良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『灰とダイヤモンド』(1957)規制が多い東側陣営下で撮られた、反逆の青春映画。

 ぼくらはずっとアメリカの加護のもと、国防やら仮想敵国などという観念をまるで持たないまま大人になりました。マスコミも自衛隊や国防を唱える政治家を危険視するなど、もっとも平和ボケした巨大権力として21世紀になってもわが国で君臨している。このようなボケた世界しか知らない日本国民にはアンジェイ・ワイダが住んでいるポーランドという国は理解できないのではないだろうか。  この国は四方八方を強国に囲まれて、それらの国の栄枯盛衰がそのまま圧し掛かってくるという最悪の立地条件で暮らしているのだ。フランス、ドイツ、ロシア、ローマ帝国、元、オスマン・トルコと歴史に名だたる大国は常にチェコのあるボヘミア盆地やポーランドを通って戦争をしに行く。位置的にポーランドは緩衝地帯というか、侵略者の「道」として機能していたのです。
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 ハウスホーファーマッキンダーで有名な地政学でも世界支配のテーゼがあり、要約していくと「ボヘミア盆地(チェコ)を制するものはハートランドウクライナなどロシアの内陸部)を制し、ハートランドを制する者は世界島(ユーラシア大陸)を制し、世界島を制する者は世界を制する」というものです。自らが繁栄するためだけの生存圏の思想もあり、侵略者が事を始めるときの第一歩目がチェコポーランドへの侵攻だったわけです。  この辺の事情を頭に浮かべながら、この映画を見ていくと、ドイツの侵攻の意味、そしてロシア(ソ連)軍がなぜ対岸まで来ているのにポーランド愛国者たちを見殺しにすることに決め、またカティンの森で将来の自軍の支配にとって邪魔なポーランドの精鋭たちを虐殺したかが分かる。  ちなみにアンジェイ・ワイダの父はこのとき、つまりカティンの森の虐殺に巻き込まれ、絶命している。親を殺された彼がどういう気持ちで映画を制作してきたかは余人には計り知れないが、家族を奪われた恨みは決して消えることがないであろう。その気持ちを70年近くを経て、ようやく具体化したのが2007年の『カティン』だったのかもしれない。
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 ロシア(ソ連)は自分がポーランドを支配していた時期にカティンの虐殺を行っておきながら、すべてをヒトラーの責任として第二次大戦後から擦り付けてきましたが、ソ連崩壊後に全部ばれてしまいました。本質的にロシアの中枢は欺瞞に満ちていて、しかも暴力的という伝統を持つ。けっして変わらない彼らの本質と歴史を分かった上で対応していかねばならない。  国がでかいだけでのさばってきた輩はきめ細かいセンスなどはなく、弱者を叩き、物資を巻き上げることで歴史と日々の暮らしが成り立ってきているのですから、利益があるうちは利用しようとするだろうが、それがないと分かれば、すべての約束を簡単に齟齬にする手合いである。  常に足元を見ながら脅しをかけてくる輩を信じてはならないし、そういった共産主義者の擁護をしているマスコミを信じてはならないのはもちろんである。何が正義で何が悪だというのは断定できないが、芸術家や一般市民がモノを言えなくなるような国は人民の敵である。
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 さて、この映画が製作されたのは1957年でしたが、アンジェイ・ワイダ監督がもっとも苦労したのは作品の製作そのものではなく、社会主義国家では必ずある言論や表現の弾圧と検閲でした。脚本の審査をまずはパスせねば、製作まで漕ぎつけられませんし、いざ撮影が始まると、次は“編集者”という名の検閲官が逐一上層部に報告し、反体制的な言動や映像を取り締まっていく。  これは当時、監督のアンジェイ・ワイダをはじめ、ロシアに抑圧されていたポーランドの若い世代にとっては反体制映画であっただけではなく、破滅的な生き方を描き出した青春映画でもあった。彼のサングラスの意味は『地下水道』を観た人々ならばすぐに理解したでしょう。  この映画での主人公のサングラス、戦死者の鎮魂のために火をつけられた5つのグラス、解放を告げるはずの偽善的な花火、疲れ果てて家路に着く街の有力者たちのうつむいたような空虚な姿、抱きついて果てる共産党幹部、血染めのシーツ、そしてゴミ溜め場での壮絶な最期など映画的に強く印象に残る。
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 また『地下水道』でのラストで、川向こうで駐屯したまま、決起者の皆殺しを見届けようとしている共産ロシア軍への大いなる怒りを深く心の底で爆発させていたように、ここでも解放のはずなのに、街中を闊歩する戦車やスターリンの巨大な肖像などがポーランドの戦争が未だに終わっていないことを観るものに訴える。  かつてゴダールは『映画史』で「数億人が『見知らぬ乗客』のライターを知っている。」と述べましたが、『灰とダイアモンド』に出てくる上記の映像も強烈にインプットされていることでしょう。アンジェイ・ワイダの製作現場では常に検閲との見えざる戦いがあり、表現方法について最適なやり方を模索する日々が八十年代後半まで続きますが、圧力があればあるほど、規制が強ければ強いほど表現方法が磨かれていく。  この映画の中でも興味深い撮り方がいくつもあり、左右のバランスをわざと崩したような違和感のあるカットや、同じく左右の遠近感を生かした個性的なカット、また手前と奥の方を画面の中心で切り、それぞれの芝居を同時に行わせるような撮り方はまるで分割画面のようでもあり、そのアイデアの豊かさに驚かされる。  こうした撮り方はポランスキー監督の初期作品、たとえば『水の中のナイフ』でもよく見られた構図でもあります。ポーランド独自の感覚なのでしょうか。画面作りの違和感が個性となるのは興味深い。
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 「松明のごとくわれの身より火花の飛び散るとき われ知らずや、わが身を焦がしつつ自由の身となれるを もてるものは失わるべきさだめにあるを 残るはただ灰と、嵐のごとく深淵におちゆくカオスのみなるを 永遠の勝利の暁に、灰の底深く燦然たるダイヤモンド横たわらんことを」と長い引用になりましたが、これは劇中にも出てくる言葉であり、当時の熱い若者のたぎる血や愛国心を言い当てたものなのだろうか。  祖国が短期間に二度の侵略と支配を受ければ、人間性が屈折していくのは当然であり、何事もなかったように暮らしてはいても、心の中は忸怩たる思いと焦燥感、そして挫折に打ちひしがれていた若者は多かったであろう。そういう若者の純粋な思いにつけ込み、番犬のように使い、自らの地位を固めようとする者もいたであろうし、反政府組織にしても、地位の高い者は自分の隠れ家を保持しながら、若い者を鉄砲玉として命を散らせるための命令を下す者もいたであろう。
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 つい数年前も問題作品『カティン』を発表して健在を示した、ポーランドの名匠、アンジェイ・ワイダ監督の代表作である『灰とダイヤモンド』には記憶に残っている多くの名シーンがありますので、その中のいくつかについて書き連ねていきます。  まずは多くの重要なシーンが目白押しの印象的なバーでのやりとりから。マチェック(ズビグニエフ・チブルスキー)とアンジェイ(バクラフ・ザストルジンスキー)はドイツ降伏に沸き立つ、まさにその日の夜、2人で入ったバーで飲み始めていくが、しばらくするとマチェックは飲む者のいないグラスを5つ用意して、終戦に浮かれる周りの酔客を尻目に、それらのグラスにウォッカを並々と注いでいく。  これは傍目には戦争時に亡くなってしまった親しい人々に対しての鎮魂の杯のように見えるが、実はそう単純ではなく、ワルシャワ蜂起時に、祖国のために命を捧げた愛国者であった仲間たちへの深い追悼と彼らを見殺しにした共産ロシアへの怒りを暗喩していました。
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 後々のポーランドへの支配を渇望していたロシアにとっては大戦後、国中に独立心と愛国心に満ちた、血気盛んな若者たちの存在は侵略の邪魔にしかならない。彼らの意図は『地下水道』のラスト・シーンで明らかなように、支配下に置いたときに反抗勢力になりかねない人々を見殺しにして、ヒトラーの軍隊に砕氷船の役割を担わせることでした。  その目論見は見事に当たり、ロシアの望むとおりになりました。こうしてロシアの統治が始まると、ロシアへの批判は御法度になり、映画も大きな制約を受けるようになりました。歴史的に見ても、カティンの森の虐殺や日和見に終始したワルシャワ蜂起などについての真実はロシアにとっては非常に都合が悪いため、すべて闇から闇に葬り去るか、ナチスの責任に転嫁しました。  終戦後も独露間で責任を擦り付け合いましたが、ペレストロイカを経て、共産ロシアが崩壊するまで、彼らはその責任と現実を無視し続けました。
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 もちろん親族や家族を失った者はその欺瞞にはらわたが煮えくり返りそうになっても、表立った批判は出来ませんでした。こうした圧迫や規制に対応するため、ワイダは台詞ではなく、捨てカットのような映像に注意深く本音を映像に潜ませて、真実とポーランド人の感情を語りました。  言葉には表せないことを映像のみで、さりげなく語らなければならなかった苦労は西側で映画を撮っていた監督には想像出来なかったのではないだろうか。事情や歴史をまったく理解していない若い観客にはこの映画は平坦でヌルい印象を与えるかもしれない。しかしこの映画が撮影されたのは共産ロシアの支配下なのだ。  下手をすると反逆罪で簡単に殺される体制下で撮られたものなのだ。命懸けで、出来る範囲を若干オーバーしながら撮られた映画なのである。そこらへんを解った上で話さないととてもトンチンカンな物言いになってしまう。  ただしこの映画の真の主人公マチェック(ズビグニエフ・チブルスキー) が数十年の年月を超えて、いまだに魅力的なのはテロリストとしての彼だけではなく、恋に目覚めて、生きる意味を模索しだした悩める青年像を観客に示したことも大きい。反体制派の殺し屋として強く見えても、心の中では同世代のごく普通の青年たちとなんら変わりのないキャラクターだったからこそ、彼は強く心に残るのだ。
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 バーでは、反政府運動に何の疑いもなく身を投じていたマチェックが、これからの人生を生きていく意味を見いだすきっかけとなった酒場を切り盛りする同世代の女性(エヴァ・クジジェフスカ)との出会いもあり、このシーンもまたマチェックの人間味に深さを加える上で重要なものになりました。  他人、それも大人の女性との触れ合いを通して、自分が他者にとっても必要なのだ、また自分にとっても女性の存在が必要なのだと自覚するようになると、国という抽象的な大事なものと女性という具体的な大切なものとの板挟みに陥っていく。
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 国を会社に置き換えても良いでしょうし、女性を家族に置き換えても良いでしょう。ワルシャワ蜂起以降、一匹の過激なテロリストでしかなかった彼はこの女性との出会い、そして冒頭で、誤って殺害してしまった労働者たちの遺族の悲しみや、埋葬される前の教会(価値観の転換を見せられるようにキリスト像が逆さまにぶら下がっている。)で安置されている彼らの遺体をみることで自分たちが正しいと信じていたことの結果を見せつけられる。  その後の幹部暗殺シーンも50年代映画屈指の名シーンであろう。命の意味をはっきりではないが、漠然と考え出した彼ではあったが、組織的テロリストの実行犯として、再び銃撃手としての役割を担う。銃撃後に象徴的な二人が抱き合うシーンがある。  体制と反体制という違いはあるものの元は両者ともに愛国者としてポーランドのために命をかけた人々である。なぜ殺し合わねばならなかったのか、そうさせた社会主義という思想はそれほど重要で崇高な価値観だったのであろうか。終戦を告げる花火は新たな闘争の始まりを告げるサインにも受け取れる。
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 追う者から追われる立場となったマチェックは風が爽快に流れる清清しい早朝、逃亡するために駅へ向かう途中、官憲に追われ、銃撃され、なおも逃げる途中に清潔になった洗濯物のシーツに彼が撃たれたことを染め抜いた。真っ白なシーツはこの国の歴史が戦争が終わっても、若者の血を要求することを暗示するようにも思えました。  そしてラスト・シーンとなるゴミ溜め場での痛みを伴う絶命の下り。共産党幹部がこれを見れば、反政府運動に走る者の最期はこうなるのだということになる。しかし大多数の観客にとってはこのラストは感情移入してきた主人公が官憲の手によって、惨めな死に方をせねばならなかったことに対する憤りを表す。双方にとって最適なラストを作り出したワイダ監督はやはりタダモノではない。  ゴミ溜めのなかで、耐え難い痛みに身をよじる彼を見て、虫けらのように息絶える彼を見て、今の若い人たちはどう思うのだろうか。共感するのか、もしくは反発するかというようなストレートな態度を持つ人とはぼくは話が出来る。しかしながらこの悲惨な最期を見ても、何とも思わず、当時の状況などを想像することすら出来ない者とは何も語ることはできない。まあ、向こうもこっちと話したくもないだろうが。 総合評価 90点