泉卵が乗っかっていて、かなり美味しかったのを覚えています。
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 モノクロ・サイレント映画にも食事の名シーンがあります。それはチャーリー・チャップリン監督の『黄金狂時代』での寂しいクリスマスのシーン、そして山小屋での革靴ステーキを食べるシーンです。極限状態での食への欲望がこれほど剥きだしに表現された映像はあまりないのではないでしょうか。  同じくチャップリン映画では『キッド』でホット・ケーキをジャッキー・クーガンと平等に分けるシーンを思い浮かべました。
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 古今東西、色々な映画の中での食事シーンを思い出しながらの記事になりましたが、映画を観る切り口の幅広さを得た気持ちがします。(おおげさですね!)