良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『どですかでん』(1970)黒澤明が放つ、救いのない世界観。

 『どですかでん』は黒澤明監督作品のなかではもっとも異彩を放っています。自身初の試みとなるカラーフィルムの仕上がり具合を手探りで試すようなセットや手作り感覚溢れる独特の色使いはヨーロッパの作品のようでもあり、現代版の『どん底』のようでもある。  カラー映画を撮っているのですが、カラーを憎むような汚らしいというか、あえて薄暗くて、どんよりとくすんだ色を多用しているのは何故だろう。  貧民街に蠢く人間を描くには鮮烈な色合いよりもこういった色調が必要だったのでしょうが、だったらモノクロでも良かったのかなあとも思います。それでも六ちゃんが家に飾っているなんだか崇高な電車の絵を見るにはカラーでないといけません。  監督の当時の心情が出ているような暗い作風はのちの自殺未遂事件(1971年)を予感させるものだったのでしょうが、後付けならば好き勝手に言えますので何とも言えません。1970年といえば、三島由紀夫が自決した年でもあります。  『七人の侍』『椿三十郎』など男たちが躍動する時代劇や『生きものの記録』『天国と地獄』などの社会派現代劇を見てきた人にとってはかなり取っつきにくい印象を与えたのではないか。  現代の社会の片隅、底辺で蠢く人たちの闇の部分を切り取ったオムニバス形式のこの作品は見る者を選ぶ。個人的には子供の頃に毎週見ていた凸凹大学校笑点の名物司会者だった三波伸介が登場するのが懐かしくもあり、嬉しくもあります。
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 亡くなってからもう40年近くが経ちますので、ぼくらも年齢を重ねたことになります。一般人であれば、死後40年も経ってしまうと二代か三代の子孫が繋がってきますのでせいぜい孫の代がうっすらと覚えているのみでしょう。  もう一代重ねるともはや誰も自分のことなど全く知らず、お墓に入っている先祖代々に過ぎなくなります。自分が世界の中心だという強烈な錯覚を持っているのは自分だけであり、普通はこのように世間から忘れられていく。  それを受け入れられる人は強いが、ほとんどの人はそこまで考えたくもないだろうし、それを避けるために娯楽に興じる。受け入れた人に待っているのは虚無だろうか、それとも卓越した精神の境地だろうか。  物語では不衛生極まりない貧民街に居住する、精神的に幼いまま大人になってしまった六ちゃん(頭師佳孝)が登場するオープニングの印象があまりにも強いため、全編彼の話が描かれるのかと思いきや、彼は狂言回しに過ぎない。
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 ここで描かれる世界観は夫婦交換(スワッピング)、近親相姦(実際は継父による強姦)、殺人未遂、ホームレスの悲惨な末路、不倫と不貞、貧困による子供の死(弱者差別)など予定調和とは真逆の人間が見せる凄まじい汚さと救いのなさが全編を覆い尽くします。  その中でも三波伸介が演じる父ちゃんの御人好し過ぎる優しさ(子供5人の父親がすべて違う)、芥川比呂志奈良岡朋子の埋められない距離、三谷昇と川瀬裕之が演じる乞食の親子のインパクトが強い。  映像としては何気に部屋中を埋め尽くす六ちゃんが描いた電車の絵(実際は小学生の子供たちが描いたものが大半を占める)が妙に崇高で、教会に飾られている宗教画のように見えてしまう。  かつてはお洒落だったであろうシトロエンをねぐらに使い、仕事もせずに子供に食べ物を物乞いさせるどうしようもない親は現在ならば、娘に万引きや売春をさせて食いつなぐ虐待親でしょう。
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 仲良くお話をする乞食親子の顔や髪の毛のメイクにも凄みがあります。貧民街に吹く風でビニール袋が流れて行く様子が西部劇でよく見た、枯れ草が流されていくお決まりのシーンのようでなんだか可笑しくなりましたが、冷たい笑いです。  登場人物は以下の通りです。一癖も二癖もある俳優陣は一般受けはしにくいでしょうが、すでに鬼籍に入ってしまった人も多く感慨深い。先ほども書いたとおり、ぼくらが小学生のころによく見ていた俳優さんたちがどんどん病気で出てこられなくなったり、亡くなっていくのを見るのはつらいものです。  頭師佳孝(六ちゃん)、三波伸介(沢上良太郎)、菅井きん(おくに)、芥川比呂志(平さん)、伴淳三郎(悠吉)、丹下キヨ子(ワイフ)、田中邦衛(初太郎)、井川比佐志(益夫)、三谷昇(乞食の父親)、松村達雄(一番最低なキャラクター綿中京太を演じていますが、黒澤監督最後の作品『まあだだよ』では主役を演じています)らはとくに思い出深い。  その他には渡辺篤(たんばさん)、根岸明美(渋皮のむけた女)、塩沢とき(ウエイトレス)、ジェリー藤尾(くまん蜂の吉)、藤原釜足(老人)、奈良岡朋子(お蝶)、下川辰平(野本)、らが個性的な表情を見せてくれています。
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 とにかく癖の強い作品ですので戸惑う方もいるでしょうが、黒澤監督としては気心の知れた日本人スタッフに囲まれて、意外に色々と楽しく試せた作品でもあるかもしれない。  ただし、どうしてもその後の自殺未遂事件と重ねてしまうので暗い気持ちになってしまいます。モノクロからカラーにフィルムは変わり、映画業界自体もテレビに押されて斜陽を通り越して衰退に向かい、予算は激減し、企画も通りにくくなっている冬の時代です。  そういう中でも何とかして仕上げていったのが晩年の黒沢監督でした。カラー時代の黒澤作品、というか後期作品に対してはあまり評判が良くないのも事実でしょうが、晩年の作品の公開時期になんとか間に合った最後の世代の観客としてはただただ新作がスクリーンで観られるだけで嬉しかったのも事実です。  若いファンの方には早く大好きな監督や俳優さんを見つけたら、彼らが良い時も苦境に陥っているときも、最盛期を過ぎたとしても、変わらずに観客として、フリークとして彼らを支えて行ってほしいと願います。 総合評価 65点