良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『赤ひげ』(1965)黒澤明、最後のモノクロ作品にして最高傑作。

 良い映画とはどんな映画だろうか。楽しい映画、興奮する映画、感動する映画、時間を忘れる映画、何度も見たくなる映画などなど数え上げれば切りがないほどに映画ファン各々でこだわりがあるのでどれが一番か決めるのはかなり難しい。  個人的にはストーリーだけではなく、活動写真である以上は映像表現が美しく、映画でなければ撮り得ない、深い意味を持つ作品こそが良い映画だと思います。
画像
 映画監督の持つ個性や気概は処女作品に出ることが多い。これはよく言われることですが、人生経験的にも体力的にももっとも充実している期間には監督の最高傑作が生み出されることが多いのではないか。  黒澤明監督作品のなかで最高傑作と呼ばれるのは『七人の侍』『生きる』なのでしょうが、ぼくは『赤ひげ』を強く推したい。大ヒットしたのは前者でしょうが、映画芸術そのものとしての出来上がりでは『赤ひげ』に違いない。
画像
 これが一番好きなのかと言われればそうではなく、『用心棒』を挙げますが、映画芸術的に最高レベルに到達していると思えるのは『赤ひげ』です。  この作品は他の黒澤時代劇とは一線を画していて、剣劇的な戦闘シーンは一切ない。チンピラと大立ち回りをする場面がありますが、とっちめるだけで切り結ぶような場面にはならない。大喧嘩シーンも黒沢映画らしく、迫力はあります。
画像
 むしろ現代的なテーマと思える精神障害のエピソードが多い。時代劇の枠を使いながら、現代劇のテーマである人間のいやらしさや業の深さ、生命の尊厳や貧困の厳しさを次々に突き付けてきます。  小石川療養所を舞台にして、庶民の生活の悲惨さを卓越した映像美のなかで見せてくれます。映像が美しいので、そこに対比される人間たちの穢れが際立ってくる。
画像
 綺麗なだけの映画ではなく、人間の汚さや無常のさまを見た上でそれでも明日に向かって生きていこうとする人間たちへの讃歌として見るのが正しいのだろうか。  前置きが長くなりましたが、黒澤明監督、最後のモノクロ映画がこの『赤ひげ』です。山本嘉治郎監督の元での修行期間を経て、戦時下での『姿三四郎』以来、黒澤監督は20年以上の長きに渡って、映画を撮り続けてきましたが、テレビの台頭とカラー・フィルムの台頭は映画界を強引に変質させるに十分でした。
画像
 娯楽の中心はみんなで観る映画から、よりプライベートに引き籠ったテレビに移っていき、50年以上が経過した現在でもPCやスマホに押されつつあるものの一般家庭の中で大きな位置を保ち続けています。  そこまで変わっていくとは思っていなかったでしょうが、映画関係者の多くには不安と危機感があったでしょう。そんな中で製作された『赤ひげ』には監督をはじめ撮影・衣装・美術・音響効果、そして黒澤映画最後の出演となってしまった三船敏郎も特別な感慨があったのではないか。
画像
 黒澤明を熟知し、経験が豊富なスタッフが持っているモノクロ映画の制作技術を総動員した最高傑作であり、映画への真摯な態度が伝わってくる素晴らしい作品に仕上がっています。  これが最後かも知れないという寂しさと最後だから真剣に作品と向き合おうという覚悟があったのでしょうか。たしかにこれ以上の映画はこの後には作れませんでした。
画像
 映画業界は徐々に斜陽の時を迎え、衰退していく流れを誰も止められないなかで製作された奇跡的な一本と言えます。  黒澤明監督のイメージは時代劇、それも『七人の侍』『椿三十郎』『隠し砦の三悪人』のような男たちが躍動する祭りの映画を思い浮かべる方が多いのでしょうが、いざこの作品を観た後ならば、そういった印象がガラッと変わるでしょう。
画像
 作品は江戸時代の小石川療養所を舞台として、赤ひげと呼ばれるベテランの医者(三船敏郎)と長崎で修行してきた蘭学医者(加山雄三)との師弟関係や葛藤、そして療養所に出入りする貧困者や町人の人間模様をオムニバス方式の群像劇として物語を紡いでいきます。嫌々仕事をしていた加山が赤ひげや庶民の暮らしを見ながら、徐々に本物の医師になっていく成長過程がきちんと描かれています。  山崎努頭師佳孝二木てるみ香川京子が強い印象を残す各エピソードはすべてが力強く、また圧倒的な映像美で観客に提示される。もちろん映像だけではなく、音の力も黒澤明監督作品随一の出来映えです。
画像
 江戸の町に降り積もる雪の美しさ(オープンセットで発泡スチロールと麩を混ぜて作られた人工雪。)、夏に鳴り響く風鈴の迫力は忘れられません。また地震によって人生が振り回されるさまは今となってはより我がことのように感じますし、心を打ちます。  薄暗い部屋のなかで不気味に光るおとよ(二木てるみ)の異様な眼、狂女を演じた香川京子(個人的にファンなので、より衝撃的です。この作品以外でもっと綺麗に撮って欲しかった。)の恐ろしい色香に惑わされる加山雄三の驚愕の表情は脳裏に刻まれるでしょう。
画像
 昔の怪談映画に出てくる幽霊たちよりも数段上の恐ろしい目つきで加山に襲い掛かり、女の細腕でも成人男性の動きを封じることが出来るという秘儀には驚かされました。  はじめて黒澤映画に女性のフル・ヌードが登場する作品でもありますが、手術シーンでの登場なので、もっとも色気のないヌード・シーンとも言えます。
画像
 何度見ても新鮮な発見がある素晴らしい日本映画の財産です。くどさが苦手で黒澤明監督作品を敬遠している方でも良さがわかってもらえるに違いない。  撮られているアングルや光の当て方を見ているだけでも楽しめます。前述した闇夜に光る子供の眼を映像化するためにピンスポットで照明を当てる技術の高さは見逃してしまいがちではありますが、何度も見ていくうちに細部へのこだわりを発見することで、より深く、作り手の意志の強さや我慢強さに感心するでしょう。
画像
 完璧主義の弊害はあるでしょうが、そのプラスの面をもっと見ていくべきです。色々と批判めいたことを言う方もいるでしょうが、未見の方は周りの意見に振り回されずに自分が見て感じたことを正直に語れば良いのではないか。  それでも好きになれない方もいるでしょうし、作品それぞれに個性はあり、馴染める作品もあるのだなと感じる方もいるでしょう。それで良いのでは。  堅い場面ばかりではなく、大女優である杉村春子が大根で叩かれるという笑えるシーンもありますので、全体を通して描かれる江戸時代の庶民の暮らしぶりを見ておきたい。 総合評価 95点