良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『眼には眼を』(1957)アンドレ・カイヤットの最高傑作と呼ぶに相応しい奥深さ。意味を三日は考える…

 『眼には眼を』『洪水の前』『愛の地獄』『火の接吻』『裁きは終りぬ』などで知られるアンドレ・カイヤット監督作品から受ける印象はなんとも言いようのない重苦しさと数日間に渡って続く自問自答です。  普通そういう風には思わないのですが、彼の作品を見ていると、自分が劇中の各々の立場に置かれていたとしたら、いったいどういう行動を取るだろうか、そしてどういう行動を取るのが正解だったのだろうかというシミュレーションを見終わってからすることが多い。  彼我の立場を変えてみることも必要になります。加害者(この作品では理不尽な逆恨みによって、法的には何の問題がない医師ユルゲンスがとことんまで追い詰められる。)の行動と思考、被害者ルリの行動と思考、そして傍観者としての冷静な視線の注ぎ方、そして製作者であるアンドレ・カイヤットの意図を常に意識して作品に向かい合うことが必要になる。
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 こういった複雑な思考をせねばならない作品群を絶えず世に送り出してきたフランスの映画作家アンドレ・カイヤットではないだろうか。ロベール・ブレッソンとはまた違うが、彼よりも厳しい意志やモチーフを作品から発しているように思う。  冒頭から見ていくと、理由も分からずに理不尽な嫌がらせを受ける医師(クルト・ユルゲンス)に同情する。手術を終え、ストレスを洗い流すように蛇口をいっぱいに捻って、手を洗うユルゲンス。  夜勤明けの疲れた状態で眠ろうとしていた彼。そんな彼に急患をすぐに診て欲しいといって、イスラムの男性(フォルコ・ルリ)が郊外の自宅に押しかけてくるが、疲労のために願いを断ってしまう。このあたりは西洋的というか、勤務時間外は私人であり、プライベートとビジネスをはっきりと分けて考える白人らしい対応と思える。  この急病の妻を抱えた夫婦がそのあとどう繋がってくるのかは次の日まで判然としない。その後、彼の車が故障し、手当てが間に合わなくなり、しかも病院で誤診をされた挙句に妻が死亡したことを知り、遺体を見に行くが、彼の心に何が去来しているのかは分からない。
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 彼女の死後に、不可解な無言電話や青いフォードによるストーカー行為を受けるようになるが、何故自分が付け狙われているのかは理屈では理解できない。  恨まれているという状況は分かったものの、ビジネスの観点では彼自身に責任があるわけではない。法的にも責任はない。しかしながら倫理上はどうなのだろうか。ルリを追ううちに妻の実家の家のある街にたどり着くが、ガソリンがなくなり、何の因果か憎まれている家で一夜を過ごすことになる。  このときの描写が強烈で、事情を知る前はとても親切だった妻の家族が真実(ルリ側の理屈による。)を伝えられた後は親や妹ら被害者家族の彼を見る目は冷たくなり、口には出さない静かな非難を浴びせる。
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 助けを求めてやってきている患者を見捨てたという良心の呵責に悩み、仕方なく泊まることになったルリの妻の実家で砂漠地帯に急患がいるという申し出を聞かされたときに彼はイスラムの老人を助けにシリアの奥地に向かう。  そのガイドを務めたのは妻を殺されたため、復讐に燃えるフォルコ・ルリです。彼は燃え滾る復讐心をまったく表情に見せずに彼をシリアの奥地の砂漠地帯に引きずり込んでいく。  砂漠地帯へはユルゲンスが運転する自動車で向かう。目的地で老人を治療しようとするが、抗生物質の注射や外科的治療を試みようとしても西洋医療を受け入れようとしないイスラムの人々に苛立ち、治療を放棄する。  だが、いざ市街地に帰ろうとしても、乗ってきた自動車はイスラムの住民によって破壊されてしまっていたので、その日は現地で部屋を借り、眠ろうとするも侵入してこようとするルリが気になり眠れない。
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 一気に幕が開ける壮絶な復讐劇。後半になると好きにはなれないが、妻を亡くした悲しみを忘れることのできないイスラムの男(フォルコ・ルリ)のどうにもならない怒りの持っていき方にも一定の哀れみを感じるようになる。  何が人間を理不尽な行動まで駆り立てる極限状態まで追い込むほどの復讐心を持続させる原動力になりえるのか。愛の喪失が奪った相手への憎悪を増幅していく。ただ仮に復讐を成し遂げたとして、本望を貫いた先にも明るい未来は待ってはいない現実をアンドレ・カイヤットは観客に告げる。  彼は他人を許さないが、自分にも妥協しないので、見た方ならばお分かりでしょうが、彼の映画のラストもたいていストイックで殺伐としていて、当然でしょうが、観客にも登場人物にも優しくはない。  彼はダマスカスにユルゲンスを案内するといってともに徒歩で街に向かう。その途中で、中盤のクライマックスといえる工事用ロープウェイでの移動シーンがあります。吊り橋を渡るのもかなり恐怖を伴いますが、ケーブル一本だけで繋がったガードも何もない剥き出しのロープウェイは高所恐怖症には耐えられません。また同乗するのが自分の命を付け狙うルリが一緒な訳ですから、心を許す瞬間すらない。
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 ここではルリはユルゲンスを殺害しないが、簡単に彼を許さないルリにとっては予定の行動でしかないが、ユルゲンスにとってはもしかすると命を奪うほど恨んでいるのではないのかという微かな希望が出てくる。蛇の生殺しのような状況がすでに生まれてきています。  この映画のクライマックスでもただひたすらに主人公の目前に広がる砂漠はたとえ近くの山の頂上まで登っても明るい展望は見えてこない。観客も愕然と暗い未来を見守るしかない。ラスト・シーンを写し出すカメラの動きも効果的で、映像で絶望を表現します。  復讐の怒りは果てしなく続くことを暗示するように、厳しい砂漠は彼の微かな希望をいづれ打ち砕く。前半は淡々と進んでいくので、途中で見るのを止めてしまう方がいるかもしれませんが、最後まで見た方ならばご存知の通り、何年間も後々まで引き摺る本当に恐ろしい映画です。  トラウマ映画館で紹介されていた作品で、DVD化はされていないようです。ぼくも題名を忘れていた作品でした。今回、VHSで見たときに「これだったのか!」と思い出しました。ただぼくがこの作品を見たのは随分と前で、おじいちゃんの家にあった白黒テレビでしたので、この作品もてっきりモノクロ映画だと誤解していました。
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 もし可能でしたら、やって欲しいのはテレビの色調を変えて、モノクロでご覧ください。さらに恐ろしさが倍増してきます。まあ、カラー作品ではありますが、砂漠のシーンがほとんどなので、ペイル・ブルーというか、青白い色彩の印象が強い。  そのなかでついに理不尽な仕打ちへの怒りを露にしたユルゲンスがルリの腕を切りつけて、鮮血が飛び散るシーンは唯一の赤色が記憶に残る。  今ではよく知られるようになっている嫌がらせの方法ですが、最初は相手に気取られずに無言電話で深夜も朝もお構いなしに消耗させる。次は相手に自分を意識させ、常に行動を監視するストーカー行為で徐々に相手の神経を参らせていく。  相手が後悔の情と真摯な行動を示しても、それを利用して、シリアの砂漠へ誘い込んでいく。道中では渇きと暑さと睡眠不足による疲労で心身ともに苛烈に追い込みを掛ける。寝させないためのやりかたは徹底していて、野犬が出るとか寝ると危険であるとか相手にもメリットがあるような口ぶりで体力を消耗させていく。
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 ユルゲンスが持っている食料や飲料を谷底に蹴り落としたり、もしかすると毒を盛られているかもしれないと疑心暗鬼にさせて、自分だけゴクゴクと水を飲んだりする。  絶望と希望を交互に見せることでさらに深い絶望に追い込んでいきます。疑心暗鬼と極限の疲労でさらに消耗していく医師はついにイスラムの男の手を切りつけて出血させて、砂漠から脱け出そうともがく。  医者と遺族の立場の違いは如何ともし難く、医療ミスで人命が奪われた場合、恨みが消え失せることはない。ただこの関係で奇妙なのは実際に子宮外妊娠をただの盲腸炎という誤った診断を下して、結果として彼女を死なせた担当医師ではなく、非番の医師の自宅に押し掛けてきて、彼が診察を断わったから自分の妻は死んだのだと逆恨みするイスラムの男です。  彼の車は故障して、さらに治療を受ける時間が遅れてしまいますが、これすらもイスラムの男にかかると医師のせいということになる。滅茶苦茶で自己中心的な思考を持つ者に逆恨みされる恐怖を描いています。
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 誰のせいでもないのに誰かのせいにしたがるメンタリティは理解不能です。当時よりも現在のほうが見る者に響いてくる作品なのかもしれません。この行動の原動力が妻への愛情というのであれば、亡くなった妻は理不尽な行動で的外れな復讐を遂げるルリを喜ぶのであろうか。  愛が他者への憎悪を生み出し、殺害してしまうのであれば、愛は最上の感情ではないとアンドレ・カイヤットは言いたかったのであろうか。ある者にとってはプラスの感情も、他者にとってマイナスの原動力なのだとすれば、感情は良い悪いではなく、その感情の強弱で判断すべきなのだろうか。  アラブとキリスト教圏のメンタリティの違いと埋められない宗教観の違いを前面に出したという意見もあるようです。タイトルの『眼には眼を』というのはハムラビ法典にある有名な言葉で復讐法の位置付けがなされている。妻を殺したのだから、医師にも死を与えるというのでは医療は出来ないし、難しい手術をするのは不可能になってしまう。  これがもし医師が白人ではなく、同胞のアラブ人であったとすれば、ルリは同じような行動を取ったのだろうか。彼が同じ行動を取ったのだとすれば、ただの逆恨み野郎であるが、白人相手のときだけこういった復讐行動を取るのであれば、物語の意味が変わってきてしまう。  ぜひともDVD化して欲しい作品の一つです。『ラインの仮橋』とともにアンドレ・カイヤット作品では高評価の作品ですので、簡単に見ることが出来る環境を整えて欲しい。ちなみに今は『洪水の前』『貴婦人たちお幸せに』『愛の地獄』『眼には眼を』『愛のために死す』を所有しています。 総合評価 92点