良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『リスボン特急』(1972)ジャン=ピエール・メルヴィルの遺作。ドロンとドヌーヴが素晴らしい。

 『リスボン特急』はジャン=ピエール・メルヴィル監督の遺作となったフレンチ・ノワールの佳作のひとつです。傑作と書かなかったのは彼には他に『海の沈黙』『影の軍隊』『賭博師ボブ』などの傑作がいくつもあるからです。  ただ佳作とは言ってもレベルは高く、円熟期にあったメルヴィルが死期を知ってか知らずか、淡々として撮った作品という印象が強く、音(とりわけ雑踏や潮騒などの自然なノイズ。)と色調に見られるような映像へのこだわり、そしてフレンチ・ノワール作品としてのこだわりがよく出ている作品に思えます。
画像
 オープニングには特に前述した部分への細かな気遣いが感じられる。ノワールらしく、無機質だが曲線や歪みへのこだわりが見られるオフィス・ビルときれいに舗装されたアスファルトは青白く発光している。  映画全体を通して、色調は基本的に青白いトーンで統一されている。その青白い色合いのなかで使われる光はより妖しげに艶めかしく輝く。街が夜を迎えようとする刹那、一斉に煌々と点灯されるパリの街灯は鮮烈でしたし、強盗一味が奪った現金を埋める場面で点灯されているメルセデス(かな?)のヘッドライトも寝ぼけ眼のようにぼんやりとしていたのが印象的でした。
画像
 銀行のすぐ横には海が迫っていて、嵐のためか激しい海鳴りが画面を覆い尽くし、室外ではかなり大きな波飛沫の音がしている。オン・オフの音の設計も考えられていて、銀行内に入ったときには音は小さくなっている。  ギャングたちは逃走用の車中で淡々と何も語らず、アイ・コンタクトのみでお互いに語りかける。場面は最初の山場である銀行強盗シーンに入るが、ここでもほぼ無言で仕事をやり遂げる。
画像
 リチャード・クレンナ率いるギャングたち(リカルド・クッチョーラ、マイケル・コンラッドら)の見せ場はたっぷり用意されていて、アルフレッド・ヒッチコック監督の名作『バルカン超特急』ばりのアクションが楽しめる仕組みになっている。ルーブル美術館で落ち合うシーンには監督の洒落っ気も出ていて、後ろの絵画をまるで書き割りのように見せて、あえてB級感を出すような演出にはクスクス笑ってしまいます。  とりわけリスボン行きの高速特急の寝台車で移動する麻薬の運び屋をヘリコプターを使って急襲するマンガのような特撮シーンがあります。しかも任務開始から完了までに二十分かかるという犯人グループの計画通りに、実際の強奪シークエンスはヘリコプターで列車に接近して、犯行をやり終えて再びヘリコプターに戻るまでを二十分かけて丁寧に描き出しました。
画像
 この演出について、時間をかけすぎるという意見もあるでしょうが、ここのサスペンスは映画の組み立てとしてはよく出来ているのではないか。  中でも自分を落ち着かせるため、そして他の乗客に不信感を持たせないようにするために髪の身だしなみを整えるリチャード・クレンナのショットは後々のシーンでも重要になる。
画像
 この作品ではセリフに頼らない代わりに目の演技や髪の毛の見せ方で観客に語りかけてくる。感情の高揚や乱れを髪の毛に転嫁している。  ラストで三角関係に決着をつけるドロンの渋さと哀愁と動揺が髪の毛に出ている。ドロンは端正な顔立ちですし、ドヌーヴもフランスを代表する美しい女優の一人なのですが、二人ともただの美しい演者というわけではない。
画像
 人生の善悪や栄光と屈辱、光と影を知り尽くして、それらの彼岸に至った者だけが持つ恥にまみれたような表情が浮かぶ無言の顔つきがなんとも言えない魅力を放つ。  語らない演出は徹底していて、ギャングたちを捕まえる側である警視のアラン・ドロンも必要最小限の言葉しか発しない。雑踏が雄弁に語り、彼のセリフの「行きます。後で掛けます。」が何度も繰り返される。
画像
 この映画での彼は目で語り、髪の毛で語り、逆光での真っ黒な影で覆われた顔で語り、からだの向きで語りかける。個人的には彼がクレンナの店で黙々とピアノを弾くシーンが楽しい。  普通このようなシーンでは俳優の手を写さないようなアングルの画が用いられることが多い。またあえて手を写すにしてもボディ・ダブルを使う。
画像
 この映画ではドロンの背後から前に回ってくる好奇心溢れるカメラがドロンが弾く鍵盤を写し出す。観客を驚かそうとするようなこのカメラの動きとショットはかなり楽しませてくれました。  カトリーヌ・ドヌーヴとシモン、そしてドロンがバーでスコッチ・ウィスキーを空ける場面での三人各々の間を行き交う目と表情ですべての感情と経緯を語るシーンにはゾクゾクとさせられますし、大人の複雑な事情を各々が飲み込んで行く姿は忘れ難い。
画像
 感情を露わにするような分かり易い演技はこの作品の演出には必要がなかったのでしょうし、アメリカ人向けに作られた映画のような単純さはない。  またジャン=ピエール・メルヴィルといえば、フレンチ・ノワールはもちろんですが、ヌーベル・ヴァーグに与えた影響も大きかった映画人でした。
画像
 この作品ではオープニングのドロンのモノローグが始まり、「私はコールマン。」と語り出し、観客が彼が何を語り出すのかに注意を向けた瞬間に、スパッと場面転換し、ギャングの銀行襲撃シーンに繋げていく。  これなどはジャン=リュック・ゴダールがよく使っていた繋ぎ方でした。僕自身はドロンが次にどういう言葉を繋げたのかに興味がある。今の若い人の目で見ると、地味で分かり難いというのかもしれませんが、なんでもかんでもセリフでベラベラ語らない、このようなフィルム・ノワールの系譜に連なっていく映画はずっと残り続けていくのではないかと思う。
画像
 カトリーヌ・ドヌーヴファム・ファタールになりきれていないところはマイナス要因となりました。人殺しを犯すくらいなので悪女には違いはないのですが、なぜかいじらしい女の印象が残りました。  これはおそらくラスト・シーンで旦那であるリチャード・クレンナがドロンに銃殺されたあとに呆然と立ち尽くしていた姿が印象的だったからでしょう。
画像
 傑作ではないのでしょうが、この心惹かれる映画を見ていると、最近の映画の味気なさ、とりわけ大金を湯水のように注ぎ込んでも、まったく心に残らない作品ばかりを送り出してきているハリウッドの退潮をどう見れば良いのだろうか。それに比べて、この映画を見終わった後の余韻は何だろうか。
画像
 雄弁に感情を語る無言の演技は最後のシーンでも再確認されるかのように繰り返される。凱旋門をバックに、パリの街並みを覆面パトカーで走り抜けていくドロンの表情は岩のように硬くこわばったままで、自分の気持ちをどうにかコントロールするために黙々とハンドルを握っている。  警察無線が執拗に鳴り続け、ドロンを呼び出してくるが、出ようともしないし、彼の心の内を知る部下の刑事もあえて無線を取るような真似はしない。ドロンの気持ちは複雑に絡み合っているようです。安堵感、失望感、後悔、愛憎、思い出などさまざまな激情が彼の心を行き交う。
画像
 原題は『Un Flic』。フランス語のスラングでは“ポリ公”または“おまわり”で、お世辞にもキレイな言葉とは言えません。サッカーでは相手の守備陣を崩すための釣り出しの動きをフリックと言う。ジャン=ピエール・メルヴィル作品を再度見直さねばならない。  メルヴィル&ドロン三部作である『サムライ』『仁義』『リスボン特急』の最後の一本でもある。もっとメルヴィルの作品を見たかったので、この作品後に訪れる彼の死は残念です。 総合評価 80点