良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ザザンボ』(1992)奇才・渡邊文樹監督の問題作。天皇・同和・警察以外なら良かったはずなのに…。

 渡邊文樹という監督の周りには常にトラブルが絶えない。それも法的なものが多く、この映画に関するものでも、死因追及のためとはいえ、モデルとなった少年の墓を無許可で勝手に暴こうとしたりして、これだけが原因ではないものの、少年の遺族から訴えられていますし、また反対にTSUTAYAが渡邊の許可を取らずに、勝手にレンタルで貸し出しをしていたことに怒り、TSUTAYAを相手取って、訴訟を起こしています。  そもそもこの映画を上映するまでにもかなりの紆余曲折があり、もともと奥山和由プロデューサーが権力を握っていたころの松竹資本で公開されるはずでした。その時に奥山が示した条件は天皇、同和、警察に触れなければ、何を作っても良いというかなりラフで自由なものであり、予算として3000万円が手渡されました。  にもかかわらず、渡邊は約束を破り、旧家の部屋の壁に天皇家の写真を飾り付け、家の中心に据える。シーンとしては薄暗い部屋の中での10秒にも満たない小さなカットではありますが、観る者は瞬時に田舎ではまだまだ旧態依然としていて、そこでは天皇が家族を纏める象徴としての機能を受け持っていることを知らされる。  もちろん古いもののすべてを否定するのは間違っていると思いますが、渡邊的な解釈では悪しき因習として描かれている。半分ドキュメンタリーに近い撮影方法で、すべてのシーンで自然光を使い、ドラマ用の照明を使用せずに製作していることもあり、この家の照明がまたたいそう暗い。この家庭には明るさという戦後の家族にあるべき要素が皆無である。明治以来の伝統は残っているようではあります。
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 映画に説得力を持たせるのが素人俳優の起用で、素朴な彼らの演技とはいえないものの、本物の地元民を起用することで生まれる現実感は力強い。こういった使い方はロベール・ブレッソン監督の考えるモデル論にもあります。この映画の場合は予算が少ないというのが最大の理由でしょうが、方言丸出しで聞き取れない部分に字幕をつけるという発想はユニークでした。  ほとんどの方が視聴するのは困難と思いますので、人間関係やストーリー展開につきましても書いていきます。登場人物全体を俯瞰すると、場所は福島県の山あいの集落が舞台であり、ここには縫製工場を経営する本家の実力者がいて、そこの兄妹が近親相姦を行った果てに男子が生まれる。  村の風習では近親相姦による子は川に流す掟ではあったが、彼らはそうすることが出来ず、分家扱いの家に妹もろとも嫁がせる。月日が経ち、子は無事に成長し、嫁を迎えるが、近親相姦による子のためか、身体が弱く、長女はあったものの、彼の父親(血が繋がっていない。)は子孫を絶やさぬために、息子の嫁を孕ませて、男子を得る。  しかし、この子も乱れ切った、この集落の因果のためかは分かりませんが、知的障害を持ち、生まれてくる。身体の弱かった息子はこの物語の頃にはすでに亡くなっている。知的障害を持つ少年は中学生、姉は高校生となり、彼女は本家の跡取り息子と付き合い、妊娠してしまう。  その頃、ある事件が起こる。中学の職員室で女教師の通帳と印鑑がなくなる騒ぎが起こり、日頃、他人の家に勝手に上がりこみ、食べ物を漁っていたこの少年が疑われる。  この少年は学校で、執拗に責められた挙げ句、犯人扱いされる。そして、ある朝に少年が首吊り自殺してしまう。そしてザザンボ(葬式)シーンへと流れ込む。この葬式シーンには学校の友人代表が弔辞を表するのであるが、彼らは生前の彼を勉強が遅れるのは困るからと忌み嫌っていたのに、彼が亡くなると何事も無かったかのように“親友”顔して葬式に出席する。嫌なシーンでした。
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 後で分かったことではあるが、通帳を持って、全額を下ろしたのは二十歳位の青年であったという。新聞などのメディアは自白を強要し、暴力を振るったとして、渡邊演じる新任教師を責め立てるが、死因に疑問を持った彼は姉の協力などもあり、何が起こったのかを解明していく。  さまざまな調査の結果、職員室に侵入して、通帳を盗んだのは少年だったが、それを指示したのは姉が付き合っていた本家の跡取り息子であることが明らかになる。つまりこの跡取り息子がすべての原因であった。自分がしでかしたことにより、姉を妊娠させたのに、その責任を果たさずに、中絶費用を彼女の弟、それも知恵遅れの彼を利用して、窃盗を働かせるという卑劣極まりない情けなさであった。  さらに酷いのは身内の関係者全員がそういう事情を知っているのに知らないふりを貫く。結果的に、この少年は身内をかばっていたのに過ぎなかったのだが、本家が謝りに来た後に、祖父とトラブルになり、彼によって殺害される。  この祖父(父か?)もまた人殺しをしているのに平気な顔をして、検死を迎える。事なかれ主義が横行するこの集落では警察も病院も厄介事を敬遠するあまり、司法解剖どころか、まともな検死も行わず、その日のうちに土葬(ザザンボ)してしまう。  自分が原因であるような濡れ衣の仕打ちを受けた渡辺はとうてい納得出来ないため、墓あばきをしてまで、原因究明しようとするが、暴いているところを村人に見られ、手伝いに来ていた少年の姉が自動車事故に巻き込まれるに及び、村人全員の憎悪を浴び、家族を拉致され、家に火をつけられる。
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 家族を救うために、本家に押し掛けていく彼に村人は憎悪と暴力を振るう。家族もろとも猟銃で撃ち殺されようとした瞬間、家の軒先ですべての原因であった跡取り息子が罪悪感とプレッシャーに耐えられずに、首吊り自殺を遂げる。すべてが終わったわけではないが、跡取り息子のザザンボが済み、少年の祖父も後を追うように心臓マヒで亡くなると、渡邊も荷物を纏め、この地を去っていく。  この時地面は雪に覆われて、ただひたすらに白いのだが、雪深いこの集落の空は血の色のように、不気味に赤く染め抜かれている。以上がこの映画のストーリー展開と内容です。  表現で素晴らしかったのは少年を取り調べる場面での微動だにしない固定されたカメラで、これによりクローズアップで固定された少年はどこにも逃げられなくなる。また真っ直ぐに向けられたカメラには犯人を決め付ける意志を感じる。少年が厄介者扱いされていたのを物語る教室シーンでは生徒全員の反発を表すのに、彼ら全員の嘲笑する顔のクローズアップを丹念に拾っていく。  正直そこまで必要とは思えませんでしたが、この映画には商業映画にはない独特の映像センスが散りばめられている。暴力を振るわれるシーンはどれもほとんどが闇の中で行われるが、これも誰も責任を問われない状況では何をするか分からないことを表すようだ。少年の母を昔に抱いた過去を持つ渡辺教師というシーンがあり、姉はじつは渡邊の子供なのではないかと暗示される。渡邊の映画には人妻との不倫シーンが度々登場し、『家庭教師』『島国根性』にも出てくる。
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 祖父が専制君主の如く、厳として君臨しているこの家には都会人からすると、異常に思える事象が数多く存在している。先ほどから述べた皇族の写真などは些細なことでしかなく、近親相姦や窃盗、町の有力者の子弟と少年の姉が付き合った結果の妊娠中絶騒ぎも発生していく。  とりわけ近親相姦問題は深刻で、この少年の父親には子種がなく、すでに死去しているし、少年は祖父が息子の嫁を孕ませた結果に生まれた子供であった。祖母にも同じく近親相姦の末にこの家に嫁いで来ている。虐待も繰り返されているようで、シーンの端々に少年がこの祖父を恐れているのが分かる。  乱れに乱れた因習が明らかにされそうになると、生け贄としての少年の自殺事件が起こる。他人の家に入り込み、盗みを働いてくる少年ではあるが、彼は近親相姦の影響からか知的障害があったという。  そういう子供が自分の意志で、盗みなど働くだろうか。しかも女教師の通帳が盗まれたという事件ではあるが、現金は他人がすべて下ろしていたようである。遺書の存在も問題視されていて、知的障害者であった少年が書けるような内容ではないものであったという。このように何らかの意志が強く働いた上の“自殺”にたいし、渡辺の疑念は強くなる一方であったのだろう。  祖父が関わっているのではないのかという信念により、渡邊は祖父に疑いを向ける。自殺ではなく殺人事件なのではないか。そういう疑念を持ったとしても、警察も有力者も、関係者全員に迷惑がかかっていく事案の性質上、みな口は固くなり、誰も何も言わなくなる。  その結果として渡邊が起こしてしまったのが、例の少年の墓暴きだったのでしょう。ただ疑念を持ったからといっても、やって良いことと悪いことがあるのは当然である。村社会ではすべてを隠蔽し、よそ者には何も明かさない。日本は今でもそういった体質を強く残していて、一企業内でしか通用しない非常識なルールが普通に罷り通っている。  よくあるのが創業者一族が力も能力も無いのに、旧態依然の考え方と因習を社員に押し付けてくるというものです。昔はそれで通用したのでしょうが、スピードが求められる現在ではこういった一族は単なる遺物にすぎず、会社には不必要である。
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 この映画には日本社会が抱えるダーク・サイドが抉り取られている。目を背けるのは勝手ですが、見てみぬ振りをしても、世界は何も変わらない。なかなか観ることの難しい作品ではありますが、自主上映会などを丹念に探し出し、自分の目で観るべき作品です。  VHSテープらしきフォーマットから、そのままDVD化したような音源がヤフオク等で出回っています。これが正規盤なのか海賊盤なのかは判別しかねますが、この映画のDVDはメジャーな映画会社から発売されているわけではありませんので、渡邊サイドの製作した商品なのかもしれません。  もともとは先述したように松竹系で公開されるはずでしたが、最終的には渡邊サイドがフィルムを買い取っていますので、彼らがどのように発売しようが、松竹は文句を言えません。ただ、現状はそれでも難しい。遺族と渡邊サイドとの訴訟の和解の条件として、個人向け用の販売を認めないという条項があるからです。  戦後30年を経てなお、旧態依然としていた田舎で起こったこの騒動を通して、日本社会そのものの欠陥を明らかにしていく。その試みは舌足らずな部分があるにしても、十分に挑戦的であり、権威として君臨している者や権力を掌握している者にはたいそう都合が悪い。禁忌であるテーマに取り組み、自分の納得する内容に仕上げようとすると、軋轢が生じ、その後のキャリアにも多大なる負の影響が出てくる。何十年か経ったとき、または違う国で見られたときに真価を理解されるのでしょう。 総合評価 80点