良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『震える舌』(1980)感染し、五日以内に発症したときの致死率が100パーセントの病気とは…

 はじめて、この映画を観たのは中学生か小学生の頃でした。当時の映画会社の宣伝文句がたしか「ある朝、少女は悪魔と旅に出た…」か何かだったと記憶していますので、おそらくホラー映画だと思って、観ました。実際にはこの映画はホラーではなく、家族間でも疑心暗鬼に陥る、感染症の恐怖とその闘病を描いた作品でした。  では感染症とはなんだったのか。それは破傷風でした。破傷風というと、たいがいの人は聞いたことのある病気だと思います。しかし実際にはどのような病気なのかといわれると、ただ漠然と傷口を不潔にしていて、そこに破傷風菌が侵入すると罹る感染症であろう、という程度の理解でしょう。
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 自分もそうでしたが、この映画を観る前と観た後では「清潔」「不潔」に対する捉え方の甘さがなくなり、その重要性と不潔であることの危険性を脳裏に刻み込みました。他の人もそうだったのではないでしょうか。幼稚園か小学生の低学年の生徒には全員に見せるべき作品ではないでしょうか。それほどインパクトの強いのがこの『震える舌』なのです。  幼少期にこの映画を観れば、もしかするとトラウマになるかもしれませんが、ショック療法は小さいうちからやるほうが効きます。大人になってから観ても(今回で三回目!)、結構あちこちの筋肉に疲れを感じる映画ですので、公開から30年近く経った今でも十分にその使命を果たすでしょう。  そもそも破傷風は2万人に1人が罹る病気で、その致死率の高さが異常に高いことでも知られています。破傷風菌に感染して、それが5日以内に発症すれば致死率が100%、7日から10日以内に発症すれば致死率が70~80%、10日以上で38%という非常に怖い病気です。今はどうだか知りませんが、当時はそうだったのでしょう。  誰もが恐れる病気の代表といえば日本脳炎が挙げられますが、この病気の致死率が40~50%なので、どれほどこの破傷風が怖いか、理解できると思います。誰もが罹るわけではなく、2万人に1人というのもポイントで、珍しい病気でもあるために、血清治療以外に有効な処置がない、つまり治療法が難しい病気でもあるのです。  そもそも破傷風菌は嫌気性の細菌で、泥の中や家畜や野生動物の腸の中から見つかることもあるそうです。人間やその他のほとんどの動物も酸素があってはじめて生きていけるので、嫌気性菌(たしかボツリヌス菌もそうですね。)がいったん人間に侵入すると、その攻撃は激烈を極めます。  破傷風菌が宿主の体の中で、毒素を出し、その毒素が神経と結合するともう処置も出来ないというほどの猛威を振るうのが破傷風なのです。現在ではどのような治療法が見つかっているのかは知りませんが、この当時、この映画を観ていたときには非常に感染症に脅威を覚えました。
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 菌が宿主に襲い掛かるというのはお互いに自滅の道を一直線に走るということになります。菌が猛威をふるい、宿主の免疫を打ち破ったとしても、宿主自体が死を迎えれば、そのなかにいる細菌もやがて死を迎える。共存できてこそ、意味があるのに共倒れでは無意味だとも言える。  太古より存在していた嫌気性菌はいわば古い地球であり、かつては彼らの地球であったのだろう。それが酸素が地表を覆うことによって、居場所を失い、人間がついに頂点に立った。菌は人間を宿主に定め、攻撃をしていく。菌には宿主が必要不可欠だが、宿主には菌は必要ではない。  大きくみていくと、もうひとつの恐ろしい結論が浮かび上がる。人間を菌、地球を宿主と置き換えるとどうだろう。人間には地球は必要不可欠であるが、地球には人間は必要ではない。共生していけるのであれば良いのですが、どうも我々は地球にとっては破傷風菌となんら変わりはない。  色々と考えたことをまずはつらつらと書き連ねましたが、この作品は野村芳太郎監督を起用、父親役に渡瀬恒彦、母親役に十朱幸代、女医に中野良子、院長先生役に宇野重吉を揃え、その他にも北林谷栄蟹江敬三など名優を配し、素晴らしい作品に仕上げている。なかでも目を瞠るほどの活躍をするのがこの映画の主演とも言える子役の女の子である。彼女の名は若命真裕子(わかめいまゆこ)。今現在の彼女が何をしているのかは残念ながら分かりませんが、彼女あってのこの作品であることは間違いありません。  錚々たる顔ぶれを揃えた、この映画の中でも、彼女の存在感と凄みに太刀打ちできた俳優女優は誰もいない。この作品のみで、他には出ていないようなのですが、一作だけで燃え尽きたというか、この映画を成立させるためにこのタイミングで登場した子役だったのでしょう。  彼女が見せた、破傷風の発作の演技の迫力はいわゆる俳優では決して出せない、まさに絶品の演技でした。舌を噛み切るときの鮮血交じりの口元と金属が切断されるような金切り音のような叫び声の恐ろしさ。寒気がするほどの迫力でした。また破傷風特有の症状である後反弓張の恐ろしさは当時大ヒットしていた『エクソシスト』のリンダ・ブレアの演技よりもリアルで迫力がありました。
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 幾つもの作品に登場するのも良いのですが、一作だけ出て(実際には『典子はいま』にも出ているのですが、全く覚えていませんので、そうインパクトのない演技だったのでしょうか?)、しかもそれが名作という役者人生もあっても良いのではないでしょうか。例を挙げれば、『隠し砦の三悪人』での上原美佐(そのほかにも東宝作品に出てはいますが、存在感はまるでなし。)、『吸血鬼ノスフェラトゥ』のマックス・シュレック(吸血鬼役のひと!)、『裁かるゝジャンヌ』のルイーズ・ルネ・ファルコネッティなど一本の映画ですべてを出し尽くした俳優も多い。  作品の舞台には聖路加病院を使っているためリアリティがあり、何気に暗い照明もいかにもの雰囲気を出している。昭和50年代くらいまでのドラマの色を思い出させます。全体的な色調も陰鬱な感じで、重苦しい。時々にインサートされる妖艶な蝶の動画がむしろ邪魔に思える。リアリティを突き詰めていくのであれば、この演出は不必要だったのではないでしょうか。  音楽は出だしから『無伴奏チェロ組曲』を用い、重々しい空気を照明とともに作っていく。そのほかに使われる効果音も陰気で、ヴォリュームも小さい。この作品での大きな音は少女が破傷風の発作を示すときの「イイイーーー!」という叫び声と暗く、そして静かにしておかねばならないはずの彼女の病室での闘病を邪魔する騒音や差し込む光である。音のオンとオフを計算して、作品を盛り上げたという印象が強い。地味ではありますが、こういう音の使い方もしっかりと見極めながら、映画をじっくりと観ていきたいものです。  そのほかにも救急で治療しなければいけないはずの病気であっても平気で受け入れ拒否をする病院、そして誤診や医師の過酷な労働時間の問題など今でも通用する問いかけがすでになされています。  また家族愛などという甘っちょろい感覚ではすまない二次感染への恐怖はリアルに恐ろしく、親もまた一個の弱くて無知な人間であることも鋭く抉られていく。昔の映画にはそういった意味で、いわゆる「骨」があったと思うのは自分だけでしょうか。 総合評価 80点