良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『獣人雪男』(1955)差別表現?のため封印されている『ゴジラの逆襲』後の東宝特撮映画。

 東宝映画が『ゴジラ』と『七人の侍』で大当たりを取った1954年の翌年である1955年に『ゴジラの逆襲』のあとに製作されたのが今回紹介する『獣人雪男』です。しかしこの作品を今ビデオやDVDで正規で見るのは不可能です。何故ならソフト化されていないからです。  陽の目が当たらなくなってしまった原因は登場する日本アルプス奥地に住む集落の人々の描写にありました。この部分さえクリアされれば、商品化するにあたり、障害となるのは何もないのではないだろうか。今回、僕は海外版のビデオを手に入れましたが、そのとき一緒に日本語版のビデオが同封されていました。  今回手に入れたのはおそらく1998年だったと思いますが、グリフォンという、いかがわしい今でも謎の多い会社が突如売り出した音声のみを完全収録した『ノストラダムスの大予言』と『獣人雪男』のスチール満載の解説ブック付きドラマCDを買った人たちに、東宝から借りていたビデオを、彼らグリフォン横流しをして販売したビデオが音源と思われるものです。
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 この一連の『ノストラダムスの大予言』と『獣人雪男』の完全版ビデオの特徴はタイム・コードの数値が常に画面上部に示されていて、『ノストラ~』はトリミングされることなく、横長の画面であることが挙げられる。明らかに非売品であり、販売用の正規版ではないのは一目瞭然である。  海外版についてはこれは正規の商品であるが、『獣人雪男』の場合では国内版が94分なのに対し、大幅な本編のカットと外人が喋るシーンなどの挿入が加えられ、65分弱に編集されてしまっている。作品のテイストは窺い知れるが、哀愁や独特の暗さが影を潜めてしまい、原形を留めていない。しかも当然全編英語に吹き替えられており、字幕はない。  それはともかく特撮系発禁映画については常々申しておりますが、大騒ぎされるほどの差別助長表現はそれほどないということです。どのように誠意を尽くして、商品の販売側が細心の気を使ったところで、イチャモンをつける人は何とでも付けてきます。  
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 一部特定少数の意見のために、大多数の視聴者の楽しみを奪うのは間違えていますし、無理に隠したところで差別が無くなるわけでは決してない。確かに拙い部分もあるでしょうが、「タブー」は時代ごとに変わってくるものではないでしょうか。今の価値観に合わないからといって、クラシック作品を封印するのは全く馬鹿げている。  クレームを挙げれば良いというものではないし、いちいち映画会社やテレビ局もそのような少数意見にばかり、気を使う必要性などないはずである。小難しいことなど本来考える必要性がないのが特撮映画の第一の魅力だったのではないでしょうか。
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 よって今回は純粋に特撮映画の隠れた一品として普通に採り上げていきます。何の先入観もなければ、言われるような差別表現をそれほど感じることもないだろうと思われるからです。ただ差別と感じる部分もあるのは事実です。戦後の話なのに、無理やりに秘境映画仕立てにしているせいで、たしかに山奥の集落の人々の描き方に問題はあるのです。  異常に畸形者が多く、隻眼、隻腕だったり、骨格に異常がある住人がかなり画面に出てくるのです。しかも住まいは藁葺き小屋で、着ているものはボロボロで、イノシシや鹿の足を小屋の前に置いてたりします。さらに谷の狭間の低地にその集落はあり、外部との交流がほとんどない状態で描かれている。  そうした部分のみを見れば、単なる差別助長と取られても仕方ないのかもしれません。しかしこの物語で描かれるのは雪男の親子愛と避けられない滅び行く運命、彼らと普通の人々との触れ合い、そして彼らを見世物にしようと企む悪党どもとの戦いを見せる映画なのです。
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 特撮技術としての見所はまずは重厚な獣人のデザインでしょう。重そうではありますが、人間と獣のちょうど半ばという微妙な設定である雪男のデザインとしては秀逸だったのではなかろうか。強そうな感じもよく出ていました。  着ぐるみだけではなく、獣人のミニチュア操演パートもある。さすがに今見るとチャチだが、モノクロ映像のためか、どことなく怪しさを増した仕上がりにも見える。断崖絶壁を駆け上がるシーン、車を持ち上げ、深い谷間に投げ下ろすシーンは迫力がありました。  また雪山など山岳物特有のスペクタクル・シーンである雪崩れや崖崩れ、そして急な山道からの落下シーンなどがふんだんに盛り込まれている。獣人が集落に襲いかかってくるシーンでの火事場のパニック映像も良く出来ていました。  オープニングで見せる、雪のゲレンデでのスキー・シーンも爽快で、戦争が終わってほっとして平和を謳歌している雰囲気が出ていて微笑ましい。  さて映画についてですが、誰もが手軽に見られるという作品ではありませんので、理解の足しになるかもしれませんので、いつもはやらない物語の経過についても要約をお話させていただきます。  物語はスキー場へ掛ってきた、河内桃子への一本の電話から始まります。その電話は河内桃子の兄から掛ってくるもので、ただ事ではない状況が電話での会話からも容易に推察できます。叫び声が二つあり、一方は人間なのですが、もう一方は明らかに獣の声でした。
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 その後消息を絶った彼のために捜索隊が編成され、河内は宝田明らとともに日本アルプスへ向かいます。そこで謎の怪物や見世物を捜し求めてやってきた悪質興行主(小杉義男)らとの戦いが始まります。本来は温厚で、宝田や河内の兄を助けたりもしていた雪男にたいして、人間が仕掛けた仕打ちは非道の一言に尽きる。
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 興行主たちは悪党で、自分たちの目的のためには手段を選ばず、村人達を容赦なく銃殺しまくり、雪男にも魔の手を伸ばす。まずは子供を誘拐し、親をおびき寄せ捕獲してしまう。親が恋しい子供は捕獲車両に助けに行くが、かえって自分の身を危険に晒してしまう。
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 大切な子供雪男を興行主に銃殺されて、怒り狂った雪男は関係ない集落までメチャメチャに破壊し、村人や興行主の一味を皆殺しにしていく。ついでに子孫繁栄のためか、河内を誘拐し、山の奥地に潜んでしまう。
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 山奥の噴火口に雪男を追い詰めた宝田らは集落の娘(根岸明美)が言うままに彼女を危険に晒し、河内を奪い返す。そのために娘は命を落とすが、ラストシークエンスでは追悼の言葉すらないほど冷たい。宝田に惚れた娘の死に様なのに宝田はあまりにも冷たかった。  全編を貫くのは哀しみであり、明るさを感じる作品ではない。常に哀愁を漂わせながら生きている獣人の目はとても悲しそうであり、彼にとっての唯一の生きがいであった子供を失った時に彼の中の何かが崩壊したのである。  東宝特撮映画の初期では明るさよりも、哀愁こそが根底を貫く太い骨組みだったのだが、戦後の繁栄とともに明るさばかりに目が行くようになってしまった。明るい路線に変更してから、傑作が生まれなくなったのはなんとも皮肉なものである。
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 演技面では本来雪山などは男の独壇場であるはずだが、宝田明を筆頭にあまり輝いている印象がなかった。むしろ彼らよりも素晴らしかったのは二人のメイン女優だった。ひとりは『ゴジラ』のヒロインでもある河内桃子であり、もう一人は根岸明美であった。  河内桃子は清潔な女性を今回も演じていて、存在感はさすがでしたが、今回のヒロインはその悲劇性を考えても明らかな通り、根岸明美であるのは間違いない。薄幸の野生の女性・根岸と清楚なお嬢様・河内に宝田を交えた三角関係になるのかとも思いましたが、宝田の方にはそんな気はまったくなく、なんとも女泣かせなプレイ・ボーイでした。
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 獣人雪男も最後はあっけなくやられてしまいますが、一人残されてしまった彼にとっては一人で生きる辛さよりも、その場で自決するという選択肢が必要だったのかもしれません。日本版では根岸共々噴火口に落ち、その生涯を終えますが、アメリカ版では子供雪男の死骸がわざわざアメリカまで運ばれて、それを元に白人博士?たちが「ああでもない。こうでもない。」とダラダラやっていました。
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 東宝特撮映画の初期のテイストを汲む傑作のひとつである。いつまでも封印され続けるには惜しい作品であり、いつまでもマニアのブラック・マーケットで法外な値段をつけられているべき作品ではない。 総合評価 80点