良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(2009)半純血って、いったい?すべてが中途半端に…

  7月14日に待望の劇場公開が始まった『ハリー・ポッター』の第六弾となる最新作『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を観てきました。大量のCMを投入して、万全の集客態勢を取っていたはずですが、蓋を開けてみると、まさかの不入りに驚きました。  まあ、ゆったりと両横の空いている席の左にスーツを、そして右の空席にペット・ボトルとパンフレットを置いて、思い切りリラックスしながら、のんびりと観ることが出来るので、個人的にはかなり気分良く観るチャンスが来ました。  お菓子パリパリ音を出しそうなKY的なおばはん&おっさん観客もいないようですし、万全の状態で待ち受けていました。映画の上映前という微妙な時間である20分間って、なんだかとてもワクワクする時間でして、映画そのものを観ている時間よりも楽しかったりするときもあります。
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 高校などの期末テストも終わり、もう夏休みに入っている学生もいるでしょうし、スター・ウォーズ・シリーズのような列待ちも覚悟していましたが、開演20分前でのこのような状態に唖然といたしました。盛り上げようと躍起になっても、キャラクターたちの人気の賞味期限はもうとっくに過ぎてしまっているのでしょうか。  ヤフーのニュースなどを見ていると、ハリー・ポッター劇場版シリーズの出だしとしては史上最高の観客動員数を記録したとのことでしたが、今いる劇場での、この盛り上がりの無さは一体どうしたことだろう。結局、上映が開始されるまでに集まった観客は120人のキャパに対して、たったの10人という非常に寂しいものでした。  内訳はいかにも招待券をもらったような家族が一組で4人、カップルが2組で4人、あとは映画ファン風の二十代の女の子、そしてぼくの全部で10人です。上映が始まってから、二人ほど若い女の子(たぶん友達同士)も入ってきましたが、それ以上は誰もこのスクリーンには集まりませんでした。  映画の内容としては魔法チックな暗いムードで進行していくので好感が持てますが、あっちもこっちも盛りのついた動物のように、バカップルがホグワーツで大量発生していました。ロン(ルパート・グリント)は最初から最後まで色ボケ状態で、魔法的なシーンは皆無で、まるでアメリカ学園ドラマに出てくる全身下半身青年と化していました。
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 可愛かったハーマイオニーエマ・ワトソン)も今は昔で、どんどん魅力がなくなっているように思えました。彼女もまた、嫉妬に燃えるモテない女子扱いで、一応はロンが倒れて、意識不明状態から復活してくるときに「はあ まいおにい~!」という寝言とともに付き合いはじめますが、見せ場というには寂しい限りでした。  肝心の主役、ダニエル・ラドクリフも髭が生えてきているおっさんになってしまい、『ハリー・ポッターと賢者の石』のときのような可愛らしさはとっくになくなり、ひょっとした親戚のおにいちゃん風になっています。彼にもラブ・ロマンスがあり、親友ロンの妹であるジニー(ボニー・ライト)と付き合いだしました。う~~ん…。みんな身近ですませるなあ…。
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 今回は真実を語る記憶の小瓶が登場し、これを過去へのフラッシュ・バックの小道具として使用しています。最初は上手いこと考えるなあ、と思っていましたが、何度も何度もひつこく繰り返すので、しまいには他にないのかよ!と突っ込みを入れたくなりました。  今回の目玉としては「あのひと」、つまりヴォルデモート(まだトム・リドルです。)の幼少時代を演じるフランク・ディレイン(青年期)とヒーロー・ファインズ=ティフィン(子どもの時期)を挙げることが出来ます。彼は小さな頃から、人間社会で他の子どもとの圧倒的な違いを見せつけ、マグル(人間のことです!)の家から、ダンブルドア校長によって、ホグワーツになかば強制収用されてきます。  そこでの様子がまるで『オーメン2 ダミアン』に登場するダミアンに酷似しているのです。七三に髪を分け、冷たそうな眼をしていて、青白い照明が当たる。噴出しそうになりましたが、周りの人たちは全く反応していないようでした。間違いなく製作者側はパロディとして使っているのですが、観る側がそれを受け取れないと全く無意味な演出になってしまうので、出来るだけ多くの映画に接していきたいものです。
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 トム・リドルの幼少期のエピソードを出すのであれば、その頃に受けた心の傷が原因で、恐ろしい大悪魔になってしまったのだというきっかけのエピソードを挿入する必要があったと思うのですが、そういう彼が闇の世界に身を落としていった心の影の部分には全く触れられずに、ただただ彼は昔から悪かったというエピソードのみが示される。これではせっかくの大河ドラマに深みが生まれないのは当然である。  印象に残っているシーンとしてはロンの家にハリーが現れるとき、地上階から螺旋状になっている二階、三階までの住人が一度に出てきたところを仰角で捉えたカットでした。またもうひとつは分霊箱を探すために訪れた洞窟で、ゾンビのような亡霊たちと格闘するシーン。
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 テレビCMではケイティ(ジョージーナ・レオニダス)が突然悲鳴とともに空に舞い上がっていくシーンやロンが絨毯の上で倒れているシーンが流されていますが、全く本筋には関係ないありません。完全なフェイク映像に過ぎませんので、騙されないようにしたい。  しかし何故、CMというやつは無関係なシーンを無理やりつなぎ合わせ、いかにも意味深な編集を施すのであろうか。観た者にがっかりとさせるのが目的なのだろうか。そういう姑息なことばかりするから、観た後のガッカリ感を強くしてしまい、悪い評価を付けさせる原因となるのが未だに分かっていないのだろう。
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 今回、タイトルにもなった『ハリー・ポッターと謎のプリンス』の原題は『Harry Potter and the Half-Blood Prince』となっていて、台詞中では「半純血」という字幕が頻繁に出てきます。これについてはおそらく「Half -Blood」を直訳しただけで、「混血」の王子とはしたくなかったのでしょうが、妙な気遣いはかえって差別助長となるのではないでしょうか。当初は『ハリー・ポッターと混血の王子』だったと思いますが、おそらくは問題が起こる前から事前に最悪を予測した行動に出たのでしょう。  で、そういう字幕がついてしまった原因となる張本人が実はキャラクターのなかでもずっと謎の多いキャラクターとして登場してきたスネイプ役のアラン・リックマンでした。彼は重要な役回りを演じる気配をずっと持っていましたが、ようやくスポット・ライトが当たってきました。ただ彼についてもタイトルになるほどの重要な役であるにもかかわらず、あまり深くは語られることなく、映画が終わってから、「う~~~ん?なんだあ?」と思い続けているだけでした。
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 エマ・ワトソンの魅力がなくなり、ジニーは別に可愛くない。個人的に一番可愛いなあと思ったのは奇天烈な女の子ルーナを演じているイバンナ・リンチでした。2作品くらい前から出ているのではないかと思いますが、彼女の不思議さはこのシリーズのなかではもっとも飛んでいて、スパイス的な役柄を演じていました。  あと演者でフューチャーされていたのは前回、父親が捕まってしまったトム・フェルトン(ドラコ・マルフォイ)で、彼はハリーとずっといがみ合うものの良い場面をすべてハリーに持っていかれる役でしたが、今回は悪の枢軸となり、善と悪に揺れ動く悩み多き青年を演じています。
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 J・K・ローリングの書いた原作を一切読んでいないので、ポッタリアンがこれを観たときには納得が出来ない内容だとは思いますが、どうだったのだろうか。長すぎるとも思える無意味なシーンが続くと思いきや、重要かなあと思えるシーンへの深入りは一切ない。これでは長い長い絵巻物の表面上をペラペラと眺めているだけで、物語の深みをほとんど理解できない。
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 小説の映画化という工程を纏め上げるときに必要なのは広さ(世界観)と深み(人間の感情や考え方)であると思いますが、この映画には両方が欠けている。というかハリポタ・シリーズの映画すべてに言える。ポッタリアンたちは本当に映画化されたポッターに満足しているのであろうか。  最後に特撮についてですが、今回は特に目新しいものもなく、手抜きとは言いませんが、熱意をあまり感じなかったのは自分だけでしょうか。なんだか仕事として製作しているだけで、あまり原作への愛情を感じない映画でした。このままあと2作品をファイナルに向けて、2010年と2011年に製作するようですが、尻切れトンボになりそうな勢いで、一応は6作品すべてを観てきた僕としては少々心配でもあります。 総合評価 68点
「ハリー・ポッターと死の秘宝」 (上下巻セット) (ハリー・ポッターシリーズ第七巻)
静山社
2008-07-23
J. K. ローリング

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ようやく終わった満足 ...
訳最悪ですハリーが葛 ...
まぁまぁかな。これほ ...
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