良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『略称 連続射殺魔』(1969)19歳の少年が引き起こした連続殺人事件のドキュメンタリー作品。

 現在でも世間を恐怖の底に叩き落す犯罪は数多いが、そのなかでも20歳未満、つまり未成年によって引き起こされた凶悪事件のインパクトは通常の事件よりもはるかに大きい。1968年にある少年が起こした事件はセンセーショナルで、社会を震え上らせました。  いわゆるピストル連続殺人事件で、犯人は当時は少年だった、永山則夫。通常、未成年が犯罪加害者となる場合、匿名性が保たれ、その本名が明らかになることは無い。しかしこの事件は凶悪さと連続性のために、社会不安を引き起こすと判断されたためか、緊急性もあったことからか、きわめて珍しい事例でしょうが、実名で手配されました。  彼が殺害したのは4名、方法は米軍基地から盗んだピストルによる連射で、数発の弾丸を各々の被害者に撃ち込みました。第一の殺人は東京で行われ、ガードマンに2発の銃弾を浴びせ、射殺しました。第二の殺人は京都・八坂神社境内で警備員を殺害し、そのときは6発も撃ち込みました。  第三の殺人は地元北海道の函館でタクシー運転手に2発撃って射殺した。そして最後の第四の殺人は名古屋で再びタクシー運転手を襲い、4発撃って射殺しました。わずか一月足らずの間に4人もの命を奪い、しかも場所がまちまちで、広域に渡っている。列島全体が恐怖に包まれたのは言うまでもない。さらに犯人が少年というのもショッキングだったことでしょう。
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 拳銃は普通、6発とか8発しか装填できないのですが、米軍基地で実弾を50発近くも同時に盗んできたので、弾切れすることはありませんでした。  彼の犯罪のインパクトは非常に大きく、後の殺人事件の量刑を決めるときの基準として有名となる、永山基準を示しました。以下がその基準であり、全部で9つあります。 ①犯罪の性質 ②犯行の動機 ③犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性 ④結果の重大性、特に殺害された被害者の数 ⑤遺族の被害感情 ⑥社会的影響 ⑦犯人の年齢 ⑧前科 ⑨犯行後の情状  これら上記の基準をもとに、量刑を決めていきました。このように後世まで影響を与えた事件のドキュメンタリーですから、おどろおどろしい描写もあるのかなあと思いましたが、そんなことはなく、冷静な作りに徹していました。  この映画は連続射殺魔と呼ばれた永山則夫が生まれ育った北海道の網走にあった静かな生家のショットから始まり、極貧で過ごした幼児期の弘前集団就職で出てきた東京、徐々に生活が荒んでいく横浜や横須賀など彼が転々とのた打ち回るように暮らしてきた土地に若松が出向いていく。  彼は劇映画ではなく、無駄な部分を極限まで削ぎ落とした秀逸なドキュメンタリー映画を作り上げたように見える。この映画には最低限度のナレーション、若松の撮った不安げで刹那的な映像、そして精神が崩壊していくような前衛的なジャズ演奏のみで構成されています。
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 一見すると、ドキュメンタリーであるはずなのに、現場音が皆無で、まったくのサイレント状態なのです。これこそが最大の主張なのだろうか。つまり虚無感である。ではそれはいったい誰の虚無感なのだろう。  外からの刺激はずっと無音である。これは社会からの受けている疎外感だろうか。流れる前衛ジャズの暴発しそうな演奏は彼の感情だろうか。この映画に出てくる映像の視点のほぼすべてが実は永山のそれなのだと気づくと身震いするかもしれません。つまりこの作品には永山は出てきませんが、その理由はこの視点こそが彼の存在だからなのではないだろうか。言い換えれば、これは彼の一人称の視点の映画なのだろう。  カメラに映し出される人々のすべてはこの視点の持ち主がのちに連続射殺魔と恐れられる若者とは知らない。何が怖いかというと、いつすべての人々が加害者の側に回るかが分からないということです。この映画での永山の視点と同じように、世界中すべての人は彼と同じように人を見て、街を歩いている。誰でも加害者になりえるし、誰でも被害者になりえる。
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 最近は悲惨な事件が多いために、すぐに事件を忘れていく。人間関係の密度が濃かった当時でも忘れゆくスピードが速かったでしょうから、今ならばもっと早く、人々の記憶から消えていくのでしょう。こうして続いていく現場近くの映像にはまったく音声が入っていないので、見る者はトーキー映画にありがちな音と映像の力に流されることなく、注意深く永山の視点という作者の意図を探ろうとするのだろう。  静かな怒りは何処に向けられているのだろうか。永山の視点なのだろうか。それとも連続殺人事件という表層ではない深部を探るように若松が要求しているのだろうか。前述したように現場音はないが、その代わりに挿入されているジャズ演奏は怨念と苛立ちが交互に、そして重層的に感情をぶつけてくる。音楽を聴いていくとやはりこれは永山の視点なのだろうと思う。  題材が題材だけに、不幸な生い立ちや起こした事件をよりセンセーショナルに、よりドラマチックに描く方が大衆受けしたはずですが、あえてそうした姑息な手段には出ずに、淡々と永山が暮らしていた場所を追い続けて行きました。網走番外地の生家が写される。幼い永山がずっと見てきた光景です。  出自により謂われのない差別を受け、自堕落な父親の影響もあり、徐々に人生をねじ曲げられていった彼の思いはいかばかりであったろうか。もちろん、過酷な少年期を過ごしたからという理由で凶悪犯罪に走るのを許すことは出来ませんが、あそこまで暴発してしまった少年を作り出した要因は社会にもあります。
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 歯車が狂い始め、もがいてもさらに深みにはまっていく人生。この映画を見ていて、凄みを感じるのは永山の実家や住んでいた場所はもちろん、働いていたお店や会社までを平気でモザイクをかけずに、しかもおそらくは目的を語らずに撮影したり、許可を得ずに撮影しているのではないかと思わせる映像が非常に多いことでした。  昭和という時代だったから出来たのであろう。殺伐とした部屋。何度も犯罪を重ね、日本に居場所がないのだと察した彼は横須賀から密航を試みるが失敗する。そしてついに彼は米軍基地に忍び込み、拳銃と50発の弾丸を手に入れてしまう。そして4人を無残に殺す。彼は死刑を言い渡され、ついに刑は執行された。  少年であったこと、そして作家として才能を発揮したこともあり、より話題になり、彼を擁護する者もいました。彼の作家としての才能を惜しむ人もいました。  しかし親族は彼の遺骨の受け取りを拒んだ。 総合評価 70点