良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『ファンドとリス』(1967)ホドロフスキー第1作目。尋常ではない映像センスと作風は只者ではない!

 もしかすると『サンタ・サングレ』以来、二十数年振りの新作を発表するかもしれない寡作の映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキー監督にとっての初めての商業作品となるのがこの『ファンドとリス』です。  つい最近発売されたホドロフスキーのボックス・セットに収録されている一本で、初めて制作した習作的なサイレント映画の『LA CRAVATE』とともに単独ではソフト化されていません。  購入者としては見ることが比較的容易になるわけで喜ぶべきなのでしょうが、今回のボックス・セットには前述したように80年代末に突然公開された『サンタ・サングレ』が入っていないという大きな欠点もあります。
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 全部合わせても、あと一本なのですから、散々待たせておいて、欠点のあるボックスなどをリリースするなんて、販売元もどうかしています。  ファンにとっては大きな不満がある今回のボックスではありますが、一時のように『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』のDVDが二万円以上の高額でヤフオクに出品されるという異常な状況はようやく収まりそうです。  オークションによくいる高値出品者は未使用品を出品していることが多々ありますが、彼らは映画ファンなのだろうか。一度も見ていないボックスや限定品を出すという感覚が理解できません。  買ったのに見たいとも思わないようなDVDやビデオなどのソフトを転売だけを目当てになぜに買おうと思うのだろうか。売れないというリスクを考慮に入れた上での行動なのでしょうが、見たいファンの邪魔をするのは止めて欲しい。
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 それはそれとして、一本目の作品にはやっと完成にこぎ着けた監督の映画への思いがぎゅっと詰まるので、その人の個性が集約されることが多く、ゴダールの『勝手にしやがれ』、トリュフォーの『大人は判ってくれない』のような鮮烈な印象を与えてくれます。  作品について見ていきます。本来であれば、映像としては見難いはずのハレーション気味なモノクロ画面がかえって神々しさを増す不思議な寓話でした。  理想郷であるタールという幻の都へ旅をするファンドとリス。足が不自由で歩けない美少女リスを荷車に乗せて、それを押して行くファンド。物語のほとんどは瓦礫の山の中か、蟻地獄の巣のような断崖の下、もしくは墓地などを舞台としていて、通常の感覚であれば忌み嫌うような場所での展開が多い。  映画の前半から中盤では彼は彼女を担いで歩いているシーンも多い。その担ぎ方が独特で、二人を合わせるとまるで重い十字架のように見える。
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 彼女を乗せた荷車をファンドが押すという行為も困難な道中を案じさせるし、女を養う覚悟を試されているようにも見える。象徴的な構図と突き放したような神の視点が多かったように感じられます。  これを見ていると、フェデリコ・フェリーニの『道』を『黄金時代』製作当時のルイス・ブニュエルが撮っていたならば、きっとこのような出来だったのだろうなあ、と思っていました。  執拗に繰り返される串刺しにされて焼かれたサソリの映像のインサートは『黄金時代』の冒頭を思い出しましたし、泥から復活してくる人間を見ると『アンダルシアの犬』を思い浮かべました。シュール・レアリズムとするには分かり易くて、劇場で掛ける商業用映画にしては難解すぎる。  映像的に強い印象が残るのは業火で燃えさかるピアノを弾く男のシーンと楽しそうに真っ白な部屋をペンキで青く染めていくシーンをまずは第一に挙げます。特に燃えさかる炎に包まれながらも、それでもその場から離れないピアニストに寄り添い、彼の周りでモダン・ジャズを奏でるミュージシャンとダンスを踊り続ける男女。音楽の力強さを感じさせる作品でもあります。
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 つぎは父とのエピソードと母とのエピソードとのセットになりますが、亡くなった父親が埋葬された墓地から復活して、娼婦たちを追い回すシーンと反対に母親の息を止めるシーンからは人間関係の基本となる親子の関係性が語られる。基本的にファンドは女にだらしがなく、始終浮気をしていて、欲に目がくらんでいるためかオカマにも引っかかってしまう。  リスをさらし者にして、素性の知れない男たちに犯させようとするシーンがあるのですが、そのときにリスに当てられる照明はかなり強く、神々しさを感じます。足の不自由なリスの足を持って引きずり回すなどの虐待シーンが後半に行くに連れて、かなり多くなってきます。  そして最終的には自分の手には負えなくなった上に、自分を性的に拒まれてしまったため(リスは幼少期に見世物小屋の奇人たちに嬲り者にされた過去があり、トラウマになっている。)に激昂したファンドは殴る蹴るを繰り返し、とうとう彼女を死なせてしまう。
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 死体を自分で埋葬して、その横で眠りにつくという絶望的なシーンでこの映画は終わる。誰も救われないし、誰も喜んではいない。リスが生前歌っていた歌の歌詞も「私が死んでも誰も覚えていないだろう。みんな自分を忘れてしまうだろう。」という内容で、絶望的な歌詞でした。  こういった過激な描写や絶望的なエピソードが多かったため、最後まで上映出来ずに中止になるなどスキャンダラスな悪評が広まったためか、ずいぶんと長い間、お蔵入りになっていました。今回のボックス・セットには無事に収録されましたが、我が国では公開されることはありませんでした。  この映画でもホドロフスキー独特の映像センスや奇妙なストーリーに出会えます。後年、顕著になっていく夥しい流血や畸形者の群れ、臭ってくるような汚らしいセックスや腐敗のイメージはそれほど強く出てきはしませんが、それでもけっして万人受けする作品であるとは言いかねます。
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 通常の劇場映画というか、ハリウッド映画のみを観ていたいという方には拒絶されてしまうのは仕方ありませんが、ヨーロッパ映画を好んで見てこられた方には受け入れやすい作風ではないでしょうか。結構えげつない描写が多いのですが、なぜか神々しく見えてしまう。  ひとつだけ言えるのは見る者の嗜好のツボに上手くはまれば、その人は長い年月を楽しめるクリエーターと出会うことになるのは間違いない。クセが非常に強い発酵食品のような映画、それがホドロフスキーの作品なのです。 総合評価 80点