良い映画を褒める会since2005

他ブログで映画記事や音楽記事も書いておりました。評価基準は演出20点演技20点脚本20点音楽10点環境10点印象20点の合計100点です。

『恐竜・怪鳥の伝説』(1977)追悼・渡瀬恒彦というには悪意が…

 この映画の存在を知ったのは1977年の公開当時で、小学校の正門前で映画館のスタッフの人が割引券を配っていました。当時の僕は小学二年生でちまたでは『ジョーズ』が流行っていました。  ただ今になって思うのはこの券を配っていた人は実際にこの映画を見たのだろうか。かなりショッキングな人体破壊シーンの多い悪趣味満載映画なのだが、当時の低迷する映画界では子供相手でも何でもありだったのでしょう。  まずは不気味すぎるテーマ曲『遠い血の伝説』が流れる。 空にいた 飛んでいた   確かあの時 確か何処かで  
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 このほかにも地元のばあちゃんが歌う子守歌もなかなかの薄気味悪さでしたが、いったい何を考えての選曲だったのかが不明なものが多すぎる。  内容は東映らしく、下世話な血糊の演出が頻発し、まるで『ゴッドファーザー』のような馬の首なし死体と大量の血痕、首長竜に食いちぎられる若い女とそれでもまだ絶命せずにボートのへりに上がってこようともがいて上半身だけになった彼女を引き上げる女ダイバー(こりゃあ、『ギニーピッグ2 血肉の華』や『女獄門帖 引き裂かれた尼僧』みたいだ…)など悪趣味の連発です。  さらに性質が悪いのが東映ジョーズ丸パクリの演出で、これはあのシーンからだなとか、これもあそこからだなと呆れながら今回は見ていました。  ただはじめてこれを全編見たのは公開から数年経ってからで、しかも本家の『ジョーズ』をまだ見ていなかった頃だったので、けっこう楽しんで見た記憶があります。
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 渡瀬恒彦が亡くなったこともあり、また前回記事にした『知られざる大陸』のDVDを見ながら、「そういえば、邦画にも首長竜が暴れる映画があったな…」と思い出し、久しぶりに見ようと思い立ったのが今回の二回目です。じつに40年ぶりくらいの鑑賞です。  総じて、特撮部分での粗雑さには幻滅し、渡瀬と彼女の粘着質の愛憎やだらしない身体の女のガラスまみれの死に様に対しては憂鬱になります。  東映らしい見世物小屋的な血生臭い残虐シーンはダラダラと続き、飼い主が恐竜に喰われかけて絶体絶命のピンチにもアホみたいに尻尾を振り続ける役立たずのバター犬(?)に虚無を感じる。  古代生物同士ではあるものの海中で優位性を持つプレシオサウルス(肉食だっけ!?)と空では圧倒的な優位性を持つ翼竜を戦わせようというマッチメイクの杜撰さは当然ながら、噛み合うことがない異種格闘技戦のようになり、両者リングアウトでマグマが蠢く地割れの底に飲まれていく。
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 映画で描かれるのは大人の加齢臭のような体臭が充満する愛憎と無造作にマンハントをされて、肉塊と化していく人間たちの末路ばかりで、恐竜たちは添え物にしか見えない。つまり、怪獣映画なのにモンスターへの愛情が全く感じられない失敗作なのです。  翼竜は映画後半で人間たちに襲い掛かってきます。ただ翼竜の狩りによって死ぬ人数よりも、翼竜を拳銃や猟銃で倒そうとして、撃ち間違えて爆雷を吹き飛ばして爆死する数の方が多い。  人間自身が慌てふためいて、数十人を爆死させてしまうなど見せ場がチグハグで恐竜の恐怖よりも人間たちの愚かさの方が数倍目立ってしまいました。  富士山(火山)噴火よりも爆発音の方が迫力があるなんて、情けなさが全開です。ラドンの洞窟を思い出す洞穴(友人知人が肉屋の部位のように切り刻まれている)から逃げてきた渡瀬と彼女は何故か渡瀬がわれ先に逃げようとしているようにしか見えない。
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 とても妙な構図で、なんだか大昔の中川信夫の『地獄』を彷彿とさせるようななんとも後味が悪い断末魔を延々と見せつける。監督、もしくは脚本の意図は彼らを生き残らせたいのか、それともマグマに飲み込ませたいのか。  中途半端なミスリードにより、延々とケツがデカい中年女(沢野火子)の下手くそな木登りとスカッと女を助けられない非力な渡瀬の悪あがきが展開される。  十分くらいひたすらに次への展開のない懸垂のような状態が続き、無理矢理に二人の手が繋がれたところで唐突に終わりを告げる。状況から冷静にみると木の根っこと共に転落し、すぐにお亡くなりになっているに違いない。  どうせなら、二人が手を繋ぎながらマグマに落ちていくラストを持ってきていたならば、石井輝男の『恐怖奇形人間』での首チョンパ並みの衝撃を与えられたに違いない。そう思うと、より強烈なカルト映画として燦然と輝き続ける怪作として評価されたことでしょう。惜しいなあ。
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総合評価 48点