『ゴジラ』(1984) 新たに始まるゴジラの歴史。真面目に作られています。なにか不満でも!?
おそらく、ゴジラへの思い入れが強い人ほど、『ゴジラ』(1954)から『怪獣大戦争』くらいまでのゴジラ・シリーズこそがリアル・ゴジラだと言い張るのでしょう。またはヘドラの残像が残っている人はこれこそがオリジナル以来では準優勝的な最高傑作と信じているでしょう。
ではこれらリアル・タイムのゴジラを体験できなかった人たち、たとえば最初のゴジラが『ゴジラの息子』だったり、『ゴジラ対メガロ』だったひとにゴジラはどう映っていたのだろう。また、彼らよりもさらに5年以上遅れてきた世代の人がはじめて大画面で観たゴジラはもしかすると、この『ゴジラ』1984年度版なのではないだろうか。
これが劇場での初ゴジラの人ならば、正直かなり楽しめたのではないでしょうか。あとになって、初代のゴジラの素晴らしさに触れると、どうしても「後のはクズだね!」とかのたまう愚かな者も出てくるでしょう。しかしこういう輩は信用してはいけない。一番大切なのは当時、劇場で観た人がどう感じて、どう楽しんだかなのです。
たとえその映画が貶されていても、自分が楽しめたのならば、それで十分なのです。したり顔をして、過去作との対比ばかりに重点を置いて話す人もいるでしょう。しかし彼らすべてが1954年に実体験したとは考えられません。つまり後出しじゃんけんで話をするのはおかしいことに気づけば、誰が何を言おうと関係ないのです。
自分がどう楽しんだか。自分のお金を使い、自分の時間を使い、自分の感性で判断する。他人がどういおうと関係ない。自分にとってのゴジラを作り上げればそれで良い。特撮の神様である円谷英二にしても、いつまでもオリジナルのものばかりを賞賛し、あとの作品を貶す人に対しては特撮ファンとは思っていなかったのではないでしょうか。
ストーリー展開がご都合主義だという人もいるでしょう。しかし、映画はリアリズムがすべてではない。とりわけ夢を語るのが使命である特撮映画やSF映画について、粗探しばかりにしか目が行かない人はじつはかなり不幸なのではないでしょうか。粗探しをするのが何よりも楽しいというならともかく、いやしくも特撮ファンであると自負するのであれば、コメントのどこかに愛情がにじみ出てくるはずでしょう。
駄目なものは駄目でよいのですが、全否定するのはどうなのでしょうか。たしかにショボイもの、トホホなものも多いのが特撮であり、ゴジラ映画です。ただ本当は楽しんでのに、あとになって他の傑作との比較を経て、最初からあれは駄目だったという嘘つきにはなりたくはありません。
僕はたまたま最初に観たのが『キングコング対ゴジラ』という楽しい作品でしたので、良い入り方をしたなあというのが実感です。しかし今回取り上げた『ゴジラ』1984年度版もけっして駄作ではありません。
朝靄の中から静岡の原発に上陸してくるシーン、ゴジラの視点で語られるあのシーンは怪獣映画らしい独特の素晴らしさではないでしょうか。何度も出てくるビルの中の人間たちを睨み付ける凄みは『キングコング』以来の伝統でしょう。ただ巨大ビルが立ち並ぶ昭和後半の東京においては、ゴジラの身長の設定は100M以上でも良かったのではないでしょうか。なんだか小さく見えてしまうのは残念でした。
特撮ではそのほかで目についたのは巨大フナ虫のチャチさでしょうか。はじまって、すぐにああいうシーンが出てくるとげんなりとしてしまいますので、もう少し、配慮があっても良かったのではないでしょうか。それともうひとつ、
気になったのが下の写真のシーンなのです。これは発禁作品『ノストラダムスの大予言』での暴走自動車によって、引き起こされる高速道路の大火災シーンで使われた映像と同じなのではないだろうかということでした。
そして1954年度版と同じように、今シリーズの作品の基本設定がゴジラ対自衛隊であることが明らかになっているのもファンとしては嬉しい。今回登場してくるスーパーⅩの造型そのものは電気炊飯器のようで、なんともかっこ悪いのですが、カドミウム弾をゴジラの口に集中的に浴びせるのは、敵としてのゴジラの弱いと思われるところに戦力を集中するということなので、好感が持てます。
しかも自衛隊及び人類の対G作戦はスーパーⅩだけではなく、Gの帰巣本能を利用するという生物としてのGへの攻略アプローチという機軸を打ち出しているのも見逃せない。つまり怪獣対怪獣ではなく、対人類という視点を30年ぶりに取り戻したのがこの作品なのです。たしかに突っ込みどころは満載でしょう。
だからどうしたというのだろうか。ゴジラが復活しているだけでも良いではないか。お正月にゴジラ映画があるのとないのとではどちらが楽しいだろうか。「今度もしょぼいだろうなあ。」とか言えるだけでも良いのではないだろうか。実際、『ALLWAYS 2 続三丁目の夕日』のオープニングにゴジラが登場してきたとき、どれほど観客が沸いたかを思い出せばすぐに分かるでしょう。
演技に関しますと、小林桂樹・鈴木瑞穂・小沢栄太郎・金子信雄・加藤武・田島義文ら脇を固めている邦画の重鎮たちを観たときに喜びがあふれ出てきます。彼らの長年のキャリアが持つ説得力があってこその特撮映画なのだとはっきりと分かります。
反面、主役の宅麻伸・田中健はともかく、当時新人だった沢口靖子の出来の悪さに幻滅してしまいます。そのほか、以降のゴジラ・シリーズの隠れた目玉であるカメオ出演には武田鉄矢・江本孟紀・かまやつひろし・石坂浩二・鳥山明(エキストラ。たしかゴジラに踏まれる!)・NHKを退社したばかりだった森本アナウンサーなどが顔を揃えていました。
ただしこの映画には致命的欠点があります。ゴジラと言えば、なくてはならないのは伊福部昭の音楽であり、彼の音楽がこのシリーズの雰囲気と品格を高めていました。しかしながら、今回は彼が参加していない。これはかなりのマイナス評価にならざるを得ない。
さらにこのゴジラでの大切な音楽を醜悪なレベルに落としてしまうのが全くヒットもしなかった、沢口靖子によるアイドル歌謡曲『さよならの恋人』でした。しかもこれを作品冒頭に突っ込んでしまったのは暴挙としか言いようがない。この曲を奏でるラジカセ及びカセット・テープ(CHF!)がソニー製というのは笑えました。
なにはともあれ、ゴジラ映画は楽しい。たとえまずい部分が多くても…。
総合評価 61点