良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『影武者』(1980)流行語にもなった影武者。勝新降板、カンヌ映画祭グランプリなど話題になりました。

 黒澤明が生涯で監督した映画はデビュー作『姿三四郎』から遺作となった『まあだだよ』までで全三十作品あり、小学生の頃から黒澤映画ファンだったぼくは多くの作品をビデオで何度も繰り返し見てきました。  年齢的にモノクロ時代には間に合わなかったぼくが映画館で観たのは『乱』以降になります。5年位前に『デルス・ウザーラ』も大阪で行われていたロシア映画祭で映画館のスクリーンで観ることが出来ました。
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 作品ごとにもちろん好き嫌いはありますので、十年に一回くらいのペースでしか見ていない作品もあります。ぼくにとってはこの『影武者』はいまでも取っつきにくい作品のひとつです。  最初に見たのが小学校のころ、次が大学生の時分、三十路前、DVDがレンタル店に並んだ頃、そして今回ですから合わせて五回目です。話題作だったので、大きな期待とともに見ていたのを覚えています。
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 大きな話題になっていたために、実際に見る前からハードルがかなり高くなっていました。悪い作品ではないのですが、どこかのめり込みにくい印象があります。カンヌ映画祭グランプリ獲得作品ですので、けっして出来が悪い訳ではない。  ぼくらが小学生だったころでも再放送を楽しみに見ていた座頭市シリーズの主役だった勝新太郎がこの映画に出ると知ったときは、素直に面白そうだなあと思いましたが、すぐに降板がワイドショーでスキャンダラスに報道されました。勝新がもし出ていたら、彼の風貌が歴史の教科書で見る武田信玄と瓜二つでしたので、さらに興味が増していたことでしょう。
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 威風堂々とした信玄公を演じるのは、どちらかというと庶民的な役柄が多かった勝新にとっても大きなチャンスだったでしょうし、盗賊の演技はお手のものだったでしょう。  大人の事情でしょうから理由はよく知りませんでしたが、この作品の出来上がりを見たときになんだか楽しくないなあと思いました。全体を通して、血が通っていないというか、どこか淡々としていて煮え切らないまま、エンド・クレジットを迎えました。
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 もしかすると勝新太郎が降板した時点で、この作品はその後の運命が決まってしまったのかもしれません。何をやっても勝新ならどうだったのだろうという視点が常に存在してしまうのです。  仲代達矢も個性的な俳優だと思いますが、武田信玄を演じるにはスケールが小さく、影武者を演じるには神経質そうで、盗賊のいかがわしさがない。
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 勝新が離脱した時点で俳優陣への期待は減り、映画をまとめ上げ、破滅に向かっていく求心力が無くなってしまいました。勝新の影武者が仲代だったのだろうか。  作品も大きすぎた信玄死後の武田家の滅亡していく過程を描いていましたが、この『影武者』自体も魅力的で間違いなくテレジェニックだったはずの勝新が離脱後の混沌の中でもがき続けているスタッフたちがなんとか修正しようとしていた様子が撮られているようにも思えます。
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 もし勝新が内心では不満があっても、大人の対応をしていれば、彼にとっても世界的に通用する代表作になっていたのは確実でしたので、非常に悔やまれます。  しかし彼一人で映画が成立する訳ではないので、ことさらにそこばかりに焦点を当てる必要もない。黒澤明の映像美は晩年に差し掛かっても衰えることない。ただ残念なのは後期の作品群を見ていて思うのは爽快な気持ちになって家に帰った記憶がまったくないことです。
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 もちろんテーマも違うでしょうし、彼が置かれた立場も変わっていたでしょう。いろいろ考えてみて、何が違うのだろうかというと多分脚本の執筆体制の変遷なのかも知れません。  黒澤映画では脚本チームが存在し、三人から五人の合議で作品の構成を行っていました。その体制が映画ビジネスの低迷やら黒澤自身の独善的な態度によって崩れだし、なんだか歪な描写が増えていき、ぼくらのような素人でも違和感を覚えるほど目立つようになったのでしょう。
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 冒頭で武田信玄仲代達矢)、信廉(山崎努)、盗賊(仲代達矢)が同時に登場するシーン、信玄が陣中で死んだのを隠しながら甲斐へと引き上げていく隊列に夕映えが彼らを包み込むシーンは彼らのこれからの落日を表していたようでした。  信玄狙撃シークエンスで明らかなように信玄と謙信が戦場で斬り結ぶ川中島の戦いのような古き良き時代は去り、雑兵でも銃弾一発で大将首を狙える武器の優劣によって戦局が変わる時代に突入する。
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 高天神城を囲む信玄本陣をローアングルで捉えた威圧感、長篠の戦いに敗れ、風林火山の旗が川底で揺らめくラスト・シーンなど多くの場面で映画的表現の凄みを堪能させてくれます。  また個人的には仲代が躑躅ヶ崎の屋敷で部屋を出ようとするときに大きな影が彼の後ろを追いかけてくるシーンに凄みを感じました。この影は盗賊仲代の影なのか、信玄の亡霊なのかと考えながら見ていました。
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 後期特有のイメージもあるようで、夕暮れ時の夕映えや夜中の城攻めによる業火のようなどちらかというと暗い光が顕著になってくるように思う。『まあだだよ』のラスト、『夢』でのゴッホ『鴉』の不安な暗闇、『乱』の多くのシーンで印象的だった廃墟に映える夕陽などは自らの人生に重ねているのでしょうか。  これらのシーンは非常に美意識が高く構成されていて、こうした部分が海外で高評価を受けた要因だろう。この映画について、黒澤明監督は『乱』への足掛かりとして捉えていたようで、甲冑などを二次使用する腹積もりだったようです。
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 そして『乱』をも来るべき『平家物語』へのステップにするはずでしたが、『乱』を最後に黒澤明監督に時代劇を作る機会は訪れず、また残された時間も少なく、『平家物語』が世に出ることはありませんでした。彼ならば、敦盛の最後や壇之浦をどのように描いたのだろうか。  そこかしこに活動写真の美しさが盛り込まれており、目を奪われる様式美に思わず溜め息が出てきます。しかしこの作品は最高峰の映画芸術ではあるが、娯楽映画ではない。ぼくらが期待したのは娯楽映画の中にある深い芸術性であり、芸術そのものではない。
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   この映画は黒澤映画をずっと劇場で観てきたファンほど納得できない作品だったのではないでしょうか。理由はのめりこめるキャラクターの欠如と娯楽性からの乖離でしょう。  なかでも批判が多かったのが合戦シーンで、上映時間の2時間半に渡って粘り強く、ずっと見続けた観客はきっと黒澤監督が心理を理解した上で、じらしにじらしてクライマックスに大きな合戦シーンを持ってきて、一気に畳み掛けてくるものと期待していたはずです。
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 それがまさかのスローモーションと肝心なシーンが抜け落ちた合戦後の兵隊や軍馬の死体とよろめいている姿だけだったので、失望感と怒りが込み上げたのでしょう。  まるで緊迫した野球やサッカーの試合中にCMが挿入されてしまった間に、バッターがサヨナラホームランを打ったり、決勝ゴールが決まってしまった後の中継を見ているような感じとでも言いましょうか。
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 ただ騎馬戦と足軽による白兵戦が主体だった戦国時代において、織田信長による鉄砲戦術の革新の実験台になってしまったのが武田軍でした。  長篠の戦いをメインに持ってきたので、斬り合いがなく、弓矢も登場しない奇妙な合戦シーンになってしまったのは必然だったのかもしれません。ただ迫力はあまり出ていたとは思えませんでしたが、130頭もの多くの馬を使っての死屍累々のシーンは困難を極めたようで、撮影で馬に麻酔をかけても30分しか持たなかったそうです。  この映画の公開当時に合戦シーンの撮影のために馬を大量に殺したという噂を聞いたことがありましたが、事実とは異なり、実際には麻酔を打っていたというのを聞き、ほっとした思い出もあります。
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 武田軍の動線も気になった映画でした。甲斐の国から京都を目指してきたので、画面のイマジナリー・ラインの考えからすると、上手から下手へ向かって行軍してきたはずなのですが、信玄死後に甲斐に戻る道中、ほとんどのカットが上手から下手に向かって行軍していき、画面上から下に向かったり、蛇行していたりするので、これは武田家の行く末の混沌を表したかったのだろうか。
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 俳優陣では萩原健一への批判が多かったように覚えています。上滑りしているような感じが確かにあり、それを目障りに感じたのでしょうか。ただ勝頼の役柄上、焦りと劣等感で身を誤る自身の行く末を身体全体で表していたようにも思えました。印象に残った俳優は大滝秀治山崎努でした。  その他、姉川の合戦に向かう隆大介(信長)の陣中を訪れる油井昌由樹(家康)がゆったりと語らいながら、南蛮渡来のお酒(赤ワイン)をともに飲むシーンを何故かよく覚えています。 総合評価 70点