良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『巨人ゴーレム』(1920)3本あったが、奇跡的に現存するゴーレム映画、最後の一本。

 『巨人ゴーレム』はサイレント映画黄金時代を迎えようとしていた10年代から20年代パウル・ヴェゲナーによって三本ほど製作されましたが、残念ながら二度の世界大戦の戦火や管理状態の悪さが重なり、現存しているのはパウル・ヴェグナーのこの一本しかありません。  彼はもう2本ゴーレムを題材にしたフィルムを世に送り出しましたが、そちらはもう見ることは叶いません。もしかするとヨーロッパか中南米のどこかで眠っているかもしれませんが、いまだ出てきていません。ぼくらが生きているうちに幻の作品と言われている数々のフィルムを見たいものです。
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 現在、我が国ではクラシック作品の多くがDVDがワンコインで買えるようになっていて、この作品『巨人ゴーレム』をAmazonで500円で見つけたときは迷わずクリックしていました。  ぼくだけかもしれませんが、DVDを買おうとするときに3000円を超えると高く感じてしまいます。ビデオ時代のソフトが一万円超えが普通だったことを考えてみると随分買いやすくなってきましたが、買うときの感覚がシビアになってきているのかもしれません。
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 ゴーレムはユダヤ教の秘伝によって命を与えられます。ゴーレムは土の人形に魂を込めて作り出された怪物であり、他のモンスターとはかなり毛色が違います。実際に映画を見たことがなくても、スチール写真をどこかで眺めたことはあるでしょう。少女を抱きかかえる例の写真です。  このシーンを見るにつけ、SFホラーの古典である『フランケンシュタイン』のモデルや映像作りの元になっているのがこの『巨人ゴーレム』であることが理解できるでしょう。実際、フランケンシュタインの怪物の初期イメージはゴーレムそのものだったとの記述がDVDの裏解説にもありました。
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 本来は異民族からユダヤの民衆を守る化身であるゴーレムはわが国の映画でいうと、明らかに『大魔神』のモデルであり、類似点も多いことが理解できます。  映像としてはインパクトの強さはもちろん、サイレント時代の全盛期に製作された作品らしく、言葉ではない映像言語で見る者に訴えかけてくる。
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 この頃に作られたホラー映画というと、ぼくが思い浮かぶのは『魔女』『霊魂の不滅』となります。『魔女』は持っていますが、『霊魂の不滅』は断片を見ただけで、いまだにすべてを見たことのない作品で、数年前にPAL版で一度見かけましたが、そのあとはまったくソフトを発見できない作品です。映像美に満ちた素晴らしい作品ですので、イマジカか東北新社に権利を獲得してもらい、商品化してほしい作品です。  作品を見ていくと、前半40分近くまではゴーレムを出現させるための司祭の意図と動機がかなり丁寧に語られる。帝国の排他的な人種差別や理由のない異民族への恐怖に対抗するために生み出されたのがゴーレムである。
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 制作中の粘土の人形であるゴーレムが前半に何度も映し出されますが、魂を吹き込まれていない段階ではただの粘土の固まりでしかない。ただ何度も見せてしまうことで生命を吹き込まれて動き出すときのインパクトがかなり削がれてしまっているのは残念です。そして大きさが小さすぎるのもどうかと思います。  予算がなくて、しかたなく普通の人間とたいして変わらない大きさにせざるを得なかったのでしょう。その点ではわが国の『大魔神』は予算と技術が上手く絡み合った成功例といえるのかもしれません。
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 入魂の儀式では20年代には映画表現に必要な映像原語が完成していることを実感できます。ホラー的な気味の悪いムードを高めるための霧のような演出はすでにここで見ることが出来る。ゴーレムの存在を際立たせるためにロング・ショットの彼にはハレーション気味の強い光が当てられる。  反対にクロース・アップされるときにはざらざらした質感の影が生命を感じさせる。善の意志でなく、邪悪さを感じるのは何故だろうか。排他的な帝国軍からユダヤの民を守るために作られたはずなので、善であるべきなのだが、どこか魔の臭いがする。
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 もともと魔王との取引によって数日経つと見境なく殺人を繰り返す魔神になるという注意書きがあるのに、初期目的を終えた後にも無理やり私的な目的で使用したために街中をパニックに陥れてしまいます。  善の目的で悪の僕を使ってしまい、結果を得てもそれにすがるというのは武力の持つ魔力のようなものを感じます。形は違えど、『ロード・オブ・ザ・リング』の指輪もこの映画の系譜に繋がるのかなあとぼんやりと感じていました。
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 映像的にインパクトが強いのはなんといってもラスト近くに孤児院(?)の大きな門を打ち破り、中庭に侵入していくシーンでしょう。大勢の子どもたちはゴーレムの姿を見ると一斉に逃げてしまうが、一人の少女が取り残される。純粋な少女はゴーレムに抱きかかえられてから、彼に可愛い笑顔と小さな花を贈る。欲得ずくで彼の胸にあるダビデの紋章を抜き取ろうとした大人たちはことごとく奪取に失敗するが、少女が無邪気にこれを手に取った瞬間にゴーレムはその役割を終え、土に返る。まさに大魔神です。  その他印象的なのは皇帝を救うために落ちてくる天井を支えるシーン、ラビの娘の髪の毛を引きずりながら、街中を引き回すシーン、命を吹き込まれるシーンなどがあります。けっこう後の映画に引用されているのではないかと思える映像が多いので、クラシック映画ファンには一見の価値があります。
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 最初は民族を守る道具として作られたゴーレムが徐々に自らの意志を持ち始め、次第に司祭のコントロールを受け付けなくなっていく様子は軍部の暴走にも見えてくる。大義の下に殺される恋人たちもいる。  帝国軍の騎士は異民族であるユダヤ教ラビの娘と恋に落ちる。それを快く思わないラビの弟子の邪悪な意図によって、彼はゴーレムに襲われ、塔のてっぺんから放り投げられて、転落しさせられてしまう。
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 弟子は異教徒と恋に落ちたふしだらな娘に対して、彼は口を噤むかわりに自分のものになるよう言い寄る。モラルの崩壊はいかんともし難く、結果が良ければすべて不問に付するというやり方には疑問を感じる。実際、この映画はユダヤの脅威に不安を抱いていたドイツ国内では共感を得たようです。  まあ、難しいことを考えずに特撮映画、ホラー映画の先駆けとしての光を十分に堪能するだけでも意義がある。買い物するゴーレムがどうしても“ちびまる子”に見えてしまうのはぼくだけだろうか。 総合評価 75点