良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『狂鬼人間』<パート1>禁断の、そして抹殺された第24話。あの時代だから出来たのか?

 1968年に、円谷プロ制作の特撮作品シリーズとして今も評価が高い『ウルトラセブン』が放映終了後に、TBSタケダ・アワー(このために、夜のドライブで終わる放送回でのラストシーンでは「武田 アリナミンA」の電飾看板が大映しになる!)の後釜番組として新たに製作されたのが『怪奇大作戦』でした。この作品群は円谷プロが持つ特撮技術の粋を惜しげもなく投入して作られた傑作と呼んでも良いドラマシリーズである。  しかし放映当時では明るいウルトラシリーズとは違い、影が薄く暗い作品として、その真価を特撮ファン以外では長い間、理解されずにきました。このシリーズが持つ独特の燻されたようなテイストと色調、そして明らかに大人向きと思える内容からか、ウルトラシリーズほどの脚光を浴びていたとは言い難い。  経済的に急速な勢いで右肩上がりの発展をしていた昭和四十年代に、日本社会の繁栄の裏側で取り残された人々の剥きだしになった憎悪、病的な心理、妄執、異常さ、怨念などの歪みや負の部分を描き、その描き方自体が辛辣で過激な内容が多かったのはあの当時の社会情勢への警告や反骨精神もあったのだろうか。
画像
 シリーズ自体は全26話で終了してしまったのだが、それはおそらく視聴率の不振のためだったのか、それとも日曜夜7時のお茶の間に流すにはテーマがあまりにも重々しすぎると判断されたためであろうか。それとも両方だろうか。  怪獣特撮映画はもちろん楽しいが、このおどろおどろしいタイトル『怪奇大作戦』を持つシリーズにはスーパー・ヒーローは登場しない。強いて言えば、岸田森らが所属するSRI(科学調査研究所)の所員たちである。  勝呂誉、松山省二(現・政路)、原保美、小橋玲子らがSRⅠ所員で、これに警部役の小林昭二を加えた人間たちこそがこのシリーズの「ヒーロー」なのである。ウルトラシリーズの後ではあまりにも地味だが、怪獣やスーパー・ヒーローに逃げられない分、特撮のクオリティも、演技のクオリティも恐ろしく高い。とりわけ岸田森の演技はまさに渾身のそれであり、異様なほどの輝きを今なお放っている。
画像
 このヒーロー不在がさらに地味な印象を与えたのは否めない。ここでは奇怪な難事件を解決するのはあくまでも人間であり、科学力と科学捜査で事件を解明していくのである。そのためほとんどの事件は解決したとしても、爽快感は皆無である。どこか頭に引っ掛かりや胸のモヤモヤを残したまま30分が過ぎていく。  考えさせられるドラマシリーズなのだ。明らかに子供向けではないが、実際にぼくも子供時代から今まで何度も見た円谷作品というと『ウルトラセブン』と『怪奇大作戦』なのである。子供時代にはなんだか暗いし、気味悪い印象しかなかったのだが、妙なことに何度も見たくなったシリーズであった。  とりあえず番組最後の5分に悪の大怪獣や宇宙人をやっつけるスーパー・ヒーローを登場させておけば良いという安易な発想が許されないのがこの『怪奇大作戦』であった。ではどうすべきなのか。それは特撮では軽んじられがちな本編、つまりドラマ部分をどれだけしっかりと構築するかにすべてが係ってきたのである。
画像
 このシリーズではそのへんもしっかりと理解されていて、実相寺昭雄、飯島敏宏、佐々木守上原正三市川森一金城哲夫、的場徹、高野宏一ら『ウルトラQ』や『ウルトラセブン』以来のスタッフたちが熱意をこめて仕事に打ち込んでいます。  子供のときはわけが分からないながらも、特撮技術のところで「高野宏一」のクレジットや、監督のところで「実相寺昭雄」のクレジットを見ると、「よし、こいつら(失礼!)のときは面白いに決まっている!」と変な確信を得たりしてました。  つまり子供は子供なりに分からないながらも、作り手が「子供向け」として「なめた」態度で番組に取り組んでいるか、作家が自分のやりたいことを出来る範囲でやっているのかを案外冷静に見抜くのである。  あまりにもお子様向けにやられると「ケッ!なめるなよ!」となるのである。最近のテレビ特撮などをたまに見ていると、なんだか腫れ物を触るような感じで台詞を読んでいるように見えるときがある。ああいうのは子供に簡単に見抜かれます。親は隠してるつもりでもばれているものです。
画像
 ある意味、『美女と液体人間』『ガス人間第一号』など東宝変身人間シリーズから続いた特撮技術の真価を世に知らしめるために、円谷プロが持っていた特撮の「華」である怪獣を捨ててまで挑んだ力作揃いのドラマとなったのがこの『怪奇大作戦』なのである。  その先見性と革新性には驚かされるが、結果として当時の子供向け時間帯のテレビ番組としてはまだまだ早過ぎたのもまた事実である。走り急ぎ過ぎたからこそ、視聴率は振るわなかったかもしれませんが、今見るととても新鮮で古さがないのも事実である。  ただ実際問題として、この『怪奇大作戦』を知っている人は特撮ファンのみに限られています。いまでもそうかもしれません。ウルトラ兄弟は知っていても、SRIを知っている人にはこれまで出くわしませんでした。そんな作品に光が当たるきっかけになったのが、第24話『狂鬼人間』を巡る例のLD販売でのトラブルだったのはなんとも皮肉なことでした。
画像
 禁断のエピソード第24話『狂鬼人間』がLD『恐怖人間スペシャル』では普通に販売されていたのに、何故ボックスセットではダメになってしまったかについては様々な憶測が乱れ飛んでいますが、どれが真相かは分からない。  ソフト自体の「音声不良が原因のため。」という訳の分からない理由で、発売当日に店頭からの回収騒ぎを起したことでクローズアップされたのです。実際には店舗の対応はまちまちで、予約分だけは販売してしまったという状況のようでした。
画像
 店舗には配送の都合があり、納品が発売日前になるというのは別段珍しくはない。お店によっては前々日ということろもあったのかもしれません。それにお店に入荷されるのは『怪奇大作戦』だけではありません。  毎月、何十から何百と発売されるソフトの内、『怪奇大作戦』のみに特別な配慮が行われるとは思えない。しかもLDボックス・セットともなると、万単位の金が売り上げになるのにわざわざ販売しないという経営者がいるであろうか。  当日になって、大型店舗やチェーン店で買おうとした人よりも、むしろ小さなお店で予約していた人の方が購入できる可能性が高かったのでしょう。またマニアックなファンの心理を熟知するお店ならば、発売日前に販売していたであろう。  様々な思惑が複雑に絡んでしまったのが、今回記事にした『怪奇大作戦』第24話の『狂鬼人間』である。レーザーディスク発売前からテレビ再放送時には24話である『狂鬼人間』はほとんどが放映されず、23話『呪の壷』の次に25話『京都買います』がくるか、別のエピソードを再放映するかのどちらかだったようである。
画像
 そういった騒動も多々あり、現在では24話『狂鬼人間』は完全に円谷プロの作品リストから故意に無視されているのみならず、ビデオ『怪奇大作戦ベストファイル(『狂鬼人間』と『ゆきおんな』が削除されている)』にも、2003年から発売されているDVD全集にも収録されてはいない。DVDの裏パッケージにも全く何も触れられてはいない。  円谷プロとしては『獣人雪男』『ウルトラセブン第十二話「遊星より愛をこめて」』『ノストラダムスの大予言』などとともに、マスコミやライターに触れられて欲しくはないタブー作品のリストの真っ先に入っているような状況にあるのが、この問題作『狂鬼人間』なのである。 <続く>