『ゴジラVSビオランテ』(1989)平成ゴジラ第一弾!結局これを越えられなかったその後の平成版…。
ゴジラ復活第二弾にして、平成ゴジラ第一弾でもある『ゴジラVSビオランテ』を映画館で観たのは大学二回生のころでした。1984年に久しぶりにゴジラが復活したときはワクワクしながら見に行きました。
自衛隊の秘密兵器であるスーパーXの形状が電子炊飯器みたいでダサすぎだと叩かれてはいましたが、自衛隊対ゴジラを描いた復活第一作品目をスクリーンの大画面で見られたのは格別だったのを覚えています。
それから5年後に再び対決物として『ゴジラVSビオランテ』の製作発表があったときには一抹の不安があったのも事実です。またぞろアンギラスがしゃべりだしたり、ゴジラがシェーっと踊り出したり、ミニラが出てくるんじゃないかとビクビクしながら公開を待っていました。
ゴジラ映画ファンとしてはとりあえずスクリーンで勇姿を見ることがかなうだけでも嬉しいのですが、先ほどのような萎えてしまう描写や怪獣同士の大相撲が続けば、まさに悪夢再びとなります。
じっさい、この映画の次作となる1991年の『ゴジラVSキングギドラ』では可愛いドラッド三体がどういう理屈と仕組みでそうなるのかは全く理解不能だが、突然合体してキングギドラになってしまう。
1993年の『ゴジラVSメカゴジラ』ではとうとう平成版ミニラのベビー・ゴジラが登場してきた記憶があります。そうなるのは数年後です。昭和シリーズの後を追うようにどんどんおかしなことになっていったのが平成ゴジラ映画です。
この『ゴジラVSビオランテ』はG細胞を使い、遺伝子工学による新兵器開発の暗闘を日本・米国バイオ・メジャー・中東の三竦みで描き、重層的に本編に取り入れていることが功を奏し、奇跡的に素晴らしい作品に仕上がりました。
原爆とゴジラで被害を受けたわが国がG細胞を独占して、新兵器を作るのは当然とする財閥の本音を語るのは興味深かったのを覚えています。アメリカは核兵器を無力化する新兵器開発に乗り遅れまいと暗闘し、中東も生命力の強いG細胞を手に入れて、砂漠でも緑化させる計画を試みる。
このようにかなり大人向けの内容になっている。その理由の大部分を占めるのは脚本の特異性のためでした。今回はプロではなく、シナリオをファンからの一般公募で決定したことが成功に結びついています。逆に言えば、プロは何をやっているんだろうということにもなります。子供向けにしてしまうから大人の観客の鑑賞に堪えない駄作を連発することになっているのに誰も気づかないようです。
つまりゴジラ映画ファンが観たいゴジラ映画を撮った結果、大人も子供も喜ぶ作品に仕上がりました。ゴジラ映画ファンによる、ゴジラ映画ファンのためのゴジラ映画、それこそがこの『ゴジラVSビオランテ』でした。
みんな(おおきいおともだち!)が観たいのは単純な怪獣同士の取っ組み合いではなく、自衛隊対怪獣であり、本編の充実なのです。特撮シーンはあくまでもスパイスであり、本編に説得力がなかったら、観客はストーリーについていかない。
この作品は見事にそういったファンの思いに沿った内容となりました。今回登場したビオランテをはじめて見たときはなぜかヘドラを思い出しました。遺伝子工学で生み出されたビオランテは最初は薔薇の要素が強く出ていましたが、ゴジラとのファースト・コンタクトで惨敗すると、次に復活してきたときにはゴジラの要素を強めて戦いに臨む。
その間、自衛隊もゴジラの放射能光線を反射させるスーパーX2をフル稼働させて、迎撃していく。G細胞の働きを弱める抗核エネルギー・バクテリア砲を撃ち込む決死隊の権藤一佐(峰岸徹)の勇姿は今もゴジラ映画ファンの心に残っています。あとあと柄本明と結婚する吉川十和子が権藤一佐の妹だと知ったときはちょっと驚きました。
クライマックス・シーンに登場する巨大な電子レンジ・システムも懐かしい。問題点をいくつか挙げていきます。まずは外国人俳優たちの演技があまりにも拙く、のめり込めないことです。もう少しまともに動ける俳優はいなかったのだろうか。
次に気になったのはラスト・シークエンスでの三田村邦彦と田中好子のラブラブな会話です。この会話のちょっと前には高橋幸治の白神博士がテロリストに射殺され、そのテロリストと戦った三田村は高嶋政伸の手を(指を)借りて、彼を殺害したばかりなのです。
殺しのプロフェッショナルならともかく、一科学者がほんの十数分間で知人が殺害され、自分もテロリストを殺害する状況になったあとにイチャイチャできる感覚が理解できませんでした。
最大の問題点は音楽で、ゴジラ映画なのに伊福部昭独特の雰囲気を持つ楽曲が付けられていないのです。テーマのみはアレンジして使用されてはいます。彼の参加しなかった理由は不明ですが、彼の音が付くか付かないかで、特撮映画としてのクオリティがまったく変わってしまう。一言多いファンが多いゴジラ映画ですので、口やかましいファンを黙らせるためにもここは伊福部音楽をつけて欲しかった。
印象的な登場人物としては高嶋政伸が演じた自衛隊司令官を挙げます。目的は何かを非情に冷静に判断する戦術的な彼は平成ゴジラ・シリーズ全体でも出色の出来でした。大阪なんてどうでもいいと言い切る彼には拍手を送りたい。こんなことを言われて笑って済ませられるのは大阪人だけでしょう。
新兵器スーパーX2に関しては初代スーパーXよりはマシになっていますが、あの形状で飛行できるかなあと疑問を持ちながら、眺めていました。反射鏡が開いてしまうと空気抵抗が大きくなるので、二つに裂けてしまうと思う。まあ、いいか…と言い聞かせて見ていました。
さて、肝心なビオランテに関して見ていくと、三段階の造形の変化があるのは工夫を感じました。とくにゴジラ要素が強く出てきた進化したビオランテがゴジラに向かって迫っていくときの異様な迫力は今でも覚えています。実際にはこのビオランテは大きすぎるのと形状が特異だったためにまったく動けない状態だったので、カメラが迫っていくのと触手の動きでなんとか誤魔化していたそうです。
そういえば、昔住んでいた大阪の京橋付近がゴジラに破壊されるシーンに嬉しくなりました。三段変化の最終段階となる沢口靖子ビオランテについてはとくに言う必要もないでしょう。「そりゃないぜ!セニョリータ!」としか言えません。あれは要らないでしょう。小高恵美に「ありがとう。」と言わせるだけで十分でした。
最後に大阪城ホールでコンサートを行っていた斎藤由貴のすっとんきょうで間の抜けた声だけの出演も懐かしい。たしか井上陽水の『夢の中へ』のカバーでした。彼女って、当時清純派で売っていましたが、尾崎豊との密会を写真週刊誌にすっぱ抜かれてからは人気ががた落ちし、そのまま消えてしまいました。たまにおばさん役でドラマとかに出ているのがなんだか痛々しい。
冷静に見ていくと、話の展開のあちこちに穴がぽっかりと空いているのですが、特撮のようなB級映画(ぼくは大好き!)ではそんなの当たり前なんですから、ゴチャゴチャ言わずにゴジラの咆哮を聞け!と言いたい。
ぼくはゴジラのない世界よりもゴジラ映画のある世界が良い。たとえ傑作ではなくとも、ぼくは観に行く。
総合評価 75点