良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『清須会議』(2013)三谷ワールドを期待する向きには肩すかしかも…。

 面白いはずだという過剰な期待が大きすぎる三谷幸喜監督作品。今回、挑むのは時代劇。さてどうなるのかなあと思いつつ、コメディ好きにも時代劇好きにも納得できる内容に仕上がるのかという疑問はぬぐえない。  常連俳優陣は今作品でも健在で、唐沢寿明ら一部に「あれっ?あの人出ていないなあ。」というのもありますが、多くの三谷組的な俳優さんはみんな出演しているのではないか。
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 主な出演者は役所広司大泉洋小日向文世佐藤浩市鈴木京香妻夫木聡伊勢谷友介剛力彩芽浅野忠信寺島進松山ケンイチ、でんでん、近藤芳正中谷美紀戸田恵子西田敏行です。新顔の人もいますし、いつもの人も大勢います。昔の監督たちは同じ俳優を多く使い続けましたが、見ている者にも安心感があります。  西田敏行は生前の六兵衛さん役で出演しているので、前作の『ステキな金縛り』を見ていた方はクスッと笑えたのではないでしょうか。こういったサービス精神あふれる部分も真面目な映画ファンが見ると批判されてしまったりするのでしょうが、オヤジギャグ的なこういう笑わせよう精神はずっと忘れずに持っていて欲しい。
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 戦国時代を扱った映画というと通常は合戦シーンだったり、切り合いのシーンなど戦闘描写が多い。しかしこの映画ではそういったシーンは忍者の襲撃シーンくらいで他には全くない。役所広司佐藤浩市浅野忠信と時代劇で活躍した俳優さんが揃っているのになぜ彼らに見せ場を作れなかったのかが疑問であり、もったいないなあと思いました。  本能寺の変という内乱で主・織田信長を突然失った大勢力の権力闘争に際し、会議で勢力地図を塗り替えるという離れ業をやってのけた羽柴秀吉大泉洋)の凄味を再認識すべき作品です。
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 どうしても後世の人は大向こうを唸らせるような大合戦に勝利してきた武将を評価するのでしょうが、江戸城明け渡しの勝海舟同様に、結果的に戦国時代の混乱と無用の戦争を避けた秀吉及び黒田官兵衛コンビの大勝利となったこの評定は地味ではありますが、もっと知られるべきイベントだったのではないか。  この会議にスポットを当てたのは素晴らしいのですが、映画としての問題点もあります。密室劇を描いているので、当然室内での応酬が主になります。『12人の優しい日本人』で見られたような切れ味が残念ながら、この作品には見られない。
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 密室での撮り方や構図にメリハリがあまりない。演劇ならばそれでも構わないのですが、映画というジャンルで描くのであれば、より工夫が必要だったのではないか。息詰まるような権謀術数の会話の後に室外に出た時には解放感があるべきなのですが、海岸での旗取りシーンや漁師や三法師丸との邂逅エピソードを見ても、どこかこじんまりしてしまっています。  秀吉にとっては起死回生の策略だった信忠の遺子を担いで織田家を仕切る作戦を思いついた重要なシーンのはずなのでもっと時間を割いてもよかったのですが、色々と詰め込んでしまうとただでさえ上映時間が140分間近くになっていたのがより長くなる可能性もありましたのでちょこちょこ切っていたのでしょうか。
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 お市の方鈴木京香)や剛力彩芽のメイクがかなり気色悪くなっていて、まるで黒澤明監督の『乱』での楓の方(原田美枝子)を彷彿とさせます。特に鈴木京香の動きは原田を思い出させてくれました。  人の欲望や本音に迫ってくる大泉洋が演じる秀吉のリアリストぶりと任侠的な武人という枠を超えられなかった柴田勝家役所広司)の対比が素晴らしく、彼らの間で揺れ動く丹羽長秀(小日向)や池田恒興(佐藤)の打算や見限りまでの悩みも上手く描かれています。佐藤でなくともカニと領地ならば、迷わずに領地を選ぶでしょう。
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 武人である柴田については仇敵であるはずの秀吉ですら「おやじ殿!」と明るく接し、表面上ではあっても上役だった彼を一応は立てています。ここで描かれる勝家像は御人好しの武人であり、大勢力をまとめ上げられるような器量は全くない。史実ではお市の方が再婚相手に選んだのは勝家であり、秀吉は心の底から蔑んでいたようですが、この時代において女性に選択肢はないでしょうから、よほど嫌われていたのでしょう。  天下人になってからの秀吉は長女である茶々姫を側室にして、秀頼を生んだ彼女は淀君として確固たる地位を得て、一時は我が世の春を謳歌するも、母親と同様に大阪城の戦火の中で生涯を終えます。
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 晴れ渡った清須の空をバックにエンドロールが流れる中、鬨の声が聞こえ、軍勢の歓声が響き渡るシーンがあります。これは賤ヶ岳合戦へとフラッシュフォワードしているのだろうか。柴田勝家(役所)を見送った大泉と中谷を写しだした後にティルトしていき、大空のカットへと繋がっていきます。  果たして監督の意図はどうだったのだろうか。コメディとしては中途半端だと言われるのでしょうが、武士の世がガチガチの真面目一辺倒になってしまうのは江戸時代になってからであり、裏切りも下剋上も当たり前だった戦国時代においては人々もより快活であり、猥雑で野放図な武将も実際には多かったのではないか。
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 あとぼくは戦国時代の武将たちを描いた小説だったり、戦国武将の言行録などを好きで読んだりしていたので、人物関係や幼名だったりを知っていたのですんなりと入っていけましたが、歴史についての知識が全くないような人がこれを見ても、人間関係の機微だったりとかが理解できなかったのではないか。  丹羽長秀を五郎左と呼ぶ柴田勝家は権六と呼ばれていますし、秀吉を藤吉郎と呼ぶ前田利家は犬千代と呼ばれます。人物の相関関係がこういう呼称にも出てきますので、ただ一本の映画を見るというだけではなく、普段からいろいろな歴史などの知識や地理を頭に入れておけば、より深く楽しめたのではないだろうか。 総合評価 70点