良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『極底探検船 ポーラーボーラ』(1976)日米合作の特撮映画。円谷プロも協力しているが…。

 邦題は『極底探検船 ポーラーボーラ』といういかにも特撮っぽいタイトルが付けられています。オリジナルは『THE LAST DINOSOURS』なので、最後の恐竜となります。いっそのこと、そのまま最後の恐竜でも良かったとも思います。  たしか1977年には大型漁船か何かに「おやっ!?これは恐竜では?」という遺体が引っかかり、結構大きな話題も呼んでいましたので、上手いこと被されば、微妙な宣伝的な役割を担ってくれていたかもしれません。
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 おそらくは大きな鯨か何かの死体が引っかかっただけだったのでしょうが、当時小学生の低学年だったぼくは素直にまだまだ恐竜がいるのかもしれないなあなどと驚きながら、当時の新聞や写真を眺めていました。月刊誌『小学一年生』か『小学二年生』にも特集記事が載っていて、ワクワクして何度も読み返しました。  そんな思い出話は置いときまして、このタイトルは内容とのダブル・ミーニングになっているようで、主人公の大金持ちのハンターが過去の遺物かつ、人間性にも問題が多いということにも掛けてあるようにも思えました。  秀逸なのは導入部において、主人公の人生を幼少期から現在までをアルバムで見せるという方法を採っていて、下手にセリフに頼らないで表現する工夫がしてある。特撮映画の良し悪しは本編の説得力と特撮シーンの出来具合で決まりますが、この作品では本編部分の哀愁は良い味を出していました。  とりわけ主人公のオッサンを演じたリチャード・ブーンが素晴らしく、体臭のキツイ演技をどっしりと体現していて、恐竜よりも恐竜っぽかった印象があります。大金持ちのクセにあまりにも粗野なのはおかしいのですが、そのへんはすべて力技で乗り切っていきます。
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 肝心の特撮シーンについては円谷プロが関わった割には正直言って、ショボくてお寒い。円谷だけだったら、もっと違った美意識のあるカットを撮れたのでしょうが、アメリカ側スタッフもいるので、妥協せざるを得ず、思うようには上手く進まなかったのでしょうか。  ビジュアル的に最も重要な恐竜の造型も何だか丸っこいし、色が粘土細工みたいでいただけない。眼も充血しているのか真っ赤で作り物感がプンプンしているのも物語世界に浸りきれない原因かもしれませんでした。  それでも恐竜を捉えるカメラ・アングルは仰角で迫力があり、恐く見せようという努力の跡はあります。工夫しながら撮っているカットに溢れているのは特撮ファンとしては嬉しい限りです。予算と時間と相互理解があれば、もっとレベルの高い、歴史に残る作品になっていた可能性もあると思えば、色々な意味で残念な映画でした。  僕自身はほぼ一年後くらいに『怪竜怪鳥の伝説』の公開があり、そちらの印象の方がかなり強い。実際、この映画は劇場に観に行ったせいもあり、ポーラーボーラよりもよく覚えています。ポスターで恐竜が綺麗なおねえちゃんを咥えているデザインになっており、恐かったのも覚えています。
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 ポーラーボーラに出ている恐竜を見ていると、なんかアイゼンボーグやボーンフリー号を思い出しました。ただポーラーボーラ号はまがりなりにも実物大の模型をつくってあり、やる気を振り絞っていたのだろうなあとは感じました。  しかしただ船首にドリルが大きく取り付けてあるだけで、クリスマスのとんがった帽子みたいでもあり、あまりにもシンプルなその外観からはチャチな印象は否めないし、技術の粋を集めたメカには見えない。仮に日常的に探検をするという世界で、このメカが家庭用とかいうのであれば、納得なのですが、大金持ちが巨額の費用をかけて、前人未到の世界に探検するにはあまりにもセコい。  実際、もともと観測用のメカとして作られていたにせよ、迎撃用装備をまったく持たないのはあまりにも無防備すぎるし、ライフルと槍しかないのはリアリティに欠ける。ピクニックに来ている感じなのは調査もろくにせずに湖のそばにテントを張ってしまい、犠牲者を出すシーンにも明らかでした。
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 またとても軽そうなその機体はまるでぼくらがポカリスエットやコーラの缶を踏みつぶすかのようにすぐに凸凹でいっぱいになりそうであり、実際ティラノサウルスがポーラーボーラ号にチョッカイを出すシーンはなんか公園のゴミ箱缶に八つ当たりする酔っ払いみたいでした。  予算不足(?)という逆境の中、力技で2時間近くを見せた製作者には敬意を表します。特にいかにも特撮っぽい音楽が良く、ストーリーや設定の無理矢理さを補っていました。  残念なのは秘境に恐竜が棲息するのは良いとしても、その環境に原始人も存在し、彼らはすべて日本人というのが人種差別にも見えました。『キングコング対ゴジラ』のときも島民はすべて日本人でしたが、それは自国のゴジラ映画だし、目をつぶっておこうとも思っていましたし、微笑ましかったりもしました。
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 白人が支配者としてすべての命令を下し、黄色人種は芸者かイエロー・モンキー状態で、黒人は槍を持って白いご主人様を護衛というのはなんだか当時の力関係というか、人権への意識を垣間見るようでした。  クラリオン・ガールの関谷ますみも登場しますが、顔に泥を塗られているメークを施されていて、誰だか分かりにくい。その他の原始人も浮浪者にしか見えない。それでもずっと権利関係で揉めていたために幻の映画と呼ばれていた本作品がCSにて放送されたことは喜ばしい。  来月の日本映画チャンネルの予定表に『原子力戦争 LOST LOVE』がとうとうラインナップされていましたが、本当に放送されるのだろうか。 総合評価 55点