良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『英国王のスピーチ』(2011)地味ではありますが、良い映画でした。コリン・ファースが素晴らしい。

 地震から10日以上が過ぎ、被災地の様子も随時中継されてきています。過酷な現状が連日の報道映像で相次ぎ明らかになっていくにつれて、見ているだけでも重苦しくなり、気分が滅入っていましたが、今日は休みが取れたので気持ちを切り替え、ようやく観に行きたかった『英国王のスピーチ』を見ることになりました。  普段は地元から近い京都の端っこのシネコンまで行くのですが、今晩は十年来の友人とお酒を飲みに行く約束をしたので、かなり早めに大阪に入り、難波の丸井八階にある東宝シネマズに足を向けました。  見終えてから真っ先に思ったことはまだまだ映画にはストーリーの選び方とサスペンス手法の活かし方によって、色々な見せ方が残っているのだなあということでした。  いってしまえば、吃音症の国王がただ単に開戦を告げる演説するだけというかなり地味な場面をクライマックスに持ってくるというのは、派手な演出になれたハリウッドにすれば、退屈な類の映画になりかねない。  それを脚本と演技の素晴らしさ、そしてあまり語られてはいなかったカメラ・ワークの妙で見事な作品に纏め上げたのですから、監督のトム・フーパーの力量もまた大いに讃えられるべきでしょう。  この映画にはいわゆる大スターは出演しておりませんが、コリン・ファース、ヘレナ・ボナム=カーター、そしてジェフリー・ラッシュの三人が素晴らしかったこともあり、アカデミー賞の主要部門を取りました。地味な映画でもきっちりと仕上げてあるものは評価されるというのは良い傾向です。
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 監督のトム・フーパーは今回良い映画をモノにしました。映画で重要な役割を担う主役には『シングルマン』にも出ていたコリン・ファースが起用され、ヨーク公だったジョージ六世を演じていました。  吃音に悩む内気な王様の苦悩を感情豊かに上手く表現していました。国王であり、ウィンザー公を支えていた弟であり、家に帰れば妻に持たれかかる夫であり、子煩悩な父親でもある。さまざまなシーンでの男を的確に演じていたのではないだろうか。  マイクに向かうのが大の苦手な王様だったようで、マイクに対面したときにまるで戦場で敵と遭遇したかのような緊張感が漲るのがなんとも人間らしく、すぐに感情移入できました。  パブリックでは見せられない喜怒哀楽を身内にはさらしていたのであろうが、偉い人はそれはそれで下々の一般大衆には理解できない苦労もあるのでしょう。  コリンの妻、つまりお妃を演じていたのがどこかで見たと思っていたら、やっぱりヘレナ・ボナム=カーターでした。この人って、ぼくが見た最近の映画のほとんどに出演していますが、彼女は引っ張りだこなのでしょうね。
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 大英帝国の歴史に基づいた映画なので、マーガレット王女やエリザベス王女らの王室の人々、ボールドウィンチェンバレンチャーチル(映画の段階では海軍大臣。)らの歴代の首相役の俳優も出てきます。  父王であるジョージ5世にはマイケル・ガンボン(ダンブルトン校長!)を起用し、もうひとり思い出せないけどハリーポッター・シリーズに出ていた人もいて、笑いそうになりました。  ヘレナにガンボンに、『パイレーツ・オブ・カリビアン』でバルボッサを演じたジェフリーまで出てくるのはファンタジー映画や特撮映画が好きな人にはたまらないキャスティングかもしれません。  ヒトラーの出演シーンのみはモノクロの実際のニュース映像(戴冠式のフィルムもモノクロ。)から挿入されています。宮殿内のシーンでの映像が重厚感があり美しく、フランスほど華美ではない質素な品位を感じました。
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 無免許にもかかわらず、国王の言語障害を癒やすカウンセラーを演じたジェフリー・ラッシュも怪しげだが暖かい感じの人柄がにじみ出ています。映像は明るすぎず、ロンドンらしい雨や霧のシーンが多く、どちらかというと暗い感じの色彩がクライマックスである戴冠式BBCでの宣戦布告演説の前まで続いていきます。  ふたりで街並みを歩くシーンを見ているとなぜか『第三の男』のエンディングのようで、ニヤニヤしてしまいました。映像全体を通してみると、決して深刻すぎず、陰鬱すぎるところまでは行かないようにコントロールされているようでした。あちこちにクスクスっとしてしまうシーンが散りばめられていているのも評価したい。  英国らしいウィットに富んだ笑いが良いバランスを与えてくれている。台詞も必要以上の説明的台詞もなく、映像で感情を表現している。オープニングではウェンブリー競技場でのスピーチで醜態をさらす様子が描かれていまして、このシークエンスの出来が素晴らしく、その後のストーリーに引き込まれていく。  若きヨーク公であるコリン・ファースへは皆の期待感から注目が集まるのだが、その様子を観客の視線とズームによるクローズアップでカメラが迫っていく。迫っていくと書きましたが、スーパー・ヒーローではない、どもりのヨーク公にとっては皆の注目を浴びるのは苦痛でしかない。
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 またどもることにより、最初は期待感から彼を優しく見守っていた人々には失望が広がっていく。それもセリフではなく、彼らの表情で表現していました。  閉会式で嘶く馬は来賓の人々や民衆の代わりに彼を嘲笑しているようでした。作品中、前半から中盤にかけては画面向かって左下、つまり下手の位置に押し込められていたり、その他大勢のような突き放された引き画で撮されている。  ストーリーが進むに連れて、吃音を克服しようとするコリン・ファースはその治療を受けていく過程で自信を取り戻していく。中盤以降は徐々に彼は画面左を占め、時には画面いっぱいのクローズアップが増えてくる。映像により、克服までの一進一退が描かれているようでした。  感情の起伏を表すように撮られ方も変わり、普段は他人に隠していた彼の感情だったり、責任を押しつけられてきたことへの覚悟が芽生えてきていることを表しているのかもしれません。
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 それでもクライマックス前のギリギリまで彼の表情は内向きに怒り、影を引くような映像が多く、目線は下を向くことが多い。カメラは彼の葛藤を映し出し、最終的にはクライマックスでの宣戦布告演説の成功とともに照明はかなり明るくなっていく。  彼の撮り方も彼を尊敬し、崇め見上げるような仰角になっていく。バッキンガム宮殿のはテラスに顔を出す頃には吃音のために弱気な王であったコリン・ファースは堂々とした王様に成長していました。  戦争の足音を感じさせる映画なのですが、一滴の血も流さないのは好感が持てました。地味ですが、見れば有意義な時間を過ごせます。DVDが出たら、また見ようかなあという作品でした。 総合評価 80点