『マネーモンスター』(2016)ジョディ・フォスター監督作だが…。
うちの近所にちょっと美味しい中華料理屋さんがあり、月1程度はランチかディナーに出掛けています。今回はちょこちょこ色々なメニューを食べたくなったので、昼限定のハーフサイズ・メニューを数品と白湯スープがあっさりしていて美味しい湯麺を頼みました。
ハーフサイズで頼んだのは黒酢酢豚・春巻(薄く焼いた玉子焼きを皮に使用してパリッと揚げています)・棒々鶏です。
魚介系が食べたかったのですが、海老料理だけだったため、今回は湯麺に海老やホタテが載っかっていることを考慮し、上記のラインナップで楽しみました。
中華料理に限らず、食べるシーンは映画ではたくさん登場します。食欲・睡眠欲・排泄欲は人間が生きていくために必要不可欠です。これらが充足されてから、性欲や名誉欲などのデコレーションが各々の個性として加味されていきます。
一番人間らしい欲は名誉欲だろうか。社会的に認められると生きていくモチベーションを高めてくれます。まあ、そうは言っても、孔子様の昔から「衣食足りて礼節を知る」となっていますし、衣食住が足りないと孔子様の弟子でも狼狽えます。
聖人君子の道は険しく、ぼくら凡庸で百八(もっと増えてそうだ)の煩悩に悩まされている小人はもっと強欲を満たすために日々暮らしています。
キリスト教では強欲を七つの大罪の一つとして捉えています。ちなみに暴食、色欲、強欲、憂鬱、憤怒、怠惰、虚飾、傲慢が修行の邪魔だと考えているようです。
ウォール街の住人はこれら七つの大罪すべてを体現している存在としてマスコミや一般人には認識されているようですが、お金が欲しいというのは貧乏人も持っている感情で、ただ僕ら一般人とウォール街にいるようなお金持ちとを隔てるのは金融知識の豊富さと知恵、やりきる意志の強さでしょう。
しっかりと勉強し、面倒くさいと感じることを彼らエリートは厭わず、僕らが遊んでいた時も彼らは将来に向けて学習をいとわない。それは差が出て当たり前なのです。ただ儲け方には貴賤があるのは確かで、正当な商売で成功した人と不正に手を染めてあくどく儲けた人とでは周りの目も違ってきます。
今回、DVDで借りてきた『マネーモンスター』はジョディ・フォスター監督作品で、主演にジョージ・クルーニーとジュリア・ロバーツを迎えています。
個人的には社会派の切れ味鋭いシリアスな作風を期待していました。ただ、残念ながら期待は作品が進むにつれて萎んでいき、すべてにおいてどっちつかずの中途半端な出来上がりになってしまいました。
ウォール街のどす黒い闇に切り込むでもなく、株で負けた末にテレビ局に押し入るようなアホな犯罪者に共感していってしまい、高速取引の裁定取引で稼ぐアルゴリズム投資の問題点をあぶり出すわけでもなく、ジョディ・フォスターが端役で出てくる訳でもない。
なんだか、社会派のふりをしようとしているが、投資業界の現在の問題について深く考えているようにも思えない。一番不自然に感じたのは局に押し入ってきた犯罪者にかなり比重をかけて同情している演出です。
哀れな投資家への同情は多少なりともあっても良いが、すべてを他人のせいにするのは間違っているし、甘ったれている。実際に犯罪に走ってしまった恋人に対して、警察に連れてこられて、途中で金を失った理由を知った彼女(妊娠中)が言い放ったのは「アホ!」でした。本音はここに現れています。
ジョージ・クルーニーがこの哀れな男の将来にたいし、彼が買った株をみんなで買い上げて、損を失くしてあげようという噴飯モノの呼び掛けシーンが出てきます。しかし市場は彼の呼び掛けには応じません。
当たり前です。投資家はお金を稼ぐためにリスクを背負って投資をしているのであって、全財産をテレビのヤラセ投資バラエティ番組の薄っぺらい司会者が薦めるままに投じてしまうような知性が乏しいアホのために賭ける金など持たないし、なんだったら売りに回るでしょう。
彼女の冷たい反応と司会者クルーニーの必死の訴えにもかかわらず、売りに走る投資家の対応こそがリアルな反応でしょう。だって、買った会社の株が下がるのは経営状態、経営者の資質、会社の将来性などを考えて投資をするのが投資家なので、同情や感情的な訴えで金を動かすようなバカは市場で生き残れるとは思えない。
わが国でも怪しげな投資話に引っかかった強欲な高齢者が被害者面をしてテレビに出てきたりするが、まったく同情できません。騙される方が悪い訳ですし、自分だけ上手く儲けたいという我欲が丸出しですのでどうしても冷たい目でこういったニュースを見てしまう。
なんだか後味が悪い印象しか残らない凡庸な作品でした。ジョディはいったい何を僕ら観客に伝えたかったのだろうか。
総合評価 55点