『宣戦布告』(2001)結局、戦いを止めるのはより強力な軍事力なのか?
最初に見たのはビデオが出てからですので、2002年くらいだったのだろうか。当時はこういった類の仮想敵国映画はこの国ではタブーだったのではないだろうか。
あちこちにCGのちゃちさなど低予算邦画の哀しさが出ていて、なんだか寒々しくなるシーンも多々ありはしますが、とりあえずタブーへ踏み込んでいく一里塚としての価値は大いにあったのではないかと思います。
結論としてはいくらわが国は平和国家というお題目を唱えてみたところで、周りに目をやると無礼な共産中国が虎視眈々と我が国の領土を奪おうと機会を窺っており、朝鮮半島の北側には核爆弾を振り回しかねない脂肪太りの独裁者(あの独裁者に必要なのは核ミサイルではなく、カロリーコントロールである。)がすぐそこにいます。
作品では敦賀原発のそばに不法に潜航して座礁した北朝鮮の潜水艦から出てきた特殊部隊の兵士たち10数名が原発周囲の深い山の集落でゲリラ戦を展開する様とそれを機に激動していく国際情勢、憲法のせいで何も決められない政治家の体たらくでどんどん生命を奪われていく一般市民・警察官及び自衛隊員の悲劇を描きつつ、合間に諜報員の暗躍や公安の対応を描き出しています。
話題にならなかった映画の割には一定以上のクオリティは確保されている。出ている俳優陣も古谷一行(優柔不断な首相役)や杉本哲太(総理を補佐する官僚)、小野武彦(県警の偉いさん)、夏木マリ(北のスパイ幹部)、財津一郎(副総理役)、多岐川裕美、木之元亮(自衛隊の現場指揮官)、白島靖代(北の内通者のホステス。エロイ!)、池内万作(北のスパイ)、佐藤慶(官房長官。さすがの安定感です。)、夏八木勲(この人もイイ顔してますねえ。)など実力派が揃っているので見応えがあります。
そういう野蛮な権力者がすぐ近くにいるのにわが国に手を出せないでいるのは言うまでもなく米軍の存在が各地の要所で彼らに対しての抑止力として機能しているからです。
けっして戦後世代の勤勉さだけでここまでの経済大国にのし上がったわけではない。おべんちゃらを言われたら悪い気はしないであろう、家庭を顧みなかった70代以上の世代、防衛費負担や軍事バランスなどはいっさいアメリカ任せにしてきたボケた左翼世代は平和はタダだと思っていると若い人を中心に批判され出してはいるが、相変わらず中国になぜか遠慮しているマスコミの姿勢に不信感を持つ40代以下はネットで憂さを晴らしている。
自分を含めて両者に言えるのは状況を変化させるために必要な行動を取っていないことです。若い世代はどうせ自分たちの意見など通らないのだからと言って、選挙にも行かない。別に行かなくとも良いが、行かないことは選挙に行った多数派への信認を表します。
例えば僕が住む関西の大阪では都構想への住民投票がありました。構想への是非はともかくとして、高齢者層の投票行動、つまり現状を変えたくない世代の反対票により、都構想案は否決されました。
現役世代という労働者からすると、働く人々の権利を脅かすなど労組への攻撃を加速する橋下体制に対しては賛成はしません。ただ労組も既得権益として悪い膿が溜まっているでしょうし、自動車を乗り回しながら、最低賃金よりも多くの金銭を不正に受給しているクズどもも既得権益を得ている。
こういったマイナス部分をいったんデフォルトするためにはショック療法も必要だったのではないか。もし投票に行かない20代の住民層があと20000人ほど投票所に出向いていれば、結果は変わっていました。
僕らはアメリカから与えられた民主主義をあまり深く考えずにその恩恵を受けています。同じく思いやり予算などがたまにニュースに上りますが、いわゆる防衛費に関しても、どこか他人事です。これらは非常に危険な考え方であり、フィリピンのようにいざ米軍が離れたとたんに中国に不法占拠される地域が増えてくる脅威について、わが国は考えるべき時に来ています。
安保法制の改定を批判的に大量報道するわりに、共産中国が強引に推し進めている南シナ海の他国海域での横暴に対して何も言わないのは不誠実この上ない。南シナ海という呼び名を変えて、まずはアセアン海とかに変えるような動きからでも始めればいいのではないか。
新聞は大東亜戦争時に軍国主義追従報道をしていた反省から、戦後現在に至るまで左翼報道に終始しているようですが、それが行き過ぎて、いわゆる慰安婦問題や原発虚偽報道などで国益を損なう害毒になっています。
本来、様々な論者のバランス感覚を読者や視聴者に提供すべき報道機関が全く機能していないのではないかという直感が働いているからこそ、新聞やテレビの利用者が減り続けているのではないか。政治への不信はもちろんありますが、マスコミへの不信もまた増え続けているように思います。
あくまでも米軍の存在があるから、ソ連や中共の脅威にさらされながらも、なんとか侵略を免れていたにすぎません。一方、米国が日本の繁栄を意図していたわけではなく、周囲の状況が冷戦に傾いた結果として、ソ連や中共を抑える要として利用しただけでしょう。
米国の利益のためであって、日本国民の人権を守るために米軍が配備されてきたわけではないことを直視すべきでしょう。米国もだいぶ弱くなってきていますので、そろそろ本当の意味での独立した同盟国としての軍事力を持ち、彼らの負担を減らし、自分の国は自分で守る程度の抑止力は持つべきでしょう。
こうやって書いていくとすぐに批判コメントが出てきそうですが、数年前に『地獄の黙示録』の記事を書いたときに「北朝鮮がいまさら攻めてくるわけないだろう。」というようなコメントを入れてきた者がいました。その数週間後には韓国の島だったかに攻撃を仕掛けてきたということがありました。備えあれば、憂いなしなのです。
いざ攻めてきた時にどう対応するか、それを決めるのが政治であり、我が国の国土を脅かす中共や北朝鮮の独裁者に対してのメッセージとしての抑止力強化は重要ではないか。もちろん何事もなく、スポーツ中継を見たり、政治に対してああだこうだとクダを巻いていられる状況こそが平和だと認識はしています。
であったとしてもやられたらやりかえすのは当然の権利ですし、防衛強化にたいして、なんでもかんでも反対する輩には「では中共が攻め込んできた場合、あなたは自分の生命や権利が脅かされたり、家族や恋人が強姦されたり、殺害されたり、痛めつけられたりするのを何もせずに見ているのですか?」と問いたい。「ぼくたちは戦わない?」
彼女や娘さんが人民解放軍の下劣な兵士に強姦されているそのときに「ぼくは平和主義者で、左翼だ。共産主義にはシンパシーを感じるので多少の暴力は問題ない。自分の娘や妻が何をされても不問にします。」などと言えるのだろうか。言えるのであれば、御立派な平和主義者でしょう。
だいぶ脱線しましたが、映画が問いかけているのは結局は有事に際しての行動規範を定めておかなければ、いざとなった時にあたふたしても時間と人命を浪費するばかりで事態はより深刻な局面を迎えていくということです。
初期段階からの後手後手に回る対応のまずさと責任の擦り付け合い、この騒動を機に政府倒閣を画策する無思慮の政治家たちなどによる浅ましさは現実にもありそうですし、バタフライエフェクトのようなドミノ倒しによって世界大戦を引き起こしかねない危うさはなんだか笑えないレベルになっています。
また大事に至らせずに初期段階で敵を制圧するのは敵よりも強力な装備の集中投入と短期決戦、命令系統の迅速さと徹底ぶり、諜報能力の強さであると思わせてくれる内容でした。いかんせん、戦闘シーンでのCGのちゃちさは致命的ですので、そのへんは見る側のハードルを下げておきたい。あくまでも防衛を考えるきっかけとして接したい作品です。想像を働かそう。
戦争を避けるとすれば、経済関係の利害をより複雑に絡ませ合わせることで、戦争を起こしにくい体制を構築していくことではないだろうか。全世界の各々の国家がその得意分野で機能することで経済のハブ機能を持ち、リンクを強化して行くことによって、お互いの互恵関係があることに気づけば、最悪の事態は避けられるかもしれない。
あまり欲張らずに、みんなが笑って暮らしていける世界が来るのがベストです。全世界の政治家がいなくなり、世界政府のようなものが公平に事態に接していく時代が来れば、民衆レベルではどこも揉めないのではないだろうか。平和ボケかなあ。
総合評価 55点