『ターミネーター』(1985)ジェームズ・キャメロンとシュワルツェネッガーの出世作。何度も見ました。
1985年。自分の周りを見回すと、ほとんどの友達があまりお金を持っていなかった高校時代、仲間内で話題になっていて、観たいなあと思っていたのがこの映画でした。
アメリカ公開は前年の1984年だったため、多くのサイトでは1984年を公開年として記載していますが、日本公開年は1985年でしたので、ここでは1985年で記載します。
6月くらいだったと記憶していますが、なんとかお小遣いをやりくりして、部活で仲良かった映画ファンの友達と部活が終わってから一緒に日曜日の午後に見に行きました。
当時の映画館は今の世知辛い、入れ替え制のシネコンと違い、映画会社もかなり大らかで、同じ映画なら一日中観ていてもOKでしたので、記憶に焼き付けるためにも、元を取るためにもほとんどの映画を二度は連続して観ていました。
この時は日曜日でしたので、一回目は立ち見となり、真っ暗な階段に腰を掛けて観ていて、エンド・ロール後に席を立った人たちと入れ替わるようにして、二回目を迎えました。
階段に腰をかけて観るというのはちょくちょくあって、地べたに座るわけですから、ジュースのこぼしたヤツやお菓子のこぼしたヤツが結構落ちていたので、注意しながら場所を確保していた記憶があります。
このように二度見の癖がついていたので、レンタルビデオ黎明期には貧乏性のため、借りてきたビデオを少なくとも二回は見ていました。薄暗い映画館でのタバコもOK、立ち見もOK、二度見もOKという時代が懐かしい。
さらに時代を遡って、大昔の映画ファンが『フランケンシュタイン』に興奮したように、80年代のぼくらはジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』をおおいに楽しみました。
この映画はSF映画であり、ホラー映画であり、パロディ映画でもあるという色々な見方が出来る作品でしたので、アプローチの多さが多くのファンを作り出したのかもしれません。フィルム・ノワールの要素も垣間見ることの出来ますので、時間のある方はさまざまな見方をしてみてください。
ストーリー展開が特に目新しいわけでもなく、むしろ誰もが予想できる方向に進んでいく安心感の中、作品は期待を裏切ることなく、予想通りの展開を見せました。バッド・エンディングとは言えないまでも、ビターな終わり方がまたぼくらの記憶に痕跡を残しました。
くどいとも取れる3回の終わったかなあと安堵させる作りは興味深く、タンクローリーごと燃え尽きたように見せてメタリック・ボディがついに登場する一回目の退治シーン、マイケル・ビーンが捨て身の覚悟で怪物の身体に爆薬をねじ込ませて爆破させるシーン、そして三回目のプレス機で押しつぶされるシーンはそれぞれ印象的でした。
とくに思い出深いのが物憂げなリンダ・ハミルトンを撮ったポラロイド写真で、これがどういう状況で撮られたのかがラスト・シーンに分かる仕掛けになっていて、これが印象的でした。
登場人物の撮り方も興味深く、マイケル・ビーン、シュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトンとも最初は別の場所で存在していたため、ワン・ショットが当然多い訳ですが、マイケルとリンダはターミネーターから逃げるため、当然ツー・ショットが増えてきます。
反対に機械であるシュワルツェネッガーは基本的に最初から最後までワン・ショットで通され、仰角で撮られるシーンが多く、喜怒哀楽を見せない気味の悪さがホラーの要素を醸しだしている。
はじめてターミネーターとリンダが接近遭遇するナイトクラブの名前が「TECHNOIR」、つまりテクノワールというのも、フィルム・ノワールへの敬意が十分に感じられる。まあ、パロディなんでしょうけど、映画ファンはこういう演出が大好きなので良しとしましょう。
特撮も莫大な予算が掛けられていたわけでもありませんでしたが、撮り方や効果音の使い方や見せ方が上手かったためか、B級映画の枠を超えた迫力感のある仕上がりに大いに満足しました。
『殺人魚 フライング・キラー』でデビューしていたキャメロン監督はこの悪夢のような、ピラニア(あの『ピラニア』の続編!)とトビウオの交雑種が人間を襲うという冗談のような駄作の失敗に懲りていて、大いに反省してからこの作品に取り組んでいたのか、同じ轍を踏まずに大きな成功を収めたということなのでしょう。
もし製作しようとする時に『ターミネーター』と『殺人魚 フライング・キラー』の順番が逆だったならば、サイバーダインの機械が作り出すようなとんでもない未来になっていたのかもしれません。もしかすると『タイタニック』も『アバター』も生まれなかった可能性があるのです。
感情が無く、理解不能で得体の知れない優秀な殺し屋が執拗に主人公たちを付け狙う展開と基本的に真っ暗闇の画面でストーリーが転がされていく様子は古き良き時代のフィルム・ノワールのようでした。
俳優陣にしても、主役である機械仕掛けの怪物を演じたアーノルド・シュワルツェネッガーを始め、リンダ・ハミルトンもマイケル・ビーンもそれほど有名というわけではありませんでしたが、スクリーンに映し出される彼らはとても魅力的でした。
では何故この映画が20年以上経ってもファンの心を捕らえ続けているのでしょうか。一番の理由は秀逸な出来栄えで現代版フランケンシュタインとしか言いようのないシュワルツェネッガーに尽きるでしょう。彼のまさに一世一代のハマり役がこの映画に登場する人型サイボーグのT800でした。
ボリス・カーロフのフランケンシュタインの怪物、ベラ・ルゴシのドラキュラと同じようにシュワルツェネッガーのターミネーターも時代を代表する恐怖のキャラクターとして記憶されることになりました。
色々なマンガやパロディでこのターミネーターのスタイルが出てきました。パロディが成立するのはみんながその元ネタを知っているのが前提なので、それだけインパクトが凄く、同世代に大きな影響を与えたということなのでしょう。
また同じようにこの映画も『フランケンシュタイン』やレイ・ハリーハウゼンの『シンドバッド 七回目の航海』でお馴染みのカクカクしたフリッカーのような動きの表現がメタリックのターミネーターを無機質でない手作りの暖かみを感じさせてくれました。
眼を抉り取るシーンは『アンダルシアの犬』でしょうし、機械が運転するタンク・ローリーに追われるさまは『激突!』を思い出させました。深読みしすぎかもしれませんが、この映画の成功の影にはパロディ精神やお約束の演出をあえて採用する王道の潔さもあったような気もします。
シュワルツェネッガーのオーストリア訛りがひどい、ぶっきらぼうというか、感情の起伏がまったくない棒読みのセリフや言い回しはたとえそれが演技でなくとも唯一無二の存在感を誇っていて、上手く企画の趣旨に乗っかったのがこの作品での彼でした。
ここでのイメージが強くなり過ぎた彼は一時『プレデター』『バトル・ランナー』『ゴリラ』などマッチョだったり、腕力勝負のキャラクターの仕事が多く、イメージが固定されつつありました。
が、そのイメージを逆手に取って、『ツインズ』『キンダガーデン・コップ』『ジングル』などのコメディに出演し、滲み出る人間味が大いに受けて、ハリウッドになくてはならない俳優としての地位を築いていき、ついにはカリフォルニア州知事にまで登り詰めていきます。
しかし基本になったのはこの映画での怪物役で、まるで夢診断にありがちの悪夢に出てくる象徴のようにしつこく追いかけてくるサイボーグは強烈な印象を観る者に与え、ファンの心を捕らえて離しません。
なんだかんだと言いつつも、ぼくも便器でシュワを殴る三作目まではついて行きましたし、失望するだろうなあとは予感しているもののレンタル屋さんでは四作品目が気になっていました。まだ見てないけど…。
このオリジナルと二作品目の『ターミネーター2/ジャッジメント・デイ』は何度も見た作品ですし、本来であればオリジナルである本作品の方が点数が高くなるのでしょうが、ぼくは“T2”のエンターテインメント性に突っ走った雰囲気が好きなのでこの評価になりました。
もちろんこの作品のほうが深く人間を描いているのは解っています。世紀末に近づいていた80年代の窮屈になりつつあった空気感の重たさと不自由さ、不透明な暗さがそこかしこに漂っている。
総合評価 85点