良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ジョーズ』(1975)誰もが知ってるあのテーマ。音楽とジョーズ目線の映像が秀逸!

 みなさんはスティーヴン・スピルバーグ監督作品中で、一番好きで思い出に残っているのはどの映画だろうか。一番良く出来ている映画ではなく、一番売れた映画でもない。もっとも楽しく、しかも何度も繰り返し見た映画です。  楽しくという括りをつけるだけで『シンドラーのリスト』『アミスタッド』『カラー・パープル』『太陽の帝国』は外れてしまう。良い映画ではあるし、綺麗な映像をたくさん見ることが出来ますが、楽しいという印象はない。とは言いながら、上記の作品は高校生や大学生、そして社会人になってから劇場まで観に行った作品群ではあります。
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 『カラー・パープル』のマキタタの歌などは今でも覚えていますし、『太陽の帝国』での夕暮れ時のシーンで、少年の敬礼に対する返礼をする若い兵隊たちの凛とした様子などは大変美しく、観てからもう20年以上は経っていますが、しっかりと目に焼きついております。良い映画は目に沁みますので、これらは良い映画なのでしょう。  スピルバーグ監督は上記の映画のように、どんどん大作主義になっていったので、それに相応しいような深刻なテーマが多くなっている。しかし、それは昔からのスピルバーグ監督作品を観てきた40代以上の映画ファンからすると痛し痒しであり、もろ手を挙げて歓迎する状況ではありません。
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 ぼくが好きなのは『激突!』『未知との遭遇』『ジョーズ』『1941』『ジュラシック・パーク』であり、名作とは呼ばれてはいるけれども、『ET』には今でも馴染めない。  多くの映画ファンが普通に楽しめるような高水準の娯楽作品をコンスタントに供給出来る監督が数少ない中では彼の才能を深刻な大作だけに使うのはもったいない。
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 『ジョーズ』は公開当時から話題の映画で、あちこちの電柱にポスターが貼ってあったのを覚えています。しかしながら、当時は劇場まで観に行くことは出来ませんでした。実際に全編をはじめて見たのは小学校の高学年だったと記憶しています。その夏の海水浴がとても怖かったのも覚えています。  話は脱線しますが、ぼくは学生時代に長崎に住んでいて、夏休みになると海にみんなで泳ぎに行っていました。たしか中二くらいのときに沖合いまで泳いで行った帰りに、ふと後ろを見ると、どこかで見覚えのある三角のヤツ(背びれ)が三つ、10mほど後ろから付いて来るのが見えました。  ぼくらは4人で泳いでいましたが、だれかが「うわあ!サメが来よる!」と叫んだので、みんながパニックになり、われ先に泳いで逃げようとしました。するとぼくらを追いかけてきたように見えた三角のヤツらは急に向きを変え、逸れていきました。そしてヤツラはピョンとジャンプしました。
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 かれらはサメではなく、イルカだったのです。正体に気づいたぼくらは一気に脱力し、のんびりと泳いで海岸まで行きましたが、本当に人騒がせなヤツラでした。  話を戻しますが、さっきの話のように海は見えないのと自由に動けないという二点において、夜よりも恐ろしい。魚から見れば、素早く自由に泳げない我々人間は赤ん坊と同じであろう。ジョーズは怖い映画ですが、なぜ怖いかとよくよく考えてみると、それは彼奴めがなかなか姿を現さないということに尽きます。  冒頭から、伏線を上手く引き、最初は定番の夜の犯行からスタートしていく。犠牲者のバラバラの死体だけを見せて、怪物の姿は一切見せない。サスペンス要素を引っ張るだけ引っ張って、遂にその全体を現すまで、実に80分近くを費やす。いきなり出てくるのではなく、鰭だけとか、前頭部だけとか、顔全体とかを小出しに姿を晒し、観客にその全貌を想像させ、恐怖を増してゆく。
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 そして80分経った頃に捕獲船の周りを泳がせて、全貌を現し、その大きさが8m以上もあることを知らしめる。ここは最大の見せ場でもあるのだが、この瞬間から海洋サスペンス・ホラーから動物パニックのスペクタクルな映画に変わる。大鮫との戦いにシフトしていくのであるが、映画としての興味は薄れていってしまう。  まあ、ビーチをパニックに陥れるヤツは当然恐ろしいのですが、ヤツが現れた時に女・子どもを差し置いて、しかも子どもたちのゴム・ボートを奪い、われ先に逃げようとする野郎どもの様子もまた恐ろしい。海岸では踏み倒された高齢者や蹴飛ばされている子どもたちの姿が描かれている。人間性は咄嗟の時やピンチのときに表れるものですが、この映画の中にもさり気なく、しかもしっかりと示される。  最近の軟派な描写ばかりの満足できない映画しか製作できない現状は嘆かわしいが、ギリギリの表現を使って、ゴチャゴチャ訴訟を起こされるよりは中途半端な画で誤魔化す方がリスクが少ないのであろう。
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 視点の使い方も素晴らしく、ジョーズ目線を巧みに使って、観客の恐怖を倍増させるアイデアスピルバーグ監督の演出の上手さでしょう。ここまでのハラハラがこの映画の醍醐味であり、監督の卓越したセンスがよく出ている部分です。  フリッツ・ラング監督の『M』を見たときに、真っ先に思い出したのが『ジョーズ』でした。見た順番は反対でしたが、どちらも見せない怖さを突き詰めて表現した傑作です。  また両方とも音による恐怖の演出に優れた作品でもあります。お馴染みのジョン・ウィリアムズの『ジョーズのテーマ』は映画史に残るサントラであるだけではなく、テレビなどでも頻繁に使用されています。  また『M』はサイコ・ホラーの代表的な作品ですが、デュッセルドルフの殺人鬼を演じた怪優・ピーター・ローレが吹く口笛は風船と共にモノクロ画面が作り出す薄気味悪さとマッチしていて非常に印象的でした。  『ジョーズ』では夜の代わりに海を使い、さらに明るい西海岸の燦々と太陽が照りつける中で、ショッキングなシーンを次々に紡ぎ出している。ジョーズで恐ろしい描写としてはジョーズ視点で海の底から人間の足を見つけ出し、気に入った足に噛み付く視点が非常に気味が悪い。
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 いかに人間が海上では無防備であり、地球を制したと思っていても、それは所詮陸上でのことでしかないことを皮肉に語る。全編を通して、人間への皮肉な視点は常に存在する。それは鮫対人間だけではなく、地元民対よそ者という部分においてです。  ニューヨークからビーチのある町に赴任してきた署長に対し、地元の有力者は非協力的で、通常の生活化においては彼の意思はまったく通らない。彼の能力が発揮されるのは非日常の事態が起こったときのみである。  一般の会社でもそうですが、普段はエリートコースの者が優遇されるが、突発事態が起こったときには駆り出されるのは現場で地べたに這いつくばって働いている出世コースから外れた者になる。かりに彼らが失敗しても彼らのせいに出来るからであろう。  もっとも恐ろしいシーンを真っ昼間に持ってくるのは異化作用としても効果的でした。最後の退治シークエンスが呆気ないという声もあるでしょうが、案外凄まじい恐怖を切り抜けた後というのはあんな感じになるのではないか。
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 日常生活に訪れるさまざまなピンチもだいたい過ぎてしまえば、のほほんと何となく終わっていくものです。最初に『ジョーズ』を見てから、十数年経ってから、アメリカのロサンゼルスのユニバーサル・スタジオで彼の姿をアトラクションで見かけたときにはとうとう彼もキングコングとともに見せ物小屋行きになってしまったのかとガッカリしました。  なにはともあれ、この作品は『激突!』『ゴッド・ファーザー』『地獄の黙示録』などとともにシネフィル・イマジカなどのスカパー映画チャンネルで放送していていれば、ついつい見てしまう作品のひとつです。何度も見ているし、最初から最後まで、どうなるのか百も承知ですが、見てしまいます。そういうのが本当に良い映画なのかもしれない。  この映画が今でも愛されているのは当時、ショッキングだっただけではなく、特撮部分以外の人間ドラマがしっかりと描かれていたからこそではないでしょうか。捕獲船船長が熱く語る様子は生々しいし、血と汗の臭いがする。出てくる男たちはみなそれぞれに男らしく、キャラクターもしっかりとしていて、ぶれずに分かりやすい。  テーマが高尚だったり、人道的なものも確かに良いのでしょうが、ぼくはやっぱり『ジョーズ』や『ジュラシック・パーク』を作ってくれる彼が好きなのです。 総合評価 90点