良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『サンタ・サングレ』(1989)やっと再リマスターされボックスが出るが…、これ入ってません…。

 先日、なにげなくアマゾンで商品を検索していると、なんと“おすすめ”でヒットしたのが『エル・トポ』のDVDでした。すぐにクリックしていくと、さらに嬉しいことにアレハンドロ・ホドロフスキー作品のボックス・セットが来年三月に発売されるとなっておりました。  『エル・トポ』『ホーリー・マウンテン』『ファンドとリス』が収録されているのはすぐに発見しましたが、なぜか、ホドロフスキーが“わが子”と呼ぶ三本の映画のうちの一本である『サンタ・サングレ』が入っていないのです。  単品では『サンタ・サングレ』もあるようで、アマゾンでヒットするのですが、前のボックス・セットには入っていたこの作品は除外されていて、一見安く見えるセコいセットになっています。
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 3本揃ってこその世界観を堪能したい方が多いはずなのですが、なぜか除外されていました。まあ、衝撃度でいえば、前者の二本が圧倒的だったので、それほどこの『サンタ・サングレ』のインパクトが大きかったわけではありません。  しかしながら独特の世界観を知るにはこの作品もセットに収録すべきだったのではないでしょうか。スプラッター描写や畸形描写は分かりやすく、気味悪さも比較的分かりやすい。
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 奇才アレハンドロ・ホドロフスキー監督の代表的作品を選ぶとなると、多くの人はおそらくジョン・レノンも好きだった『エル・トポ』(1969)を推すでしょう。ぼくも彼の映画で一番好きなのは『エルトポ』です。  ちょっと難解になってしまった『ホーリー・マウンテン』(1974)の中にも、散らかっている印象は否めないながらも、いくつかの輝くパーツを発見するでしょう。これらの混沌とした作品が生み出されたのは60年代後半から70年代中盤でした。
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 あの時代特有の空気感も出ているように思います。この『サンタ・サングレ』は前2作品よりもかなり離れていて、公開されたのは八十年代後半となります。これら三本の作品はホドロフスキー自身が“わが子”と呼ぶ自信作です。  しかしながら『サンタ・サングレ』についてはずいぶん分かり易くなってしまったと、まるで彼が後退したかのような言い方をする者もいるようですが、わかりやすさは本来褒められるべき資質であるはずです。  難解な映画を撮ると「むずかしい!」と非難され、解りやすい映画を撮ると「迎合した!」と非難されてしまう。それでは映画監督はどうすれば良いのだろうか。  不毛で根拠のない非難は批評ではないですし、建設的とも言いかねる。また攻撃的な意見は目立つだろうが、それが本質を抉っているとも言い難い。
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 人は批判しやすい事象を飽きるまで批判しているだけであり、他に叩きやすいネタが出てきたら、そちらに移動していく。ぼくらはより純粋に映画を楽しむべきなのであろう。  ごちゃごちゃ言わずとも、出来の悪いものは時間が経てば、次第に忘れ去られていくだろう。この映画では白ハトが飛び立とうとしているシーンが妙に強く印象に残っている。
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 何故だろうかと考えましたが、よく分からずに十年以上が経ったある日にレンタルビデオで『エルトポ』を借りたときに謎が解けました。じつはビデオの巻末に予告編が収録されていて、『サンタ・サングレ』のものもあって、この予告編に先程のシーンが挿入されていたからでした。  前にいつこの映像を見たかは定かではありませんが、深い部分の記憶は残るようです。作品自体を見ていくと、ホドロフスキーらしい奇形者等の身体的に欠損している人間を多数使うモンド映画色は八十年代後半となっても健在で、地上波はおろか、今ではCSでも放送が難しそうです。
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 見せ物小屋的な色彩が強く出るので、人権保護の立場にある者から見れば、間違いなく排撃される対象となるでしょう。ただなんでもかんでも都合の悪いものを隠し続けても何も解決しないし、彼らの地位向上にもならない。  一昔前、R2D2のスーツ・アクターのケニー・ベイカーは人権保護の立場を名乗る者がジョージ・ルーカスを非難したときに「彼はぼくらに仕事をくれたんだ!」として、ルーカスを擁護しました。  けっこうこのエピソードは的を得ていて、言葉のみで意見して、具体的に何をすれば生活を安定させられるかを示せない者は当事者の生活にとって何の助けにもならない。  映像で印象深いのをいくつか挙げていきます。前半ではサーカスの人気者だった象の葬式で、神輿のような棺を担ぎ出し、ごみごみとした街を練り歩いたのちに、その棺を崖下のスラム街へ突き落とすと、住民たちが死肉を漁るというシーンが強烈でした。
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 物語全体を通しての映像では夫に両腕を切断された、異端の教祖である母(実際には両親とも事件で死亡している。)の腕代わりになった一人息子が母の死後もシリアル・キラーとなり、凶悪な事件を重ねていく様子が異様に映ります。  大勢出演する不具者の映像は規制が行き届き、問題になりそうな描写をほとんどカットした状態までに編集された映像に慣れている今の目で見ると強烈かもしれません。  すべてCGではなく、現実に存在している障害者を普通に集めて、見せ物として使っているわけですから、今なら企画段階で跳ねられてしまうでしょう。しかし時代はまだ20世紀で、場所は中南米なので、モンド映画を撮る土壌がまだ残っていたようです。難しい事情もあるでしょうが、何でもかんでも隠せば良いという日本の現状にも問題があるでしょう。  映像的にもインパクトはありますが、それ以上に印象に残ったのは中南米や南米らしいタンゴ、ルンバ、マンボなどのスペイン語ポルトガル語で歌われる情熱的な楽曲の数々が作品を盛り上げる。曲名や歌っている歌手は分からないのですが、存在感のあるナンバーをわざわざレコードから収録(レコードをかけるときのパチパチノイズで、たしかイグニション・ノイズでしたっけ?が古きよき時代を思い出させる。)しているというこだわりが素晴らしい。
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 ノスタルジーを感じるのは音楽だけではない。サーカスのイメージもまた昔なつかしの情景です。幼少期に見たであろうサーカスのイメージに憧憬を抱いている映画作家といえば、よく知られているのはフェデリコ・フェリーニでしょうか。ホドロフスキー監督作品を見ていると、フェリーニ監督の『アマルコルド』や『サテリコン』を思い出します。  ただフェリーニ作品には気品があるが、ホドロフスキー作品には赤い血と肉の生臭さがあります。タランティーノ作品の多くで激しいスプラッター映像を見ましたが、鮮血が飛び散る彼の作品には血の臭いをあまり感じない。この違いはどこから来るのだろうか。  現実逃避が極限まで達するとこのような奇怪で救いがたい状況に陥るという結末は悲劇的なのですが、埋もれていた神話を初めて目にしたようでもありました。
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 口のきけない少女がささやかながら楽しかった、かつての思い出のなかのフェニックスと再会したいと強く願い、やっとのことで探し出した末にようやく彼に会うがすぐに現実に引き戻されていく。  フェニックスは母親の言いなりに生きてきたと観客みんなが思っていたのが最後に真相が明らかになっていくシーンはショッキングな展開であり、個人的には『ホーリー・マウンテン』よりも優れているのではないかと思います。  父性の悲劇よりも母性がもたらした悲劇のほうがより悲惨さと残酷さが増している。二人羽織のダンスやピアノの見せ物芸はデカダンのようで異様に映るが美しくもある。  母親の呪縛を解いたのは純粋な少女でした。息子の意志で醜く果てていく母親の化身(マネキン)よりも若い女が選ばれたのか。母親は両腕を失くしたが、息子の両腕を使い、己のエゴを押し通す。彼女は子離れが出来ない親に映る。フェニックスも彼女の出現で母親からの親離れを強制的に促進される。
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 フェニックスの人格を無視し、恨みつらみをぶつけるさまには愛情ではない執着を感じる。彼女は思ったことをすぐに口で伝えることが出来るが、ほとんどは悪い悪魔のような言葉ばかりです。愛情ももちろんあるのですが、自分の分身だと勘違いし、所有物のように扱う彼女にはもはや母性は無いように映る。  一方、少女は口は利けないので、最も伝えたい感情、つまりフェニックスへの愛情を表そうとする。その代表的な動きが鳥のはばたくパントマイムでしょう。心の中には母親への恨みや幼少期に見たショッキングな団長の死に様などのトラウマもあるのでしょうが、口がきけないので、マイナスの表現ではなく、より大切な感情を伝えようとする。
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 現実逃避と母親の呪縛から解き放たれたフェニックスはすべての記憶を取り戻し、自分が犯した大量殺人に恐怖し、また母親と父親の悲惨な死に様を思い出し、精神をやられ、廃人と化す。自宅の土地に埋葬した大量の女性たちが起き出すシーンは悪夢の世界でしょう。  フェニックスは楽しい思い出とおぞましい殺人の記憶の間を行き来しつつ、生涯を隔離されて死に行く。幼少期に受けた精神的ショックが引き起こした極端な事例を扱った現代の寓話なのだろうか。一見すると分かり易く思えるのでしょうが、かなり解釈が難しい作品でしょう。  フェニックスの心は少女との出会いにより解放され、お互いが経験した様々な悲劇のあとに再び彼女の温かい心とともに彼のもとに帰ってくる。ただそれは現実に引き戻されるということであり、それが幸せだとは限らない。彼はフェニックス、つまり不死鳥であるが、籠の中で一生を過ごす。  これが分かりやすいと感じる人は何故そう思うかの理由を考えた方が良いのではないか。個人的には三作品中、もっとも解釈が難しい作品に思えました。 総合評価 79点