良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『コカコーラ・キッド』(1985)世界で愛される(?)コーラを未開の地で売りまくれ!

 夏の暑い日にスポーツなどをして汗だくになった時に近所の駄菓子屋でよく飲んでいたのはスカッと爽快なコカコーラでした。そしてそれは缶コーラやましてやペットボトルではなく、冷蔵庫の栓抜きでシュポッと開けると炭酸がシュワシュワッと吹きこぼれてくる、くびれたデザインがカッコ良かった小瓶コーラなのでした。  “アイ・フィール・コーク!”“コーク・イズ・イット!”などのキャッチコピーは洗練されていましたし、『THIS IS A SONG FOR Coca-Cola』などのCMソングは大ヒットしていました。  1985年公開のこの映画は2015年現在のグローバリズムが蔓延している世界においては単なるブラック・コメディではなくなって、現実問題として笑えなくなってしまっています。  アメリカで圧倒的なシェアを誇るのはペプシだそうですが、日本ではコカ・コーラの方が人気がありますし、自動販売機のシェアも25%(たしかそれくらいだったと記憶しています。)と大きく存在感を示しています。ペプシからすれば、コカ・コーラはここで描かれる地元民が愛するローカル・ソーダ飲料と同列なのだろうか。
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 コカコーラ社製品は他メーカーの清涼飲料水と比べて原価が割高だったのを覚えていますが、その理由というのはCM代金分やあちこちの自動販売機に補充するための人件費の上乗せなんだろうなあと漠然と考えていました。実際、コーラのドライバーさんたちは補充するだけではなく、各店舗を回り、新製品を売り込んできます。  経費問題からこういう活動をしなくなったメーカーさんの商品よりも地道に販促に取り組み、各店舗を回ってくるコーラさんの商品を置きたくなるのは人情ですので、ぼくらもコンビニでバイトをしているときは多めに発注したり、フェースを広げたりしていたのを覚えています。  これらは良い面のほうですが、この映画で扱われているのは地元産業を圧迫し、結果としてシェアと仕事を奪ってしまう悪い面についてです。競争は是か非か。とても難しい問題で、成長していくのが宿命である資本主義社会の中では民間企業は対前年比100%以上というのを常に求められている。  低成長社会に突入していくのだから、少子高齢化社会に突入していくのであるから対前年比100%以上の実績を残すのは不可能だというのは競争社会に身を置いていない人のたわごとに過ぎない。
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 低成長時代というのは社会全体の企業が各々100%以上の成長を成し遂げられる社会ではなく、資金力のない企業や投資家対策や法的対応がうまくできない企業、イノベーションが進まない企業が買収されたり、シェアを奪われて撤退していくことにより勝ち残った企業が対前年比を向上させる社会です。  その過程で進むのは敗者側のリストラと低賃金化であり、労組の解体なのでしょう。つまり経営側に都合がよい社会が加速されていくのです。世界に冠たる大企業であっても、ストックオプション契約によって超高額報酬を得るのは経営者を代表とする幹部のみであり、一般社員はこき使われるのみです。  残念ながら、この国の企業には愛社精神などという文化はすでに滅んでいます。僕らの給料は上がらないが、社長や幹部は堂々と自社株買いをして株式価値を高めたのちに売り払い、巨万の富を得る。不況になれば、株主対策と称してリストラを実施して業績を一期だけ上げる。  社員もお金をもらっているから我慢しているだけで技術者などはリストラされれば即、中国や韓国にわたり、テクノロジーを売り渡す。劣悪な環境で働かされた社員はリストラ後、ネットで内幕を暴露したり、訴訟を起こし、世間の注目を集め、復讐すべく企業価値を破壊する行動に出る。新卒者は数年は集まらなくなるでしょう。結果としてこれは企業の首を絞める。
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 こういった態度を批判するのは簡単でしょうが、大切に扱われなかった社員の復讐であり、企業の身から出たサビであるので悪いとは思わない。  勝ち組と思われるアメリカでも格差は加速し、ウォール街での“われわれは99%だ!”というデモやトマ・ピケティの『21世紀の資本』に代表されるように不満は頂点に達しようとしています。高額所得者をより優遇し、セーフティネットを張ることもなく中間層を没落させ、ウォルマートフードスタンプを使って食品を購入し、彼らにさらなる売り上げをもたらすというタコの足喰いのような状況に陥っています。  今度のアメリカ大統領選でも没落した中間層対策をどうするかに民主党(もちろんアメリカの民主党です。わが国を破滅に導いた無責任な元・与党兼現野党ではありません。)では論点の一つとなっているようです。社会の不満が頂点に達しようとしているとき、富裕層の支持者が多い共和党に勝ち目があるとすれば、相手(民主党)の敵失か勘違いした中国による攻撃への報復ムードの高まりくらいでしょう。  TPPが進む世界がどうなるかはまだ分かりかねますが、農業分野や医療分野ではこれまでとは違う圧力がかかってくるのかもしれません。アメリカ資本主義がわが国を席巻し、中間層とかつて呼ばれた労働者がさらに没落する社会に変貌するのかもしれない。
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 実際、団塊ジュニアと呼ばれた40代以下の世代、ロスジェネやゆとり世代がこうむるであろう負担と苦難は高度経済成長時代に胡坐をかいていた世代を養いつづけなければならないという不満は日に日に増してくるであろう。  自分たちが払った分以下にしか受け取れないことが確実な社会保険料をなぜ払わねばならないのかという当たり前の不満や非正規雇用の長期化と各種手当や控除のカットによって実収入が減る一方の世代による年金未納問題などがすでに噴出してきています。  現状を変えるためにどう行動すれば良いのかと言えば、不満を抱える世代から国会に議員を送り込み、法律や制度を全世代的に公平なものにするような意見を表明するのが第一歩目となるはずですが、現状ではシルバー民主主義と呼ばれる高齢者利益のみを追求する亡国の動きしかない。ようやくマクロスライドなどが採用されましたが、生活保護などは手を付けられていない。  高齢者でも働いている人もたくさんいて、うちの母親なども75歳を超えてなお働いていますが、働いて得るお金よりも生活保護を受けている者が収入が良いのは納得がいかないとこぼしております。
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 病気や子供が小さいシングルマザーがこういった制度を活用するのは理解できますが、30代くらいでも施設に入所し、働かずに食っちゃ寝しているような者はさっさと追い出して、自分で生きる努力をさせるべきでしょう。  オーストラリアのブラックコメディを観て、なんでこんなことを思い巡らせたのだろうかと訝りましたが、けっこう1980年代後半でもすでにこういった視点があったことに驚いたのかもしれない。また問題作や実験的な作品を連発してきたドゥシャン・マカヴェイエフがちゃんとした商業映画も撮れるのだというのも驚きました。  もちろん最初からマカヴェイエフの名前を知っていてこの映画を観たわけではなく、当時はキャッチ-なタイトルである“コカ・コーラ・キッド”という軽さに釣られてバカでかいVHSをレンタルしてきたにすぎない。  オーストラリアの奥地のコーラ未開の地で敏腕セールスマン(エリック・ロバーツ)が手練手管を通じてライバル企業を買収し、ヒロインのおやじさん(ビル・ケアー)から経営を乗っ取ったコカ・コーラ社の強引な手法がブラックな笑いとともに描写されていく。
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 そりゃあ、悪役として出されたら、コーラは公認映画には出来ないでしょうから、映画のオープニングではコーラにはいっさい関係がない旨が延々とテロップで流される。これを観れば、制作側がコーラに好感を抱いていないのはすぐに分かるでしょう。ただそれほど辛辣に描いているわけではなく、あくまでも皮肉っぽく世界的大企業を扱っているにすぎません。  コーラがそうだと言っているわけではありませんが、税金もフェアに支払わないし、自国で禁止されている行為や薬品を他国ではまだ禁止されていないのをいいことに途上国に平気な顔で供給する強欲グローバル企業(明らかな脱税を法的な隙間をつく節税スキームと言い張る超有名な欧米企業の多いこと!)によるお金の奪い合いは今後も続くでしょう。  なんだかんだあって、ちょっぴりビターではあるもののコーラのやり方に疑問を持ち、会社を辞職した主人公エリックと子連れ(娘役の子役がかなり可愛らしいです。)のヒロイン(グレタ・スカッキ)がハッピーエンドを迎えるが、一週間後の桜の咲く季節に日本を開戦の舞台として第三次世界大戦の幕が切っておろされるところでこの映画は終わりを迎えます。
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 資本主義社会が極限まで進み、これ以上の発展が不可能になると格差をリセットする方法は戦争か革命しかないとするピケティの主張にも通じるようでとても不気味に思えました。  現在この映画はコーラとの版権の問題でもあるのか、DVD化はされておらず、大昔にレンタルで出ていたVHSをヤフオクで探してみるか、VHSをまだ残しているかもしれない大型レンタル屋さんで見つけるしかない。  ぼくは数年前に大阪心斎橋のTSUTAYAさんでVHSを見つけ、嬉しくなってすぐに借りてきました。まだあるか分かりませんが、ブラック・コメディとしても見やすい作品ですので機会があればご覧ください。  総合評価 75点