良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『吸血鬼ゴケミドロ』(1968)確信犯的な悪趣味満載映画。さて冷静に見ると、出来栄えは?

 なんとも禍々しいタイトルがついているのがカルト作品として有名な『吸血鬼ゴケミドロ』です。なんといっても強烈なのはエイリアンに侵入されたテロリスト(高英男)の顔が割れたビジュアルのインパクトでしょう。  どうみても女性自身が顔についているような卑猥でオドロオドロしい気持ち悪さが見た者の脳裏から離れません。デヴィッド・クローネンバーグの『ラビッド』では綺麗なポルノスターだったマリリン・チェンバースの身体から男性器のような形状の異物が生えてきますが、この映画では男の顔がパックリ割れて、女性自身が顔を出す。  よくこんなのが厳しい昭和の規制のもとで撮れたものです。たぶん規制する役所もポルノではないから、映倫の部署が違い、製作側もブラックな笑いをとることを前提に確信犯的な態度で「宇宙人のビジュアルだ。(アレに見えるとしたら、それはアンタがスケベだからだWW)」と開き直ったのでしょうか。  遊び心と言うか、反骨心というか、単なるスケベなジョークなのかはわかりませんが、今でも語られ続けているのは間違いないので、作った甲斐はあったのではないか。  『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』では佐原健二が体内に侵入してきたエイリアンと精神力で渡り合い、エイリアンを道連れに自決しましたが、高英男は呆気なく言いなりに動いてしまいます。  ストーリー自体は目新しいものではなく、いかにも凡庸な特撮ホラーにすぎない。過剰に評価するほどのものではないと思いますが、アウトローな作品なので、大向こう受けを狙っているのではなく、格式や規制でがんじがらめの映画界にツバを吐き、アカンベエをするようなイタズラだと受け取れれば、それほど目くじらを立てて批判すべき対象ではない。  悪質なイタズラを楽しもう。いったいなぜ公開から数十年経った特撮ホラー映画にいつまでも映画マニアがああだこうだ言い続けるのかは不思議ですが、それだけ観客の記憶に焼き付くだけの映像インパクトを持っているということなのでしょう。  映画本でもカルト映画の特集記事などがあると、邦画の代表的なカルトとしてこれが取り上げられることが多い。映画を成り立たせる構成要素のうち、六割くらいは演出(見た目)・脚本(お話しの内容と進め方)・演技(俳優たちの才能)で決まってしまいます。
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 あとは映像を盛り上げる音響や音楽、セットや小道具などの舞台芸術が最初の三つを引き立てていきます。ではこの作品はどう見ていけばいいのだろうか。  松竹系は東宝大映に比べると特撮に力を入れてきたわけではなく、東映や新東宝のようにゲテモノや見せ物映画に主体を置いてきたわけでもない。思い出すのは『宇宙大怪獣ギララ』『昆虫大戦争』くらいだが、特撮映画史上ではあまりにも影が薄い。  そんな松竹が何故にゲテモノかつ特撮のいかがわしい部分の集大成的な味わいと香りを発し続ける『吸血鬼ゴケミドロ』を送り出せたのだろうか。  顔がパックリと割れて、まるで女性自身を連想させるような割れ目が映画館の画面いっぱいに映し出されたとき、子供を連れて観に行っていたお父さんたちはどういう感情でこれを眺めていたのだろうか。  仕方なしに家族サービスで観に行っただろうお父さんたちは表面上は冷静さを保ちつつ、子供たちには分からないそこそこブラックな笑いを楽しめたのだろう。そういうのもないと見たくもないガキ向けの映画の付き添いには来られなかったに違いない。  新東宝映画に必ず挿入されている無意味なヌード・シーンなどもにっかつなどのロマンポルノやエロ作品を観に行くほどの勇気はないが、やっぱり見たいモノは見たい層に受けたのだろう。  近所の人にエロ作品を上映している小屋から出てくるところを見られたら、めちゃくちゃカッコ悪いわけですから、気を使いながらの鑑賞だったのでしょう。
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 じっさい、ぼくの小学生時代に、ある友達がとなり駅の知り合いのところまで行く用事があったが、帰りが遅くなったため、バスに乗って周りの風景を眺めていると、別の友達のお父さんがロマンポルノを上映している小屋から出てきたということがあったそうです。  そのことを次の日に学校でしゃべり、噂はすぐに他のクラスの子にまで広まり、その子がクラスの違う子にまでからかわれている姿を思い出しました。  今ではアダルト作品の鑑賞は自宅で見るのが当たり前になっていますが、昭和50年代後半まではビデオを持っている家は少数派でした。家庭用ビデオが普及するきっかけになり、レンタルビデオがどこにでも出来るようになったのはAVと呼ばれて久しいポルノがソフト化されて自宅で誰にも見られることなく、楽しめるようになったからです。  その流れを強力に後押ししたのは裏ビデオです。二十一世紀を迎えてさらに時代は進み、とうとう今ではお店まで借りに行く手間すらもなくなり、根気よくネットでエロサイトを探せば、無料かつノーカットでポルノが見られるようになっています。  TSUTAYAさんやGEOなどレンタルDVD店が苦戦するようになったのは収益の柱だったAVとCDがともにネット配信で楽しめるようになってきたからでしょう。そのうち、レンタル屋さんが町から無くなり、すべてストリーミング配信になり、レンタルビデオやDVDの名残としてポスレンやお取り寄せサービスが年寄り対策として細々と残るのかもしれない。  例えばストリーミング配信限定でソフト一本につき、レンタル代が一カ月100円とかになれば、所有という概念がなくなります。ネットのデータ上の顧客ライブラリーのみに登録され、いつでも見られるようになるのだろう。  デメリットとしては早めに見ておかないと役者の不祥事などがあった場合、スパッとデータが消され、なかったことにされてしまうことや、俳優のデータ自体が抹消される日がくることだろう。デジタル配信のみになれば、誰がどのPCで配信を受け、どの口座で払い、どのタイミングで見たかや何回見たかも分かります。
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 そうなると対策次第ではありますが、不法なダウンロードが減るのかもしれない。ただそれは超管理社会に生きている証明にもなります。『華氏451』がリアルに迫っています。  作品を紐解いていきますと、ストーリーの展開はディストピア的な世界観で救いはない。そこが誤魔化しで作為的なハッピーエンドに飽きてしまい、ベトナム戦争に対する平和運動や左翼学生運動で予定調和を受け入れない層にも受けた点なのだろうか。  ただやはり、久しぶりに見た感想としては顔のインパクトのみでした。なんといってもストーリーが安易なだけならばまだ許せるが、話が進むにつれ、さっきやっていたことや揉めた原因をきれいさっぱり忘れてしまったり、平和主義者のようなやさしさを見せた五分後くらいには味方だったはずの機長やスチュワーデスを平気で殺そうとしたりする。  みんなで外は危ないから中で助けを待とうと言った数分後には勝手に機外へ逃げる者が現れる。アメリカ人の若い未亡人は英語しかしゃべらないのに日本語を完璧に理解しているし、日本側も彼女の言葉を理解している。  大きな飛行機なのに乗客は9人で、しかも9人全員が飛行機事故を生き延びるが、エンジンが吹き飛ぶほどの火災が起こっているはずなのに乗客乗員全員が無事である。ハドソン川の奇跡は川に不時着したが、こちらは火を噴きながら、でこぼこな山岳地帯へ胴体着陸した末での結果です。  墜ちたのは近くの採石場みたいで落石も都合が良く二回も起こり、主人公を助ける。まあ、飛行機事故を怪我なしで乗りきり、周りの人々に裏切られ続けてもしっかり生き残るような神に選ばれしカップルなので不問にせよとのことなのだろう。  円盤大襲来後でも『宇宙戦争』のラストシーンのようにバクテリア酸性雨が降り注ぐか、台風が運んでくる潮風でナメクジのように一瞬でスライム軍団のゴケミドロは滅ぶかもしれない。
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 そうなると吉田輝雄と佐藤友美は新時代のアダムとイブになるだろう。そもそも飛行機が墜ちたすぐ近くには高速道路が通っていたり、あんなに足が遅いスライムみたいなゴケミドロがほんの数日で町中の人々を滅亡させるのは無理がある。  まあ、お酒をたくさん飲み、夜中に帰ってきてぼんやりテレビを眺めているときに深夜劇場でやっていればそこそこ楽しめるが、冴えた頭で見ると馬鹿馬鹿しすぎてナンセンスですらない。でもなんか魅力がある作品でもあります。  飛行機事故により、密閉空間に閉じ込められているなかでの体内侵入型エイリアンによる襲撃を受ける設定はセット代が安く上がり、ロケ地の気候に悩まされることも少ない。  機外に出たあとに本来ならば得られる解放感はこの作品にはなく、あちこちのガソリンスタンドや病院で死体の山に接する。しかしなんで彼らはみな死んでいるのだろう。ゴケミドロがいるなら、だれか一人は襲い掛かってくるはずなのです。  ラストにかけて明らかになる絶望の衝撃はこの作品がこれまで生き残ってきた要因のひとつであり、地球を取り囲む円盤型の宇宙船団は人類の最後とゴケミドロの繁栄を示唆する悪夢のようなシーンでしょう。  登場人物のほぼ全員が俗物でイヤなヤツばかりというのもポイントが高い。最初に書いた通り、この映画において、見た目のインパクトはずば抜けていますし、印象に残るシーンは数多い。つまりいわゆる活動写真にはなっています。  しかしナンセンスなコントみたいでもある。落下する人間は誰が見ても安っぽい人形だし、顔が崩れていくシーンはもちろん、ゴケミドロがパックリ開いた女性器顔から出て行くシーンも終わった後みたいでかなりエロイ。つまり全編悪趣味に満ちていて、それを許容できない人には下らない作品であり、それを許容できる人にはカルトになる。  『ラビッド』のマリリン・チェンバース対高英男の対戦が実現すれば、彼の顔にマリリンから生えてきたものを突っ込むというナンセンスかつグロテスクな殺陣が実現するかもしれない。  ストーリー展開は『トワイライト・ゾーン』やSF小説で幾度も見たような既視感があり、特に優れているわけでもなく凡庸です。演技面ではステレオタイプの人物像をなぞっているにすぎず、金子信雄のいやらしさ溢れる好演や高英男の気持ち悪さは一度見たら忘れられない嫌悪感を観客に植え付けるものの、全体を見ると月並みである。
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 ただ分かりやすさも重要ではありますし、監督の意図が分かりやすさであるならば、それは俳優の責任ではない。飛行機の機内を表現したセットの出来は普通で、切り崩した山はそのへんの工事現場と変わらない。音楽はこの作品の世界観を盛り上げています。  それなりに良く出来た作品ではありますが、大人になってから見た人にとってはケッタイな映画だなあという程度だろう。しかしぼくは子供の頃に見たので、この『吸血鬼ゴケミドロ』や『ガス人間第1号』の薄気味悪さや映像のインパクトは忘れられるものではない。  ただ衝撃的だった作品だというのと大人になって振り返ってみた時にどういう印象を受けるかは別問題です。ゴケミドロは吸血鬼という設定ですが、中年のオッサンが年寄りのクソジジイの首筋に噛みついたり、全編に渡って、主に中年のオッサン同士でもつれ合う様子はただただ気持ち悪い。  金髪の未亡人や訳アリの人妻に噛みつくのは安上がりのロマンポルノみたいで、まだ見ることができますが、前者のような俗物でしかもオッサンたちのもつれあう様子はヤニ臭そうで、加齢臭(カレーを食べたときによくカレー臭だとオヤジギャグをとばしていた。)もキツそうで不快でしかない。  今でもそう感じるわけですから、製作当時の1968年の感覚でこの映画を見ていたら、変な映画だなあという感想しか出てこなかったかもしれない。登場人物で群を抜いて気持ち悪いのはパックリ割れの高英男だが、代議士役の北村英三と金子信雄のギトギトしたイヤらしさもなかなかのものです。
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 吸血鬼映画ではベラ・ルゴシを代表する怪しげな化け物が若い貴婦人(貴腐人ではない。)や処女の首筋に噛みつき、モノにするから魅力的なのです。  もしR18でリメイクするなら、修学旅行で飛行機を使った女子高生たちが同じ状況に遭い、ゴケミドロに感染した引率の中年教師に襲われて、数名が生き残るという感じに変えた方がDVD化されたときにセールスが期待できるかもしれない。  コメディ風にやるなら、噛まれた処女はゴケミドロに感染するが、経験済みの娘は免疫ができているので感染しないとかにすれば、ほぼ誰もゴケミドロ化しないので、地球の貞操観念を嘆きつつ、ゴケミドロたちが諦めて他の銀河へ旅を続けるとかいうノリも楽しいかもしれない。もしくは生徒をみなイケメンに変えたら、BL好きの汚超腐人あたりに受けるだろう。  この作品を楽しむには数日残業を重ねてヘロヘロになり、次の日が休みという晩に大いに酒を飲み、午前二時ごろから友人か仲が良い映画マニアの奥さんとベロベロになりながら、吸血鬼ごっこだといちゃつきながら見るのがベストかもしれない。  たぶんそんな機会はほとんどないでしょう…。
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総合評価 47点