良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『悪い奴ほどよく眠る』(1960)異色の社会派作品で、黒澤プロ設立後の第一弾。

 黒澤明監督作品に関して、10年越しでぼちぼちブログ記事をアップしていってはいるもののいまだに書けずに残っているのは『悪い奴ほどよく眠る』『どですかでん』『生き物の記録』『まあだだよ』の四本の現代劇です。  政治腐敗の闇を描いた『悪い奴ほどよく眠る』、風変わりでエグ味があるファンタジーどですかでん』、奇抜な設定で狂人化していく三船敏郎の演技が優れている『生き物の記録』、そして遺作となった『まあだだよ』。いったいどれから手をつければ良いのだろうか。
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 単純にこれらのなかで楽しめる順番をつけるとすれば、一番に来るのは『生き物の記録』でしょう。黒澤明監督の色彩感覚を楽しめるのは『どですかでん』に違いない。遺作となった『まあだだよ』についてごちゃごちゃ言うのは野暮ったい。  では残る一本、硬質の社会派作品で黒澤明作品中でも異色のストーリーである『悪い奴ほどよく眠る』はどのような作品として位置付けられるのだろうか。そもそもこの作品は独立会社である黒澤プロの第一本目の記念作品でもあり、大当たりするであろう時代劇の娯楽作品をあえて避けたのは気概を示す意図があったようです。
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 この映画に出てくる俳優陣で印象深いのは森雅之三橋達也加藤武西村晃、身体障害を持つ不幸なヒロインを演じた香川京子(大好きな女優さんです。)です。特に老け役を演じた森雅之藤原釜足の役柄との一体感が見事で、一見すると誰が演じているのか分からない。  三橋達也も二枚目ではないボンクラ息子を熱演していて、イメージチェンジを図るためにも必要なプロセスとして、黒澤映画への出演を決めたのでしょうか。俳優さんたちが素晴らしいので、多少の粗があっても気にはなりません。
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 発狂していく役柄の人も多く、二代目水戸黄門を演じた西村晃が三船の謀略により、精神的に追い詰められていき、目はくぼみ、目つきが悪くなって、ついに発狂していく様子はかなり恐ろしい。  優しい父親だとずっと思っていた森雅之の指示により、愛する夫(三船)を殺し屋に惨殺された現場を加藤に見せつけられ、誰が黒幕かを悟った香川京子も卒倒し、精神的なショックを受けて、気がふれてしまう。
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 迫真の演技はもちろん、なんといっても見所はオープニングで一気に登場人物の関係性を描き切ったところでしょうか。ミニチュアが披露宴会場に運ばれてくるシーンは場違いであり、異様な雰囲気を醸し出す。  この作品は復讐のために権力に近づいたはずの三船が香川京子の純粋さに触れ、大いに悩みながら揺れ動くさまも見られます。
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 説明的な台詞が多いのが気になる方もいるでしょうが、冒頭でまとめてやってくれるので中盤以降はスムーズに人間関係が頭に入ってくるのではないか。  原作はシェイクスピアの『ハムレット』であり、愛情と復讐の狭間で揺れ動く三船の葛藤を見る映画だと思いますが、香川京子睡眠薬を飲まされるくだりと三船敏郎が消毒用アルコールを注射されて意識混濁に追い詰められていく設定は『ロミオとジュリエット』ではないだろうか。
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 眠りが覚めて、愛する夫を探しても、すでにこの世にいない。シェイクスピア文学のプロットは古典ですが、どす黒い思惑や人間のいやらしさは現代物に翻案しても、しっかりとエッセンスは伝わってきます。  映画的にもっとも優れていると思うのは藤原釜足が演じた課長補佐が自殺しきれずに三船に救われた後に自分の葬式を眺めているシーンです。三船の運転する自動車から祭壇に目を凝らすと読経と木魚が鳴り響くなか、家族が悲しむ姿が見える。
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 焼香しに現れた上役の志村喬西村晃が恭しく、見た目は丁寧に行動し、遺族に挨拶をしている。遠くから見ているので、当然会話などは聞こえない。映像だけで見ると普通のお葬式の光景です。  しかし彼らの本音は前夜のキャバレーのド派手なラテン音楽が鳴り響く喧騒で語られています。三船の策略により、彼らの酒場での会話はテープ・レコーダーにはっきりと録音されていて、再生すると葬式の厳かな様子のバックに悪党たちの陰湿な肉声が本音として映像に被ってきます。
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 両極端な要素を同時に出すことによって、劇的効果を高める対位法的な演出が素晴らしい。この場面を見るだけでも十分に価値があります。取っ付きにくいテーマではありますが、いつの間にか画面に引き込まれていき、廃墟シーンでのエンディングまで辿り着いているでしょう。  惨たらしい三船への暴行場面をあえてカットし、暴行後に残された廃墟で争った形跡やペチャンコに押し潰された乗用車の映像で彼がどれほどの衝撃と苦痛を与えられたのかが理解できます。
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 わざわざ見せなくとも、観客が各々で残虐場面を想像します。ここが重要で酷いと思う惨状には観客が戦争を見てきた世代だからこそ覚えているシーンが必ずあるでしょうから、各自が記憶を辿り、たぷんこうだったのだろうなあと映像を補完していたことでしょう。それが創造力であり、経験が豊富な人はより深く楽しめたのではないか。  単純な役柄ではない三船のいつもとは違った魅力を味わいたい。シェイクスピア的には『ハムレット』と『ロミオとジュリエット』の混合だろうか。
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 他にも火山火口での藤原釜足とのやりとりや三橋達也が屋敷内で猟銃を発砲させるシーン、なんといっても披露宴会場で足が不自由な香川京子を三橋が抱えていくシーンなど印象的な場面がいくつもあります。  時代劇などの娯楽作品群のイメージが強い黒澤明監督ですが、全部で30作品あるなかでは過半数は現代劇でしたので、こういう地味に写り、派手さがない作品もしっかりと見ていきたい。今の目で見ると見慣れているテーマかもしれませんが、ハッピーエンドに持って行かない気概は素晴らしい。
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 実際、巨大な権力の前では個人の動きなどは蚊に噛まれたくらいにしか思わないでしょう。悪い奴ほどよく眠るとはよく言ったもので、ラスト・シーンで森雅之が電話している相手は作品中、一度も姿を現しません。森も所詮、小物でしかなく、巨悪には全く手が届いていないことが明らかになる。  この不条理を映画館で見せられた観客はどのような気持ちでスクリーンを後にして帰宅の途についたのだろうか。半世紀前の作品ですが、テーマは古くて新しい。汚職や隠蔽は今でも無くなっていませんし、より大きな外国資本や独裁国家も常に我が国を狙っています。
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 上映時間は150分ですので最近の映画しか見てない方からすれば、かなり長く感じてしまうかもしれませんが、ルキノ・ヴィスコンティスタンリー・キューブリックをはじめに1970年代までは休憩を挟んでの3時間とかいうのもちょくちょくありましたのでそんなに長くもありません。  ただ夜遅く帰宅してから、二時間半を超える大作を見るほどの余裕はないので、次の日が休みだというときか、お休み当日しか時間は取れない。体力がなくなってきたのかなあと思う今日この頃です。
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総合評価 80点